世界連邦建設同盟が1953年に発行した下中弥三郎著「世界国土計画」

          一
 世界新秩序の原則はといえば――
 政治は、自治と指導が適当に組みあわせられた形態が見出されなくてはならず、
 経済は、私有と万人有とが適切把むすびついた形が考えられなくてはならず、
 生産は、原生産(農、林、漁、鉱)と加工生産(紡、化、機、電、食等)とが適当にからみあい結びつかなくてはならず、
 国際関係は、民族意識と全人類愛意識とが流れあい結びあって全体としての調和が保たれなくてはならず、
 思想教化は、理想と現実、歴史と社会、個と全、普遍と特殊がたくみに織りなされた世界社会像が考えられていなくてはならぬ。
          二
 民主主義がどうの、全体主義がどうのといっても、それは楯の両面、盲人の巨像観でしかない。自由主義がどうの、統制主義がどうのと言っても、普遍的な全人類的な世界社会像における内部構造の部分的称呼でしかない。人間の思考も視野もまだ全宇宙を如実に捉えうるまでには成長していないが、地球に関する限りでは、地球と他の天体諸現象との結びつきも、また地球上に分布する陸地と海洋と内水と島嶼との開係も、空気と気象とその流れとそれの人類生活におよぼすもろもろの影響とについても、ある程度までは語り得るまでに成長してきている。
 地球の一角、地中海とそれをとりかこむ山や川や谷や平原についてのみしか考えることのできなかった時代に考えられた世界認識をもって、全地球上を一日二日で飛び得るコメット機出現の時代、五千万の人畜を一瞬に壊滅し去る原子力兵器時代を類推しようとするのは無理というもの、しかるにものの本のみの学問人は、ややもすればその時の流れと、その成長の実相をきわめつくそうとはせずソクラテスのものさし、ベーコンのものさし、マルクスのものさしをあてはめようとしがちである。無論、生きている古い学問もいくらかはあろうが、それはまれで、新しい計画は、新しい科学的実験と帰納的観察との総合的結論をものさしにした計画でなくてはならぬ。
 普遍的な原則に本づいて立てられた世界建設プランでなくては万人を納得させ得ない。
 世界社会時代における人類の社会生活はいかにあるべきか、これをつかまなくてはならぬ。現代人の社会生活の理想形態を描いて見せることなしに、その場、その場、その時、その時の都合にまかせて――たとえば、ある国の世界革命方策、ある国の封じ込み捲きかえし方策等――人びとの立場立場でものをいい、何れに味方するかを口角泡を飛ばして論じあって見ても仕方がない。新しい建設には、明白ゆるぎなき世界社会像を描き捉えて、それに基ずいて底の底まで掘りさげてものを考え、案を立てなくてはならぬ。
           三
 世界国土計画の具休的研究にはいる前に、考えておかなくてはならぬことは、『財貨の本質』『所有の原理』『所有と創造』『個人有と万人有』の原理を哲学的に見きわめておくことである。
           四
 いかなる財貨も、
 第一には、財貨はみな、歴史的所産できる。いかなる財貨も、財貨はみな、われわれの父祖の時代から、全人類をつらぬいての所産である。
 第二には、財貨はみな社会的所産である。いかなる財貨も、財貨はみな、社会万人の共同合作である。だから、いかなる財貨も、財貨はみな、たてに全人類史をつらぬいての歴史的所産であり、よこに、全人類につらなる社会的所産である。たれが、それを、今、現に所有していようとも、また、その所有するに至った事情がどうあろうとも、また、その所有財貨が託される理由がどうであろうともその所因が歴史的であり社会的であるという事実にかわりはない。
 第三には、財貨はみな、その生産の原由にさかのぼれば、歴史的であり社会的であると同時に、すべて天然自然的所産である。財貨は、いかなる財貨も、天然自然と全人類(時と所をふくむ)の努力との結びづきにもとづかないものはない。それゆえに、財貨は、いかなる財貨もみな、歴史的所産であり、社会的所産であり、天然自然的所産である。
 そもそも人間が生をこの世にうけて生れいでるという所縁が、すでに断じて、自己原因ではない。何人も、人間は、自分で生れ出ようとして生れ出て来たものではない。これまた、畢竟、歴史的・社会的・天然自然的に連なっての所産である。人類文化の一切が、あげて歴史的社会的所産であり、その歴史的、社会的所産の一切もまた、畢竟、天然自然を父母として生れ、天然自然にはぐくまれて歴史的に社会的に育ってきたものなのである。
 親は子を、産んだ子を、どの子もみな、それを養いはぐくむためにあらゆる努力をおしむものではないが、天然自然もまた、その人の子のすべての生みの親であり、人の子として生れた人類は、その生みの親たる大然自然のふところではぐくみそだてられる因縁、約束ごと、いいかえれば生存権をもつて生れてきているのである。ラスキンが「この後至者にも」のなかで明白に語っているように「およそ、この世に生をうけたものは何人でも、悉く人類の社会生活に仲間入りすべき権利――人類生活の饗宴の蓆につらなって一つの座席を占める権利――生存権――があるのである。」 だがこの権利は何からくるか、それは、とりもなおさす財貨の本質からくる。一切の財貨は、何人もこれを私すべきものではなく、天然自然を所縁とする全人類共通の歴史的社会的努力の結晶であるという原理に基づいておるものなのである。
           五
 財貨はその本質において万人有である。あるべきである。だれのものでもないが、まただれのものでもある。人類文化の一切が、歴史的所産であり社会的所産であり、その歴史的社会的所産の一切もまた、とりもなおさす天然自然的所産である、それゆえに、明白にいえば、財貨はすべて、誰のものでもないが、まただれのものでもある。これはわしのもの、これはお前のもの、という風に、その私有がみとめられるには、そうした方が、人間の社会生活にとって便利だからである。
 おまえのきている着物にもわしの部分があり、わしの着ている着物にもおまえの部分がある。おまえのも、わしのも一緒にしてしまって二人でわけるのがあたりまえだが、そんなめんどうなことをするかわりに、いま、現におまえの着ておる着物はおまえのもの、わしがいま、現に、着ておる着物はわしのものと、しておく方が、めんどうくさくないからそうしておるというまでのことなのである。
 世のなかの人たちはみんなの着ておる着物を一緒にして、みんなでわけあうかわりに、かりにきみたちみんなの着てなる着物は理屈ぬきにきみたちのものとしておこう、そのかわり、はくがいま着ているきものは僕のものとしておいてくれ、よいか、よし、というのが、とりもなおさす、今日の所有権の理論的根拠なのである。だから、所有権の理論的根拠は、第一義的、絶対的のものではなく、人類の社会生活の便宜のためのもの、第二義的秩序、相対的原理でしかないのである。おたがいが、おたがいのものを振替勘定で決済しておるにすぎたいのである。
 アントン・メンガアは、人間の社会権を労働権、労果全収権、生存権の三つにわけているが、本質的には、人間の社会権は生存権一つで他の二つの権利は生存権に附随して派生したものである。マルクス経済学の誤謬は、生存権の根拠を労果全収権におき、その立場に立って労働価値説を組み立てたところにある。
 マルクス経済学のこの立場は、所有の根拠が「加工」という一事にもとづくと考えたところから出て来ているのである。しかし、事実、所有の根拠は「加工」だけにもとづいてはいない。天然自然的現象と人類史的寄与とそして人的加工、この三つのものが一つになって「もの」ができる。これを見落として立論したところにマルクス経済学はとりかえしのつかぬ誤りをおかしている。
           六
 所有権はむかしは「声明」もしくは「先占」にもとづくものとされた。のちには「加工」がその基礎条件だとせられるようになった。マルクスは、その当時のその説に根拠して立論した、そのかぎりでは進歩的ではあった。しかし、物のなかにふくむ本質を仔細に分析することを忘れていた。のちに気づいて「社会的労働」=「みんなの共力加工の公約価」だと言い直したが、不徹底におわってしまっている。マルクス経済学説が、常人にわかりにくいのはこの不徹底をふくんでいるからである。「物」の成因の分析が足らなかったからである。「物」の成因はいかなるものも『天然自然的、社会的、歴史的所産』ならぬはない。その含む割合には等差はあるが、財貨はみな天然自然と人間加工(時と所とを含む)とか組みあわさってできていないものとてはない。
 筆者が今、この原稿をかいている紙について考えて見ても、製紙工場でのパルプの加工、もろもろの機械、薬品、副資材も一つさかのぼれば、パルプ材の加工、そのパルプ材の伐り出し加工、パルプ材となっている樹木、その樹木を植えた祖先の人的加工、その生育をとげさせた天然自然のはたらきそこにつきあたる。その機械もまた、もとへ、もとへとさかのぼればついに、鉱山労働にまでさかのぼる、そして、その鉱山、その鉱山の生成ということになると、もはや人的加工といいえない天然自然につきあたる。薬品、副資材みなそうである。さらに、その労働者その人の成長の因子、その技術者の科学技能的成因、こうさかのぼって考えるならば、労果全収権なんどと、フトいぬす人根性であるといえる。労働価値説はこの点でウソだということが誰にでもわかろう。
           七
 しかるに、現在の世界では、所有の根拠に『声明』が通用している。無人島を見つけて、旗を立ててこれは「わたしの」または「わたしのくにの」「もの」だといってみとめられてきている。地球の表面のありあまっているあいだはだれも抗議はしなかった。しかし、かかる所有理屈は永久には通用しない。
 また所有権の根拠に「先占」が通用している。山に行って、何かよい鉱石がありそうだとおもうと地図とここからここまでと印をつけて、鉱山局に願い出て、地下の鉱石をとる権利を得る。わずかの税金をおさめておけば、当分は自分のものだといえる。このような天然に対する「盗人行為」が公然とゆるされている。
 それとこれとは違うようなものの、日常、「先占」が一時所有となる例は、汽車電車の通常座席、指定制のない、芝居、映画、球場などの座席が、先占によって一時所有がみとめられている。
 カントは、かれの永久平和諭の中でいっている。「あなたはもうその席にすいぶん長く腰掛けていなさる、しばらく、あなたの前に立ってひざっこをぎくしやくさせていなさる人にかわってあげてくださらんか」、そういったからとて不条理ではあるまい。「お互いさまです、どうぞおかけください、ちとかわりましよう」といえば「ドンナにその棒立ちになってゆられている人が喜ぶことやら」。言葉通りではないが、こんな意味のことをいっている。
           八
 「先占」も「加工」も所有権の根拠とはいえない。それは上述のとおり。「先占」し「加工」したからとて、その先占者が、その先占し加工した天然ぐるみ、その土地を永久に独占する理拠はない。その土地の中にふくまれる労働すなわち加工の価値だけを加工者が自らのものであるというのは間違いではない。しかし、天然ぐるみ領有するということは、結局、振替勘定の理拠による便宜以上のものではない。というのは、天然に対しては、人類は、全体として、その「分け前」にあずかる権利をもっているのだということを、そのあずかり人である領有者はまずもっとはっきり観念していなくてはならぬ。二宮尊徳が「天地の徳」といっておるのはその意味なのである。いかなる人も加工したことによって、天然ぐるみその成果を完全に自分のものとすることはできないはず。
 カントはまた、その「永久平和論」の中で、人類の地表権ということをいっている。「ある人が、ある土地に祖先伝来住んでいるからとて、その地表を永遠にその人のみが占有していてよいという道理はなりたたぬ。広い土地に繩ばりして「これはおれのものだ」といっておるものは、狭い土地しかもたないで苦しんでおるものに、その広い土地を心よく譲りわたしてしかるべきだ」と。ショウペンハウエルは、「意志と現識の世界」の中で、カントの説をうけて、「お前たちは、もうその土地に永く住んだのだ、われわれのような針小の土地をしかもたないものに、ちと入れかわらせてもらおうではないか、とこう主張しても無法とはいえない」といっている。
 かりに今、ある人が地に井戸をほって水を汲んで生活をつづけてきた。ところが、多くの人たちはおもわぬカンバツのために谷川から水が得られなくなってしまった。その多くの人たちが、その人のところにきて、「すまんが少し水をくませてください」と要求した。すると、その井戸の持主は、「この井戸はお前たちの掘ったものではない、そんなに大勢やってきて水をくましてくれといったってだめだ。」といえるかどうか。井戸をほることは加工だが、加工することによって天然ぐるみ「井戸」を独占してよいであろうか。それを独占し得るのは、他に渇いているもののない間のことで、すなわちしばらくの間の仮の権利で、他に渇者が多くなれば、これらの多数者にその井戸は解放せられてしかるべきであろう。加工することによって天然ぐるみ独占することの許さるべきではあるまい。
 労果全収権に重きをおくマルクス説は、加工によって天然ぐるみとってよいと考えたところから至って冷たい理諭におち、おもわぬ誤謬をおかすことになった。レーニンの「働かざるものは食うべからず」の立言は、プロパガンダとして、惰者のいましめとして手きびしくていいが、本質的にはあやまりである。「働かざるものにも生きる権利はある。少なくとも、財貨のうちにふくまれている天然自然の部分に対しては、病める人も不具の人も、その「わけ前」にあずかる権利はあるのである。いかなる人も殺ろさぬところに自然の営みがある。ラスキンの「この後至者にも」の中でうたいあげているようにそのからだの弱い者にも生きる道はひらかれていて然るべきではないか。それがゆるされぬのは所有権の誤用悪用である。
 マルクスのように一切の財貨を商品として考えるにしても、その商品価値とその商品を産出するに必要な労働量とは個別的には必ずしも一致しない。使用価値の全くひとしい燃料でも、それを生産する天然の性質種類によって、それに加えられる労働量は一定していない。マルクスは、これを「社会的労働量」という抽象語をつかってアイマイにしてしまっている。つまり、財貨の成因についての分析が十分でなかったからである。
           九
 社会理論において、繰りかえし繰りかえし問題になっているのは、私有制度をみとめない社会では人間がなまけがちになる。働く張合いがないからである。人が働くのは欲と二人づれだといわれる。欲ばかりで働くとはいえないにしても、欲――自分のものになる――がなければ働く意欲が少なくなりがちなのは一般社会にありがちな人情であるかも知れない。ところが、これに対して、社会主義社会になって私有制度がみとめられなくなると、人はかえってよく働くようになる。私有制の社会の中に共有制がたまたまはさまれてあるから怠けるので、世をあげて共有制になれば、人間心理か全く変ってくる。私有制社会の心理で共産制社会の心理を推し量るわけには行かない、という意見がある。
 ところが、このことについては、ソヴヱトでは多年これを実験して来た。その結果はどうであったか。
          一〇
 ソヴェトが今、どんな経済策をとっているか、鉄のカーテンのうちの仕組みは十分に知るよしもないが、先年、ソヴエト経済研究所長ヴァルガが「資本主義は当分ほろびそうにもない」という発言をしたことによってスターリンからにらまれ、その重要なポストから追われていたが、昨年になってヴァルガが許されてもとのさやにおさまったと報ぜられた。
 帆足、高良、宮越、諸君の報ずるところによると、ソヴェトの給与制度は能率本位で、一般労働員の月収は五〇〇―八〇〇ルーブルくらい、技術労働者は三、〇〇〇ルーブルから五、〇〇〇ルーブルにもおよぶという。また、労働貴族と言われるものもあるらしく、立派に装いをこらしてレセプションなどに出席する貴婦人を多く見かけたという。
 共産主義を標榜するソヴェトにもそういう階級制的な給料支払いが行われていることは何を語るか。資本主義社会におけるよりももっと分配差が多いということは、とりもなおさずある程度まで、私有欲をそそりたてるのでなければ生産が高くならないという事実を物語っている。これは、工場労働方面について見たことだが、さらに農業方面について見るならばどうか。現在よくわかっていないが、少なくとも、工場労働者以上に農民は私有欲が強いのであるから、すべて出来高払制が採用せられているにちがいない。
 一九一八、九年のあの恐ろしいヴォルガ河流城の飢饉は、何がさように悲惨にしたか。単にカンバツのためはかりでなく、農産物収奪と酷しい制度(食い分のみをのこしてとりあげられる)が発表せられたために、農民がその作付反別をわざと減らしていたところへ、あのカンバツがきたので、恐ろしい飢饉に見まわれることになったと言われる。そのために、ソヴエトでは、これはいけないというので、新経済政策(ネップ)を実施して農業商業の自由をある程度みとめることにしたと言われている。
          一一
 人はみな、だれでも、自分に与えられた範囲内で、自分の生活を自分の思い通りに切り盛りしたい。理想には遠くとも、それにちかい生活を営みたいという欲望をもっている。この欲望を取りさってしまえば、育っている植物から水分を取り去ったようにぐんなりとなってしまう。社会制度の良し悪しを決めるには、そのよりどころをこの点に求めなくてはならぬのではないか。
 『能力にしたがって各人から。必要に応じて各人へ。』
 これが共産主義の理想である。まことに立派である。しかし、その実現は困難である。
 そこで、一段調子をおとして、『能力に応じて各人から、功労に応じて各人へ』というところまでおりてくるほかなくなってくるのである。
 しかし、こうなってくると、人性の本質に近いものになってくるが、それをそのまま放任しておくと、貧富の差がひどくなってくる。それをある程度まで矯正しようとするのが穏和な社会主義制なのである。富の偏りを矯正するには統制を必要とする。その統制をいやがって、どこまでも儲け放題もうけようというのが資本主義の本質であり、儲け放題はよくない、分配の限度をある程度きめなくてはいけない、というのが社会主義制度である。
 何れの国でも、多かれ少なかれ、統制は行われてなり、また多かれ少かれ自由が認められている。そうしなければ、生産を高めることは出来ず、また人々を満足させることはできない。その統制が強くなり弱くなる程度で、その国が社会主義的であるか、資本主義的であるかがわかれるのである。今日では、まるまる社会主義国といえる国もなく、またまるまる資本主義といえる国もない。
 バアトランド・ラッセルは、所有衝動と創造衝動とを対立させ、今の社会は所有衝動ばかりが強く出ておる。もっと創造衝動を強く押しださせなくてはといっておる。しかし、見方によっては、所有欲も一種の創造欲である。消費を創造的に営もうとするための所有であると考えるならば、所有欲を一概に排斥するにはおよばない。
 もともと人には所有型の人と創造型の人とがある。所有型の極端な例は守銭奴、事業狂であり、創造型の代表的なのは詩人、発明狂である。しかし、一般的には、その両方がある程度まじっていて、所有欲だけの人もなく、また創造欲だけの人もない。つくる欲望七ともつ欲望三(創造型)とか、もつ欲望七、つくる欲望三(所有型)というふうに、所有欲と創造欲との組合せによって区別するまでで、たいていの人は、その何れの欲望をも多かれ少なかれもっているというのが事実である。それゆえに人間社会から、所有欲を否定し去ることのできぬように、創造欲をもまた否定しさるわけには行かない。
          一二
 現前の多くの自由国の社会秩序は所有欲をのさばらせすぎる。資本主義社会と言われる所以である。大多数の所有欲追求を満足させないで、一部少数の所有欲追求者のみに満足を与えている。大多数の人々の所有欲を満足させるためには、少数者の飽くなき所有欲をある程度制限しなくてはならぬ。そこに政治の必要がある。万人の生活の安康を保障するためには、一部少数者の飽くなき所有欲を制限する外はない。
          一三
 以上の立論を根拠にして、私は今、世界の再編成、世界の国土計画を立ててみようとしているのである。しかし、手元にある資料だけから実行案を直ちに引出そうというのではない。こうもしたらどうか、この方式で専門家に研究してもらったらどうか、というくらいのかるい気もちで、二三の例をならべて見たい、ただそれだけのことなのである。
 原則として、
  一、所有権を絶対のものとは考えず、かりに、『便宜上、振替勘定で決済してあるのだというふうに考える。
  二、いま現に、所有しているものは、ソッとしておく。というので現存のものを強くゆさぶらなくても、地球上にはまだ苦労さえいとわねば、けつこうやってゆけるであろう土地がそこここと残されてあるからである。
 この二つの原則を頭において、いま、世界の再編成、国土計画を考えて見ようというのである。
          一四
 全世界をかりに三大区分してみる。
 第一 ヨーロッパ
    これに 中、近東およびアフリカをつける。
 第二 アメリカ
     これにオセアニアをつける。
 第三 ア ジ ア
     これに太平洋をつける。
 すなわち、ヨーロッパには
 ソヴエト、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、ユーゴ、チェコスロバキア、アルバニア、ポーランド、オーストリヤ、ギリシヤ、ベネルックス、ハンガリア、ブルガリア、スエーデン、デンマルク、ノールエー、フィンランド、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、中近東のトルコ、イラン、イスラエル、エジプト、イラク、ヨルダン、サウジアラビア、レバノン、イエーメンの三三国、それにアフリカの南阿連邦、エチオピア、リべリア、リビアを加えると三十七国ある、
 アメリカには、
 カナダ、北アメリカ連邦。メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エベサルバドル、コスタリカ、パナマ、キューバ、ハイチ、ドミニカ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、さらにオーストラリア、ニュジーランドの二十三国ある、
 アジアには、
 日本、台湾民国、南朝鮮、北朝鮮、中華民国、チベット、モンゴール、ホンコン、マカオ、フィリピン、インドシナ、タイ、マライ、インドネシア、ビルマ、インド、パキスタン、セイロン、アフガニスタン、ネパール、ブータンなどの二一国がある。合して世界の国という国が、八十一国あるということになってなる。
 随分多くの国はあるが、有力な国は十数国にすぎす、住む人の希望では、もっとまとめて考えてあげた方がよいかも知れない。
          一五
 さきに開けた国は住みやすいが、あとからひらけた国は住みにくいという違いはあるが、努力しだいで住めば住める地域がまだまだ全世界にはたくさんに残されている。
 日本のように、八千五百万もの人が小さな島国に息苦しく押し合いへし合い生きていくのは気の毒だ、何とかしてあげなくてはと世界の良心は考えているであろう。
 「遠慮はいらない、ポツダム宣言にとらえられないで、日本の望みをとにかく言ってみな」と言われるならは、日本を南に直下すれは、鳥の形のような大島が横っている。まず、この島を開きたい。そしてそこで働かしてほしい。とこう申出るだろう。すなわち大ニューギニア島である。
 島の主権はどちらさまのものであろうともそれはかまわない。いかようにか取極めに応じてもらうことになればよい。日本は、ありあまる人たちをおくって働かしてもらえはよい。生産物から生れる利潤は次のような方式で分配されればよいではないか。
 一〇%はローヤリチーとして主権国のものとする。九〇%は生産者のものとする。生産者が、その本国、たとえは世界連邦なり、日本国なりへおさめるローヤリチーはいくらにするか、今どきならは二〇%くらいは奉仕せねばなるまい。
          一六
 ニューギニアは、一名パプア島という太平洋中の巨大な島である。赤道直下だから暑いにはちがいないが、住めば住めないことはない。東径一三一度から一五一度、南緯○度一九から一〇度四一にまたがって何かトカゲかなんかのような格好をしているので、一寸ものすごいみたいだが、住んだ人の話では割合よいところだという。
 総面積は日本の二、二倍(縮少前)の大島である。西ニューギニア、東ニューギニアに分れて、西ニューギニアはオランダ領になっており、東ニューギニアは、背梁山脈でわかれて、北側は旧ドイツ領となり、現在はオーストラリア連邦の管轄下にある。
 密林はとざされた複雑な地形、未開危険な現住民のために、すでに三世紀の間、ほとんど開発されていない。気候が湿熱なため、悪質な風土病など多く、白人の習俗とはあまりにかけはなれているために開発が遅れているのみでなく、内陸地域はその調査すら十分でない。
 この島には、新しい火山や広大な沖積平野か多く、中央山系は三千米四千米の山岳重畳、その最高峰といわれるオランダ領ナツソウ山脈は五千米の高度を有し、現に氷河におおわれている。中央山系の北側には広い低地帯をへだててこれと平行に走る北分水山脈があり、’高さは一、〇〇〇米―二、〇〇〇米程度であるが、太平洋に接して障壁の効果をもたらしている。両山形に挟まれた低地帯には諸大河が東西に流れ、沿岸に広大な沖積平原をもっている。マンベラモ(川島中第二)の上流、中流の盆地は極めて広く、大小の湖沼と湿地をもっていて、雨季には一望の海と化するので、湖沼平原と呼ばれている。北部分水山地はヤーペン・ビアリなどの島々を連ねるヘルコップ(鳥一頭)半島の山地に達する。同様にマックルーア湾の南岸のボンペライ半島は中央山系の河の端になっている。
 島の南岸は深い樹林地帯ではあるが、広大な後傾斜平原が広がって総面積の三分の一を占める。この斜面にはフライ・キコリ・ディグーリその他の大河が西に東に向をかえつつ流れていて水量も多くゆるやかに流れていて舟運の便がある。なかでもフライ川(島中第二)は、河口から小型汽船ならば八〇粁も遡ることができる。
 豊富な降水と日射にめぐまれて植物の生育は旺盛で、労苦をいとわず開墾すれば広大な農耕地を得ることが出来るであろう。
 動物は寄異な有袋類、単孔類や美しい鳥類も多い。この島にはこれというほどの猛獣はいない。ワニや毒蛇はいる。サソリもいる。それさえ気をつければ、猛獣の害をうけることはない。
 人口はよくわからないが八〇万くらいだろう。大部分は原住民(パプア族)で、いくらかインドネシア人、メラネシア人および混血の白人牧師、苦力頭、華僑がいるくらいのものである。パプア族は多数の種類にわかれて言語風俗も違っているが、大別すると、山住み種族と、海岸居住者とにわけられる。山住み種のものは文化の程度がひくく、石器時代の生活をつづけている。バナナ、芋類、とうもろこし、キャッサバなどをつくり、鳥獣を狩り、ハダカか、せいぜい腰のまわりを包んでいる程度、海岸住みのものは、外来文化の程度の影響もあって、文化の程度がやや進んいる。簡単な衣服をつけ。学校や教会にも通っている。甘藷やサゴ澱粉をとっている外、各種の作物をつくっている。カヌウ、プラウをあやつって漁もやり航海もやる。白人の経営する農場ではココヤシ、ゴム、コーヒー、ココアができる。農場に労力を供するのもこの住民である。土地の言葉の外、西ニューギニアではマライ語、東ニューギニアでは、英語が通用する。物産としては、木材類も輸出されるか、金が多く輸出される。石油もとれる。
          一七
 ニューギニアの西に、大きな島カリマンタン(ボルネオ)がある。この島は、日本の三倍以上もあり、インドネシアの主権の下におかれてある。人口はきわめて稀少で、人々の来り開くをまっている。
 この島は、赤道をまたいでいるから暑いには暑い。月平均気温は、東京の八月の気温に等しい。一般に雨量が多い。雨季、乾季の別も明瞭でなく、内陸と、海岸とはいくらか事情が違うが、何にしても住みよい地とはいえない。高温多湿のために、土壌は熱気型の赤土で、肥沃ではないが、雨の少ない山間の盆地と火山灰地帯とは可なり肥えている。
 植物は熱帯雨林、動物は樹上動物、鳥類、昆虫、爬虫類が多い。もともと、ジャワ、スマトラとつらなって一つの大陸であったから、生物区の事情はこれらの地域と今も殆どかわらない。動物ではオランウータン、植物では鉄木が有名である。
 人口は約三百万、一平方粁四人で、世界でも最も開けてない土地の一つである。それならは、天然自然が開発に値しないのかというとそうではない。地上の生物事情も、地殼内部の埋蔵資源もすこぶる豊富である。ただ、マングローブにおおわれた海岸は内陸への居住をはばみ、文化の交流伝播度が遅れているというまでのことである。
 全人口の九割までが原住人、うち約百万人はやや近代文化の影響をうけて進歩している。原住人の文化の向上を助け、開発にあずかってきたのは約二〇万人の華僑で、彼等の多数は商人ではあるが、鉱山、農業をも営んでいる。北部の英領地域はほとんど華僑の支配の下にある。
 この島には、三つの小がたまりにまとまった人口密集地域がある。ここは、農耕をいとなみながらも小都市中心にかたまっている。道路も立派に通じておる。他の地域は、河川が交通路になっていて道らしい道はない。
 密集地の第一は南東部のバンジェルマシン地区である。パトリ川とメラトス山脈の間の平地に、バンジャル人を主として約百万人の人が相当高度の生活を営んでいる。第二の密集地は、ボンティアナックからサラワクの山地にかけて西海岸およびカプアス川の下流部で約四〇万人が集っており、四万ばかりの華僑がその中心となって働いている。物産の主なものはヤシ、ゴム、コショウである。第三の密集地域は北東部の海岸タラカンで、人口二五万、華僑三万、石油採掘の外は、ドスン族八万がゴム、タバコ、米をつくつている。
 ボルネオの農産の第一はゴムで、年輪出一五万トンにのぼるが、ココヤシ、コショウは大したことはない。
 林産は、開発次第で、無限に近い資源を蔵している。鉱産は石油が第一、北海岸のミリ・ヤリア(年産一〇〇万トン)、東北海岸のカラカン島、ブニュ島(年産八〇万トン)、東海岸のサンガサンガ・サマリンダ(年産一〇〇万トン)で、相当大きな産額を示している。精油所も東海岸のバリックパパン、北海岸のルトンにある。
 石炭も至るところに埋蔵されているが、褐炭が多く、あまり盛んに稼行されてはいない。
 金・銀・ダイヤモンド、プラチナが、南東部パリト川の河口にちかいマルダブラ・チェンバカならびにポンティナックの近郊から出る。鉄鉱も東南スブリ島附近から出る。
 以上のように、各種の産物があるが、まだまだその開発の初歩で、内陸までその踏査を進めるならは、恐らく各種各様の天然資源がその開発をまっているであろう。
          一八
 印度洋をこえて東アフリカに眼をうつす。これまでほとんど手をつけられていない広い地城がそこに横たわっている。
 赤く濁ったナイルの流れを流れてくる水草のかたまりをさけ、河馬や鰐の棲む低湿地をぬけて、どこまでも進めは、両岸はしだいに迫ってきて澄みきった清い水が急流をなす山岳地帯に達する。ナイルの水源地域から、はるか南方にかけて、重畳たる山岳地の続く東アフリカの高原地帯である。アビシニアの高原地帯から南にのびる雄大な山地である。ケニア、ルーエン・ゾリなど五千メートル前後の火山がそびえたち、樹木の眼界をこえて、くろぐろと噴出している山頂には、赤道直下にありながら、銀白の氷河が発達し、その浸蝕による湿谷を生じている。
 東アフリカは地形の変化が著しく、紅海から南する大地溝もここを通りぬけることになっていて、世界第二の湖ヴィクトリア湖をはじめタンガニア湖やニアッサ湖がならんでいる。赤道に近い高地は雨量が多く、森林が繁茂する。高度のさがるに伴れて雨量が減る。山麓は典型的なサヴァンナ(粗林)をなしている。バオバブ樹の散在する灰緑色のサヴァンナには、ジラフやカモシカやライオンやシマウマが夥しく住んでいて美しい。
 この疏林地帯およびその上方の高原は、おおむね牧畜の適地である。土地の人たちは、家畜を収容する広揚を中心に大きく環状に家屋を建てめぐらして独特の聚落を形づくっている(それは、映画でよく見る風景である)。
 白人は、広原のところどころに美しい家を建てて小ざっはりした生活を営んでいる。勿論、果物や毛皮の商売をかねて牧畜の仕事の差配をやっているのである。
 高原をはなれて海岸の低地に下ると、竹やぶと入れまじって森林が分布する。ところどころゴム園などあって、熱帯性の植物の生育に適することを示している。海岸にはココヤシが多く、その間の平地には水田があって稲作にも適することを示している。
 平野および高原の農牧の産物は、海岸の商港から輸出されるが今ではまだ大した量ではない。アジアから移住したインド人が主としてその商売にたずさわっている。
 アフリカ一般にほなお未開の地域が多いが、その中でもこの東アフリカは、移住者の努力次第で、農牧ならびに林業の発展する余地が大いにある。
          一九
 ニューギニアの東の南半球に大きな島がある(最小の大陸)。オーストラリアである。
 日本の二三倍、それで人口はわすかに八百万。世界の富裕な国といわれている。
 これにともなって、ニュージーランド島があり、住みやすい地だといわれているが、これまた人口が極めて少ない。このニュージーランドは、イギリス本土より少しせまく、日本の四国と本州とを合せたくらいの大きさであるが、人口は一八〇万そこそこである。大部分は、イギリス人の子孫である。
 オーストラリアとおなじく、白人以外の人種はオフ・リミットの制札を建てているから、この島への移住は、頗る困難とせられているが、資源万人有の原則からいえば、無法な掟を立てたものだといわねはならぬ。世界連邦が成立して、新しい国土計画が立てられることになれば、当然、開放されることになろう。
 ニュージーランドの人たちは、われらの国、南のイギリスとよんでなる。すべてのイギリス属領中最も離れたこの土地が、クックの発見という一事を所有の根拠として、他国人に対して『立入禁止』の制札をいつまで抜かずにおくことが出来るだろうか。
 ことに、オーストラリアのごときは、白ゴーシュー主義とかいうのに立てこもって、日本が、何か無理難題でもブッかけはせぬかとおそれている。立派な独立国として、立派な生活を營むには、広い土地に少ない人口がよいかも知れない。しかし、それは、あまりに、利己的である。天物を私するものである。資源万人有の原則にそむくものである。ひろい土地に少ない人口のゆえに、海岸沿いの都市はともかく、内陸には人手が足らす、よい土地が耕されないで放りだされている。
          二〇
 さらに、南アメリカの広大な地域アマゾンの流れに沿うてアルゼンチン、ブラジルの大きな国土が、人々の来って開発するのを待っている。
          二一
 ブラジルは、南アメリカでは一番大きい国で、日本の二〇倍、北のアアゾン流域の低地と南のブラジル高原とがこの地域の二大要素となっている。
 ブラジルは気候の変化に応じ、多種多様の自然植物景域を構成しているが、その利用開発は将来に残されてなり、移住者の来り住むことを待っている。ことに日本人は、よく働いて役に立つというので、喜び迎えられている。
 ブラジルの産業は、農業が主で、その産額の六割を占める。そのコーヒーは、世界に知られた良品である。ココア、トウモロコシ、タバコ、棉花、サトウキビ、オレンジなど盛んに出来る、麻袋材料のジュートも出来る。米も作ればよく出来る。
 畜産も盛んで、牛、豚、羊、山羊が食糧としても皮革としても多量に産する。工業はまだ大したことはなく、綿紡、製糖、製紙、タバコ製造など、その発達期して待つべきものがある。
 森林国であるだけに、木材業も盛んであるが、アマゾン地域ではゴムの栽培も行われ、その品種の改良を行えば将来大いに発達するかも知れない。
 人口は約四千五百万人、その平均密度は日本の三八分の一に過ぎない。
 日本の移住者はわすかに二一万二千人、すでに相当の成功者を出している。現に、この数年間に、五万家族(二五万人位)の移住が見込まれている。
          二二
 コロンブスの新大陸発見に遅れること八年、一五〇〇年にポルトガルの提督カブラルが、インドへの航行中、赤道流に押し流されて漂着したのが、ブラジルの北部海岸、今日のサン・サルバドルからほど遠からぬ土地であった。彼は、附近一帯の地をポルトガル王の名において占領した。
 カブラルの発見後、ポルトガル政府は数回にわたって探険家を派遣した。
 一五三一年、リオ・デ・ジャネイロが探険され、次で諸地域に及んだ。ポルトガル政府が、初代総督をバイアに駐在させてから、植民地経営が始まった。一五五四年にはサン・パウロ、一五六七年には現在の首府リオ・デ・ジヤネイロの建設を見るに至ったのである。
 当時の現住者は、主としてアメリカ・インデイアンであったが、その数は大したものではなかった。今日のブラジル国の主人公はいうまでもなく西欧からの移住者とその子孫である。
          二三
 アルゼンチンは、南アメリカの東甫部二八〇万平方粁の大国で、ブラジルについで、南アメリカ第二の大国である。人口千四百万、ブラジルと次ぐ。国土の大部分が平原であり、またその大部分が温帯に属している。南アメリカ諸国の中でも一番天然に恵まれた環境をもっている。
 西のチリとの境は高峻なアンデス山脈でくぎられておる。北のボリヴィアとの境もまたその支脈にへだてられている。
 東北のパラグアイ、ブラジル、ウルグアイと境はおおむね大河で隔てられている。かような自然環境のゆえに国境紛争おこらす、起こっても避けやすい。
 国土の一般特色は、低平なパンパ草原である。馬の脊や樹木から見はるかすと、一望さえぎるものもないために何か退屈な感じにおそわれる。
 北に行くにつれて植物相が次第に変化し、南回帰線下は森林の繁茂する亜熱帯性のグランリチャコの平地となる。これらの平原は国土の実に三分の二を占めて平原国アルゼンチンの特相を示している。
 西のアンデス山脈と北東のブラジル高地とに発源する諸河川は、その低平な平野を豊富な水量でゆるやかに流れ、合してラプラタ川となって太平洋に注いでいる。
 あまりに低平の地のゆえに排水には困難がともない、雨量の多い時折、広い湿泥地を見ることになる。南部には波状をなすパタゴニア台地が起伏し、南に行くに従って、岩石の露出を見る。
 首府ブエノス・アイレスは、東京より少し高い程度の温和な住み心地よい地域である。
 原住人はアメリカ・ンデイアンで三〇万、アルゼンチンの総人口からすればものの数でもない。大部分はヨーロッパからの移住者であるが、イスパニア、イタリアの両系がその人口の八割を占めている。
 イタリア、イスパニアをはじめ、一般にラテン系の人々は、文学、美術、音楽などに興味をもっており、その教養の程炭も高く、新大陸の文化国として知られていろ。
 土地利用の状況をみると、耕地はやっと一割(それでも南アメり力では高率)、しかも、その作付反別は三分の二くらいである。牧草地は国土の半ばに達し、大牧場や採草地となっている。
 作物の大半は小麦、次いでトウモロコシである。住民の食糧を充たして、残りを輸出している。特産物に亜麻仁があり。その産額は世界一といわれる。小麦の外、米、ライ麦、大麦、燕麦、馬鈴薯、これ等はみな飼料として用いられる。サトウキビ、タバコも出来る。マテ茶、棉花も出来る。ブドウ、ナシ、リンゴも出来る。
 牛、馬、羊の大牧場は到るところに発達して、その製品も多く、輸出額の九割をしめる。肉類輸出高は世界第一位にある。
 羊毛もまたオーストラリアに次ぐ。世界第二の輸出国である。
 鉱業は忘れられているが、石油も出る。タングステン鉱もある。マンガン鉱もある。
 石炭と林産と水産は何れも不足しているから海外からその必要量を輸出している。
          二四
 さらに、欧亜大陸の内部に眼を放ってみよう。
 ヒマラヤの谷、アラル海、カスピ海、それに接する宏大な草原地域。そこは、もう、どうにもならない昔の作りすての土地であろうか。
 今日の農耕技術と工業技術をもってすれば、たとえば、アメリカのテネシー河の流域に宏大な緑野を築いて多数の人口とこれを住まわせている科学の力をもってすれば、ヒマラヤの渓谷を役に立たない作りすての土地として見はなすことが出来ようか。無限の沙漢がつづくにもせよ、その沙漠の中の島オアシスの生活の美しさを見るならば、その沙漠の島をかためひろげて人々の新住居を作る時代が来ないと誰がいえるだろうか。
          二五
 さらにパミール高原のことを思うて見る。
 地球というものを外から見れば、眼に入るものは海と、陸の山と谷と川とてある。この山を注意して見ると、それは雑然とした配置をとってはいない。いくつかの系統をもって或はそびえ、或はながれ、或はひくまり、或は高まって美しい景観を見せている。そしてそれらの山系は、みなユーラシヤ大陸の中央部に集まり、平均高度五千メートルの高峻な高台地を構戊している。これがパミール高原世界の屋根といわれる地域である。
 このパミール高原を結び目として東南にヒマラヤ・トランス=ヒマラヤ・カラコルムの諸山脈が南に張り出して弓なりに並行し、コンロン山脈との間にチベット高原をいだく。それが、西康で方向を転じてインド、インドシナからマライ半島へと伸びて、それがそのまま太平洋造山帯となっている。西南には、ヒンドウ・クシュ、スレイマンの両山脈がイラン高原をかぎり、カフカス、エルブールッザクロスなどの山脈がヨーロッパ諸山系となってぃる。
 パミールの北のアライから天山、アルタイ・サヤン・ヤプロノイなど東北に連なる諸山脈は、古生代末の褶曲が、中生代末の準平原化の後、第三紀後期の断層運動によって生じた地塊山地で、その間に多くの盆地をはさみながら流れている。
 これらの盆地の中のカラコルム盆地とその円辺の緑地こそ現に大きなオアシスを作って人々の生活を豊かにしている。
 ここにも、まだまだ、住めば住まれる地帯が限りなくひろかつている。もしも、アメリカのテネシー川の工事を思えばである。
          二六
 以上、世界の新しい秩序はいかにあらねばならぬか、その理拠について、所有権の本質を明らかにし、持ち過ぎている国は、その土地を解放して持たなすぎる国の利用にゆだねる親切があってよいという意味をのべ、その一例としてニューギニアその他の地理的説明を試み、開拓の熱意を傾けて、ありあまる日本の人たちをこれに移りすませるならば、日本も助かり、土地の住民もさかえ、その主権国に税金を差出す。八方得の一損なしだと考える。しかるに、それが実現しないのは何故であろうか。日本人がこれに移れば、戦争でも始めはしないかとオーストラリアなどの国がおそれをもつも知れぬというので、誰もそれを強く主張しないでいるためだとおもう。だが、日本はいま、武器を捨てている。戦争を放棄している。平和憲法をまもっている。
          二七
 これまでの世界の開発、すなわちひらけ方を見ると、たとえば、魚の肉の真ん中の骨のないところだけをたべて、その肉のついている中おちの骨や頭や尾のひれつきの肉や、あぎとの骨つきの肉のところをたべのこしてある、楽なよい土地ばかりの開発にすぎなかった。その残滓のうちには、実は眼肉ともいうべきおいしい肉が残ってなり、あごやせはねの骨つきのところも残っている。
 丹精さえすれば、限りなき滋味を満喫することが出来る。機力を加え、労力をおしみさえしなければ、まだまだ味わうべき部分がたくさん残っている。
         二八
 そこで、これからの開発とその利用の方針であるが、たとえば日本のように、大人口をかかえて、その人口のはけ場に困っている国の人々は、いかなる困難とたたかっても、その食べあらしの残りものを処理することによって、残りものの『福』をぞんぶんに味わいつくしたい希望を抱いている。
 その移住が許されるならば、万難を排してその開発に立ちむかうであろう。ただ、その方式をどうするかか問題である。
         二九
 第一には、それぞれの地域には。それぞれの国の主権または管理権がつきまとっている。土地そのものは、労力の来って耕やし、天与の富を世の申のために生かしもちいることを待ち望んでいても、たとえばオーストラリアのように、立入禁止の制札がその主権の名において立てられていろところもあり、またブラジルや、アルゼンチンのように、日本人の来住を待ち望んでいてくれる地域もある。また話しようでは、その主権の下で、平和に移住人が働くことを許してくれそうな地域、たとえはカリマンタンとか、ニューギニアとか、東アフリカとかいう地域もある。
 かりに今、華僑や、ジプシー、ユダヤ人などのように、安住の地を求めに求めて求めあぐんでいる人々に、それぞれの土地に住みつくような方策がどうすれば立つか、流れ流れて風まかせの浮動の人々の楽天地をどうして作ってやればよいか。
         三〇
 それぞれの主権をおかすことなく、相談づくで開発に当る策をどうすれば立てられるか。たとえはある国人が、ある国から、開発の委任をうける。その開発のために生れる耕地、または森林の搬出設備、鉱山の採鉱設備、それを主権国と開発受任者の聞で計画的に話合いをつけるとして、生産物の分配割合をどのようにすればよいか。そういうことの取極めが第一に必要である。
 第二には、主権国の希望によって、一定の移住者が送りこまれる場合、一定の年限、その主権国のために尽せば、あと、その農耕地なり鉱山の採鉱設備なりを譲りうける約束など、どのような形で取きめるのが一番合理的であるか。
 第三、主権国の希望にまかせて勤労に従事ずる揚合、一定年限ののち、その国に帰化永住の道を開くにはその取極めをどのようにすればよいか。
         三一
 何れの場合にもせよ、主権を侵害するような思想は絶対に持ってはならぬこと。従って、どんな意味にもせよ、武器は一切携えぬこと。これは移住の基本条件でなけれなばらぬ。この基本条件を明白にした上で、さて、開発移住に三つの方式が考えられる。
 第一、これは受けいれ国の希望にまかせて労働と技術と経営人をおくり込む場合
 この揚合には入国者の生活を受入れ国に於いて保証する。生産物については、その二割を入国者の自由に任せる。十年後、入国者が希望するならは帰化させる。こういうことになろうとおもう。
 第二、入国者の希望によって、開発勤労を許す揚合
 開発勤労の生産物をそのまま主権国に渡し、生活費に、何程かの功労金を附加して勤労者がもらう。この場合は出来商に応じて報酬を増減するという方式がとられる。基準は、生産物の価から生産費を差引き、その純利益を山わけするというのが原則となるであろう。
 第三、国連または国際機関の判定に基ずいて勤労者が移住する場合
 この場合には、第一、第二、の方法の混合形をとって、主権国が望めば第二方法、入国者が望めば第一の方法という風に、自ずと解決の道が見出されるであろう。
 右の三つの場合、第一は、現に行われている方式だから問題はないが、第二の場合は、個人的な交渉ではうまく行かない。勢い、その移住者送出希望国と移住希望地の主権国との間で、話合いをつけねばならぬ。
 第三の場合もまた、移住希望者の親国から国連なり連邦なり国際最高機関にその斡旋方を申出で、その判定に従うことになるわけである。
          三二
 今、触れなかったことで、も一つ投資開発の場合がある。過去の未開化国に対する開化国の開発は概ね投資開発の方式がとられて来た。
 そして投資開発の揚合は、何々会社というような利益団体が投資開発をおこない、その主権国に対しては、ホンの雀の涙ほどの税金を納入して、生産物はそのまま持ち去り、その事業に働く労働者にはかつかつの生活費を賃金として支払うのみで、主権国はあっても無きに等しい扱いに廿んじていたのである。
          三三
 近来、問題になっているイランの石油紛争のごときはそれが原因になって起きている紛争なのである。従って今後投資開発を行う場合にはかかる轍を踏まないようにはじめから投資会社と主権国との間に厳重なまた正確な正義にもとづいた利益配分の取極めがなされなくてはならぬ。
          三四
 イギリスとイランの紛争の真相は充分明らかになっていないが投資会社は一定の年限を限って主権の指示に従って採掘をつづけ、イラン政府への納金は利益金の半分を下らない程度のものを納めるのが至当である。採掘費と生産物の売上代金との差額をイラン国と石油会社が山わけする方式に於て帳簿一切を明らかにしてイラン国へ石油会社は納金すべきである。採掘費というのは、第一に労銀、第二に間接経費、即ち管理費、第三に一定の積立金、第四に投資償却(すでに償却ずみなれば、これは見ないがよい)。また契約の年限が来れば、きれいにこの設備をイランに譲渡する(償却ずみならば)。また未償却分がのこっているなら勿後何年かの年賦払いでイラン国から会社に償却することになろう。
          三五
 天然資源万人有の原則からいえは、イランに分布されている石油坑だからとて全部イランのものにしてしまう理由はない。全人類にその恵沢をわけあう心持が必要である。国土主権は便宜上認めてあるものであるから、一応主張するのは正しいけれども、独立の余威をかつて石油坑の設備ならびに送油設備をのこらす取あげてしまうのはよくない。筋道を正しく冷静に話しあうならば、おのずから解決の道はあるはずである。
          三六
 始めに仔細に解明しておいた通り、加工が重要な生産要素ではあっても、加工の成果を天然ぐるみ加工者の取分とするのは正しくない。その天然資源の賦存国が独立国になったからとて、投資会社の加工設備をそっくり賦存国がとりあげてしまうのもまた間違いである。
 資源万人有の原則に徹していえば、投資加工者にも賦存国主権忙に分配にあやかる権利があると共に、全人類にもまた何程かその分前にあやかる権利がある。それはいろいろの程度があろうが、仮にその基準の幾つかを立てて見るならば。
            (甲)  (乙)  (丙)
 資源賦存国――――――50%  40%  60%(主権国)
 投資加工者――――――40%  50%  30%(投資国)
 世界連邦(一般人類)―10%  10%  10%(世界連邦)
 このような諸種の場合が想定せられるであろう。
           三七
 世界の重要なる資源についていえば、世界連邦が管理する必要のあるものがあろう。たとえは、通貨の基本になる「金」とか、大産業の基本になる「鉄」とか「石油」とか「塩」とか、そのほか、稀少の故にある国がそれを確保すれば平和をおびやかす危険があろうかも知れぬ「ウラニウム」およびこれに類する金属などは連邦管理の方式をとる必要があろう。ウラニウムの産地として知しれているのはカナダ領のエルドラル地方、ベルギー領コンゴーのシンコロウヴェ地方、チェコスロバキアのドイツ寄りの地方、南アフリカのヴイツトウ・オースランド地方、北アメリカのコロラド台地(カルタイト鉱と併存)、ソ領タシュケントの東二〇〇マイルの地点などである。
           三八
 間宮林蔵の東タタール紀行によると、カラフト沿海州に渡るにはアムール川の河口に近いところから船で渡ったことになっているが、それ以前の世界地図にはカラフトは沿海州北の端のところでシベリアに続いていることになっていたのである。しかし実際に間宮が行ってみると、カラフトとは続いていないで、離れていたというので、この海峡に間宮海峡の名が与えられた。みな人の知るところである。ところが終戦後カラフトがソ連の手におちてから間宮海峡を埋めて沿海州とカラフトを陸つづきにしてしまっているとのことである。昨年あたりこの作業が出来上ったというから、もしこのことが真実であるならば、この冬の日本海の気候にはおそらくある程度の変化があらわれるであろう。これまでよく問題になっていた日本の東北地方の冷害がある程度緩和せられるかも知れす、また沿海州に不凍港が出現するかも知れない。北洋漁業に何がしかの変化がおきるかも知れない。
          三九
 東北地方の冷害の声をきくごとに間宮海峡を埋めたらばの意見が時折出たものである。すなわち潜函工業が発達している今日では、そして日本のようにセメント工業の盛んなところでは大したことではないようにいわれていた。それがソ連によってなしとげられたというわけである。その影響については数年間にわたって調査して見なければ何ともいえないが、事実とすれば、よかれあしかれ何ほどかの変化をもたらすであろう。
 世界国土計画については、語りたいことがまだまだある。日本内地の国土計画についても田中清一君の脊梁山脈縦断道路のこと、信州伊那谷の赤石林道のことなど、語りたいことがいろいろあるが、今度はこれくらいにしておこう。

昭和二十八年八月十日  印刷
昭和二十八年八月二十日 発行
著者  下中弥三郎
発行所 東京都千代田区神田錦町一ノ六 世界連邦建設同盟
印刷所 弘済印刷株式会社