今日、7月9日は、1971年7月9日のキッシンジャーによる電撃的北京訪問からちょうど50年にあたる。キッシンジャーは周恩来総理と会談し、翌年2月のニクソン訪中を決め、帰国後の7月15日に発表した。第一のニクソン・ショックである。日本には発表のたった3分前に通告があった。孤立していた中国を国際社会に引きずり出すのが目的だったが、中国にとっても歴史の分水嶺となった。9月に開かれた国連総会では、「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」がアルバニアによって提案され、賛成76、反対35、棄権17、欠席3で可決された。バスに乗り遅れてはならないと田中角栄首相はその6か月後の9月、北京を訪問して日中国交を締結した。米中による上海コミュニケは「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府はこの立場に異論を唱えない」とうたった。言葉巧みにアメリカは「中国が一つ」とも「台湾は中国の領土」とも認めていない。日本はと言えば日中共同声明で「中国を唯一の政府と認め」「台湾が中国の領土の不可分の一部である」と踏み込んだ。日米の中国や台湾に対する政策大きな違いは実は50年前に発生している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Voting_res_2758.png