西舘好子さんから『「かもじや」のよしこちゃん』という近著が送られてきた。一気に読んでしまった。昭和15年生まれの好子さんは、浅草橋生まれ。戦後、疎開した福島県小名浜からに浅草橋に帰る。親の商売が「かもじや」だった。かつら屋さんである。下町の浅草橋はゼロからのスタート。小さな家を中心に好子さんの物語が展開する。戦争ですべてを失ったが、人情がたっぷり残っていた。周りのおいちゃん、おばちゃんたちからかわいがられ、友だちもたくさんいて、すくすくと育つ。なんとなく寅さんの柴又と風景がだぶる。浅草橋でもあんな会話が日々交わされていた。

 西舘さんと僕は9歳違い。僕は吉祥寺で小学生時代を過ごした。サラリーマンが少なくなかった吉祥寺とは風景は違うが、貧しい中でも不満や不安などはなかった。楽しかった思い出しかない。友達に恵まれ、大人たちに見守られていたのだろう。僕の子ども時代にはぜいたくなど存在しなかった。たまに口にする35円の中華そばがごちそうだった。知らないことは幸せなことなのだと思っている。

 そもそも子ども時代の生活圏が半径2キロ圏内だった。乗り物は自転車しかないから当たり前のことである。遠足は別として、一番遠い遊び場は井の頭公園。子どもなんていうものはそんなものなのだ。

 僕は今、おじいさんだから子どもの心なんてわからない。たぶん同じように小さな世界で面白おかしく生きているのではないのかと思う。