24日午後1時すぎ、東京電力は福島原発の汚染水の海洋投棄を始めた。「汚染水を多核種除去設備(Alps) で浄化した処理水を1200分の1に希釈」した水。放射線量は国の基準の40分の1の63べくレムというが、放出する絶対量は変わらない。希釈する前の水は7万5600ベクレムと基準の50倍以上もあるのだ。今後、日に460トンの処理水を投棄する予定だというから、その1200倍、55万トンの途方もない水量ということになる。政府と東電は地元漁協に対して「理解」を得るまでは処理しないと約束していたのである。政府は「デブリ除去のため、必要」としているが、デブリ除去の方法すら分かっていないのである。

 あらためて故高木仁三郎「科学の原理と人間の原理-人間が天の火を盗んだ-その火の近くに生命はない」を読んだ。高木氏は原発の恐ろしさに ついて警鐘を鳴らし続けた碩学だった。この冊子を読後に岩波新書『プルトニウムの恐怖』(1980年)も併せて読んだ。30年前から原発や放射能の危険に ついて語っているが、この冊子の方が分かりやすく、危機感が迫るものをもっている。高木さんが残した人類への遺言でもある。
 高木さんによると、地球は宇宙の星のくずから誕生したもので、もともと放射能の塊だったものが「46億年かけて冷めてきて、ようやく人間や生き物が住め るくらいまで放射能が減ったもの」なのだそうだ。だから「宇宙に生命生命はいないと思う。それくらい地球というのは特殊な条件なのだ」。
 その特殊性について、「水の存在」もさることながら、「放射能に対して守られていることが大きい」と指摘する。そんな特殊性があるにも関わらず、「せっ かく地球上の自然の条件ができたところに、人間が天の炎、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったのが原子力なのだ」という。これまでの 反原発論者が語ってこなかった部分ではないかと思った。
 だから高木さんは、原子力こそが「プロメテウスの火」なのだと強調している。「地球上の人間の原理の中で許さ れる科学技術とそうでないものがあることをちゃんと知る必要がある」ことにも言及している。臓器移植については「明らかに今までの人間の自然な死とか生命 と番う原理を持ち込んでいる」と批判している。臓器を取り替えることができるようになると「手が悪いとなれば手を取り替え、・・・足も、臓器も・・・全部 取り替えて、その人は同じ人間なのかという問題にぶつかる。西洋的な考えでは脳だけ元の人の脳だったらあとはどこを取り替えても元の人ですよ」ということ なのだ。
 人間の生命に関しては、そもそも「生命は核(原子)の安定の上に成り立っている。原子力はまさに核の安定を崩すことによってエネルギーを取り出す技術。ここに一切の原子力の問題がある」とする。
 放射能の恐ろしさについてこんなことも語っている。原発の指先ほどのペレットを燃やすと一軒の家が年間消費する電力を生み出すほどエネルギー効率がいい のだが、燃えた後に残す「死の灰」は5万人の人間を殺すことができる放射能を持っている。そしてその放射能は数百年たってようやく安全な元素に落ち着く。
 46億年かかって静まった放射能を人間は武器としてはともかくエネルギー源として「不可欠なもの」として「復活」させてしまったのである。問題は原子力 の火は決して消すことができないことなのだ。原子力を制御できるかどうかが現代科学の課題になっているが、高木さんに言わせれば「封じ込める」ことはできても「その火は消せない」のだ。放射性物質が放射能を出さなくなるまでには最低で数百年、そもそもこの地球は46億年もかかったのだという高木さんの警鐘にわれわれはもっと早く気づくべきだった。(伴 武澄)