8月29日、鳴門市賀川豊彦記念館に呼ばれて「賀川豊彦の死線を越えて」と題して平和講演した。地元紙の徳島新聞、朝日新聞、毎日新聞が取材に来てくれた上、鳴門のCATVまでが収録してくれた。

賀川豊彦の思想に学ぶ 国際平和協会会長が講演【朝日】
http://www.asahi.com/articles/ASH8Y5VSRH8YPUTB00W.html
国際平和協会長「不戦の誓い世界へ示せ」【毎日】
http://mainichi.jp/…/tok…/news/20150830ddlk36040371000c.html

 話の内容は配布したレジュメとはかけ離れてしまったが、我ながらうまく話が出来たと思う。


 憲法9条は「戦争破壊の十字軍」 元共同通信社記者 伴 武澄

 賀川豊彦が生きていたら、安倍晋三首相の安保法制についてなんと言うだろうか。
 思い出されるのは、賀川の『少年平和読本』だ。戦後まもなく誕生した国際平和協会の機関誌「世界国家」に連載されたものである。
 ダーウィンが提唱した弱肉強食の世界に対抗して、弱い生物が逆に長い間生存を続けてきたというアンチ『種の起源』ともいえる世界観を綴ったものである。甲羅を解いたことによってタコが生き延びた事例やライオンを子どもの時から愛をもって育てれば決して人に危害を加えることのない動物に育てることができるなど、実証的に子どもたちに伝えるまさしく「読本」である。
 僕が国際平和協会に関わって、まず初めて感動したコラム集である。60年の歳月を生きながらえて学んできた、強いものが弱いものを征服してきたといわれたダーウィン史観が次々を打ち砕かれていくことに小気味いい気分にさせられたことを思い出す。
 振り返ってみれば、僕らが学んできた歴史はほとんどが戦争の記述ばかりである。賀川は戦争を一番してきたのはヨーロッパの人たちだと書いている。
「学者の調べによると、紀元前1496年(エジプト新王朝時代)から紀元後1861年(アメリカ南北戦争)まで、3357年のあいだに、西洋だけで3130年間、戦争がつづいたという」「この戦争は、近代になってもいっこうへらない。最近わずか300年間に、ヨーロッパだけで286の戦争があったというから、毎年一つずつ戦争が始まったという計算である」
 安倍首相は「国民の生命、自由、及び幸福追及の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」に対処するために自衛隊の海外派遣が不可欠だということをしきりに言い続けている。その一方で、中国の反日姿勢をそのまま返す形で暗に中国への強硬策の必要性を煽っている。僕はこれをマッチポンプといいたい。
 賀川は戦争の根底にあるのは「憎しみ」にあると説いた。憎しみが復讐心、報復心を生み、「暴をもって暴に報いる」ことになることを避けなければならないと繰り返した。日本人の命を守るために戦争をするなどは賀川にとって耐えられないことだった。
 賀川は日本が戦後、新しい憲法を制定し、武力放棄をうたってことの覚悟を次のように語っている。
「われわれ日本人は人類を破滅からすくい出すために、戦争破滅の十字軍をおこしたのだ。そしてこの十字軍は、無戦世界の実現にむかって一歩をふみ出したのだから、たとえ戦争の脅威がせまっても、あくまで戦争放棄の旗印をまいてはならない。人類の救いのために、われわれは鉄砲一丁もたぬ丸腰のまま、地球の一角に立ちつづけねばならない」
 安倍首相とは逆に日本人の命をかけても憲法9条を守り抜けと言っているのである。
 平和読本には次のような逸話も載せられている。つまり、ナポレオンがセント・ヘレナに追放の憂き目にあった時の話である。
「側近者が『あなたの英名は世界の征服者として永久にのこるでしょう』といって慰めたところ、彼は頭をふって『そうではない、わたしは世界征服の失敗者だ。そして永久に人々からひなんをうけるだろう』といった」
「で側近者が『ではあなたをほかにして、誰が世界の征服者ですか』と問いかえすと、ナポレオンは言下に答えた。『それは、人類のために、はりつけになって死んだ、ナザレの大工イエスこそその人だ』。まことにその通りである。剣をもって征服した者は剣でたおれる。古来、侵略戦争の下手人たちの末路はきまっている」
 戦後の賀川が期待したのは世界国家の樹立だった。第一次大戦後、あまりにも多くの犠牲者を出したヨーロッパで不戦への思いが高まった。ヨーロッパの国境をなくすことを提唱したのはクーデンホーフ・カレルギーだったが、ヒットラーの出現で再び第二次大戦が始まり、ヨーロッパはさらに大きな惨禍に見舞われた。
今ではほとんど忘れ去られているが、戦後、ヨーロッパを中心に、戦勝国による国際連合ではなく、世界が武力放棄をして世界国家を建設しようという機運が本当に高まっていたのである。
 賀川は1920年代の世界恐慌を受けて、資本主義でもなく、社会主義でもない協同組合主義による国家運営を考え、1936年、ロチェスター大学のラウシェンブッシュ講座で「ブラザーフッド・エコノミー」と題して講演し、その内容はただちにニューヨークで出版され、十数カ国語に翻訳された。賀川は協同組合主義者として世界的名声を勝ち得ていたのである。
 地球規模に世界国家樹立の機運が高まり、シカゴ大学ではその憲法草案が発表された時期、賀川は日本で世界連邦建設期成同盟を立ち上げ、各地の自治体が相次いで世界連邦宣言を打ち出した。世界連邦アジア会議が広島で、そして京都、東京で開催され、その運動の精神は1955年、インドネシア・バンドンでのアジア・アフリカ会議に引き継がれた。
 国際連合は最も資本主義的組織である。戦勝国が安全保障会議を牛耳り、それぞれが拒否権を持つため、アジア・アフリカの新興国の意志は無視されがちである。それに対して,世界国家は、協同組合の精神に則り、一国一票の上院と人口割りの下院が議決権を持つ。
 確かに世界はTTP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉を見るまでもなく、多国的貿易交渉において経済が国境を越えていく方向にある。だが、貿易交渉では強者の論理がますます鮮明になりつつある。賀川が求めていた方向とは逆行している。
 協同組合は「一人は万人のために、万人は一人のために」であらねばならない。弱肉強食という資本主義的経済合理性に対抗してロッチデールで生まれた運動であるはずだ。キリスト教でいうところの兄弟愛である。戦争放棄はまさに協同組合精神そのものであるはずである。
 賀川豊彦が生きていたなら、農協を含めた全国の協同組合組織に安倍安保法制に反対ののろしを上げるよう号令をかけただろう。たぶん「協同組合は経営体の一つではない。運動の一つである」と言っただろう。
賀川の言う「丸腰になっても不戦の誓いを守る覚悟」はそう簡単ではない。しかし、僕らに残された道はその覚悟を世界に示すことしかないと思っている。