3月1日(金)の夜学会

午後7時から

はりまや橋商店街イベント広場

講師:伴武澄

明治になるまで、公教育などという概念はなかった。明治時代に入って、小学校から始まり、政府が教育に力を入れ始めた。人材を育成することが至上命令だったのだ。そんな折、高知で何が起きていたか、まず立志社が学び舎をつくった。自由民権運動を広げるために夜学会が全県下200カ所で運営された。官もさかんに学校をつくったが、民も競うように学校をつくった。高知学園の前身も明治時代に誕生し、土佐女子も生まれた。竹内明太郎は高知工業学校を建学した。土佐中は大正末期である。民間人がもうけた金で学校をつくったのだから、すごい時代だった。今年4月には「森のがっこう」が開校する。私学校としては久々の快挙なのかもしれない。

ミネソタ生まれのチャーター制 http://www.yorozubp.com/0609/060922.htm

高知高校:1899年4月、江陽学舎として創立。1919年4月、城東商業学校設立。1948年、城東高等学校・城東中学校設立(現在の高校と中学)。 1952年、学校法人城東学園に、1956年、学校法人高知学園に組織変更、高知高等学校・高知中学校に改称。100年以上の歴史を有する。 野球部は中学・高校共に全国大会での優勝経験がある。高知学園のシンボルとして、朝の朝礼と6時間目の授業終了時の2度鳴らされる「世界の鐘」がある。

土佐女子:1902年(明治35年) – 私立高知女学校設立。

高知工業高校:1912年(明治45年)に開校した「私立高知工業学校」を前身とする。宿毛市出身の実業家兼政治家、竹内綱・明太郎親子の「工業富国基」の信念に基づき、工業技術者を養成する高知県下唯一の工業教育機関として創立された。

土佐高校:1920年(大正9年) – 現学校法人の前身にあたる川崎・宇田財団法人と土佐中学校(旧制)の設立が認可され、創立者の一人・川崎幾三郎の控家で授業開始。初代校長には三根円次郎が就任した。