震災と平和-新たな地殻変動の時代 2012年2月1日世界連邦石川

 

 賀川豊彦教の信者に
 午前中に金沢ふるさと偉人館と鈴木大拙館を訪れた。石川県は層の厚い人材を輩出しており、わが高知県と並び人材のパワースポットではないかと思う。高峰譲吉、桐生悠々も然り。ところで世の中は想定外のことが起きる。私の弟が42歳で交通事故に遭った。朝、「行ってきます」と出かけて帰らない。誰にとっても思いもよらぬことが起きる。私たちは予測不可能な奇跡的なところで生きているのである。科学者の故高木仁三郎先生は、原発批判の中で、地球で生物が生存できるのは偶然にも宇宙の放射能から守ってくれるシステムがあるから、それなのに人類はその中に再び放射能を持ち込んでいる、と話された。
 私は1951年高知県に生まれたが、父のいる東京で少年期を過ごした。中高校時代に南アフリカの人種差別(アパルトヘイト)を経験したためジャーナリストになる決意をした。大学時代、当時の階級闘争的な学生運動にも反発し、戦うべき対象は人種差別をする白人であると指摘した。核は武器で原子力は平和利用というが、それは同一なものだ。また、アメリカはアジア同士が仲良くなることを好まないとも考えている。47歳で記者からデスクになり、インターネットで萬晩報(よろずばんぽう)を発行、環日本海時代のシンクタンク・財団法人国際平和協会の理事となり、その機関誌を通じて賀川豊彦を知る。そして。賀川教の信者ともなった。

 救援活動の組織化図る
 1970年頃、EU議長が日本の国会で「EUは賀川精神で成り立っている」と発言している。賀川は1925年頃の小説で、石炭燃料の排煙で街が曇るので煙突を無くそうなどと書いている。1923年に関東大震災が起き、賀川は新聞で見たその日に船に乗り現地へ向かう。全体で10万人の死亡だが、そのうち本所地区は8万人死亡した。風により火災被害が拡大し、その酷いところを救援した。賀川は講演をしながら1ヵ月で数億円を集め、必要物資を購入、配布するなど一年以上の救援活動を行った。。賀川村と言われた避難所では、当時で常時百人位の人たちが救援活動に参加し、行政ができないことを民間で行うことの始まりと言われた。公営に先駆けて、保育園や医療機関物資供給のための協同組合などの組織化を震災救援から学びとり実践していった。雇用保険や公共投資事業等、社会のグランドデザインも既に考えていた。現在でも、緊急事態や法律の軽重などの優先順位はきちんと把握することが必須である。

 協同組合の思想を重視
 ショックドクトリンという言葉をご存じですか。これは緊急事態のときに人は思考停止状態になるのを利用して洗脳し、自己の政策を浸透していくこと。だからりーマンショックであれ、福島の4基の原発であれ、私たちは思考停止状態になることなく、きちんと見ていないといけない。12兆円の復興債を25年で支払うという。年4000億円は会計検査院が不正使用で挙げた金額と同じ。
 来年(2012年)は国際協同組合の年である。株式会社は出資金額の大小で運営が決められるが、協同組合は一人一口の議決権。金額の多寡ではなく、一人一票の議決で運営される。一人ひとりの意思を大切にする制度である。八田与一を含め、多くの明治の人たちは国境を超えた考えで仕事をしていた。日本だけ。のために仕事をしていた訳ではない。もう一度そのこと、その思いを見直すことが私たちの明日の道のために大切なことだと思っている。(世界連邦石川)

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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