夜学会の原点、山嶽社

はりまや橋商店街で夜学会を復活させたのが2015年1月。高知市土佐山西川に山嶽社跡を見つけたことがその原点にある。板垣退助の秘書で、萱野長知とともに孫文の中国革命に尽くした和田三郎の生家でもある。自由民権運動の影響を受けた医師・和田波冶・千秋父子が自宅を提供し寺子屋をつくったのが始まりで,後に門下生の高橋簡吉が遺志を継ぎ,民権結社山嶽社を結成し,県下各社と連携をとりながら発展させた。

明治15年11月12日、東京を追われた民権家、総勢2000人が巻狩大懇親会と称して、この地に集った。政治的デモが認められなかったため、「巻狩」と称して気勢を上げたのだ。「自由は土佐の山間より出ず」という有名な言葉はひょっとして、この巻狩に原点があるのではないかと思っている。

当時、高知県には190もの夜学会があったとされる。議論の場が各地で出現し、県内で平均して2日に1回、夜学会が開かれていたと考えれば、歴史の壮観であろう。高知は決して酒ばかり飲んでいたのではなかった。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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