流山みりん物語
川根正教編著『流山みりん物語』を読んだ。その昔、川根氏が日経新聞に「白みりん」の発祥地は流山だというコラムを書いていたことを思い出したからである。お酢は愛知県半田市のミツカンが有名。江戸時代にお酢が普及して江戸に寿司文化が花開いた。みりんの場合も、江戸時代に調味料として普及し、ウナギかば焼きのたれやうどん、そばのめんつゆに使われた。日本料理になくてはならない調味料のひとつだ。江戸時代の食文化の発展はすべて庶民文化の豊かさの結果だった。以前、フランスのレストランの話をしたことがある。レストランの意味はrestore、回復するが語源で、病弱は人向けに肉のエキス、ブイヨンを飲ませる「療養所」のようなものだった。後に料理も出すようになったが、特にフランス革命で貴族制度が崩壊、貴族が抱えていた料理人が多く町のレストランでコックとなり、今のフランス料理が成立した。
江戸時代の日本では、庶民が豊かになり、外食の文化が発達し、日本料理の基礎が出来上がった。その背景にお酢はみりんの普及は欠かせないものだった。家康が江戸幕府を開いてから、日本酒は伊丹、灘、伏見など酒どころから下り酒といって、江戸に運ばれたが、江戸中期以降、関東地方でも醸造業が発展し、利根川の水運で江戸とつながった流山周辺に酒蔵が立つようになった。
みりんは元々は甘い酒として重宝されていた。特に女性向けの酒だった。それが調味料として特化され、出荷したのは流山の商人だった。約200年前の1814年(文化11年)、酒造業を営む2代目・堀切紋次郎が開発・販売したのが、白みりん「万上」。現在はキッコーマン・ブランドで売られている。ほぼ同時期に5代目・秋元三左衛門も白みりん「天晴」を開発した。この二人がいなければ、江戸で、うなぎのかば焼きもうどん、そばも普及しなかったかもしれない。
みりんは約15度のお酒だから、販売に免許が要る。独身だった時代、スーパーにみりんは置いていなかった。酒販業組合が強く、免許がでなかったからである。代わりに酒度1%未満のみりん風味調味料が開発され、販売していた。みりんの歴史は奥深い。