4日の日曜日、高知市でオウスさん旭日中綬章の叙勲を祝う会が開かれた。 主宰したのは高知ミナポート会と南国市国際交流会である。旭日中綬章は国 際交流に尽くした外国人に与えられるもので、70歳以上の人がほとんどだが、 オウスさんはまだ50代である。

 オウスさんは1880年代後半にガーナから高知大学農学部に留学。博士号を 取得してガーナ大学に帰り、農学部長を経て2年前、ガーナ大学総長に就任し た。農学部は南国市にあり、そのころから多くの日本人と付き合った。

 祝う会の隣に座っていた男性にオウスさんとの関係を問うと「僕は後免の駅 の近くで自転車をやっているのだが、オウスさんの下宿がはす向かいにあってね、いい人なんだ」。2年前の総長就任祝いをした時は、200人以上の市民 が集まった。当然、農業関係者が多かった。誰とでも気さくに付き合う人柄 がオウスさんファンを形成している。

 ガーナ大学の総長というのは、実は大統領に次ぐ国家のナンバーワンの地位 にある。そのナンバーツーが関西空港から夜行バスで高知入りするから面白 い。「ガーナ大学の総長は宗主国のケンブリッジやオックスフォード出身が ほとんだだったが、名もない日本の大学を卒業した僕が就任したからみんな 驚いているはずだ」

 あいさつで「ガーナはもう援助に頼っている時代ではない。自力で国づくり に励まなければならない。そこで必要なのが教育である。日本で学んだ最大 の価値は正直と真面目である。ガーナでは高校の無料化が始まり、9万人の 学生が新たに学校に通うようになった。今まで職もなく町でぶらぶらしてい た青年たちが今後どう意識を変えてくれるか期待している」などと述べた 。

 日本とガーナを結ぶ接点は野口英世博士にある。我々の世代でいえばロッテ のガーナチョコレートである。カカオ豆の生産はもはやガーナがトップでは ない。周辺国に生産が移っているが、ロッテは頑なにガーナに固執している。 商品名にしてしまったから仕方がないかもしれない。

 2000年代に入ると高知市の土佐高校出身で、弁護士の浅井和子さんが突然、 ガーナ大使に任命され、高知とガーナのつながりは輝きを増すことになる。 浅井大使はガーナでのよさこい躍り普及に乗り出した。オウスさんの母校で あるセント・ピーターズの協力を得て、毎年、よさこい祭りがガーナの首都 アクラで開催されることになる。 セント・ピーターズは土佐高校と姉妹提携し、相互の交流が始まった。

 セン ト・ピーターズの学生は毎年8月に日本にやってきて、原宿のスーパーよさ こいに参加している。ガーナのよさこいは当然ながら強烈な太鼓のビートが 効いている。踊りも日本人には真似が出来ないほど激しい。彼らのよさこい を見た人たちは誰もが、よさこいがここまで変わるのかと驚かされる。

 叙勲のお祝いの会に参加していて、「あー、本当はよさこいもオウスさんが 仕掛けたのかも知れない」と考えるようになった。 ミナポート会は地元企業の西山彰一さんらが率いる留学生支援の組織で、食 事会やホームステイ、音楽会などを開催している。最後にみなでガーナを訪 ねる会を組織することになった。一人の留学生がこれほどまでに母国と高知 をつないだ事例は知らない。どこの自治体にもないと思う。