90年代、大阪経済部でデスクをしていた時代、後輩がユアサ電池の本社を取材して帰ってきた。
「玄関に古い電気自動車がおいてあって、聞いたら、創業者の島津源蔵が通勤に使っていた代物だそうです」と話した。
 当時から電気自動車に興味があって一度見たいと思っていたが、果たせずに忘れたままになっていた。6日の日経新聞のサイエンス欄にその電気自動車のことが書いてあって、昔の話を思い出した。
 その電気自動車は1917年にアメリカから輸入した2台の電気自動車のうちの1台だった。島津源蔵は京都の島津製作所の創業者で、1985年、日本初の鉛電池を開発して日本電池を立ち上げた人物。京都市内の自宅から会社までの20キロの道のりを30年にわたりその電気自動車で通勤した。
 当時の技術で1回の充電で40キロの走行が可能で最高時速は60キロまで出せたのだというから驚きだ。
 ものの本によると、20世紀になったばかりの自動車の半数は電気自動車だった。ガソリン車の性能があまりよくなかったのと、そもそもガソリンスタンドなるものがそこらにある存在ではなかったから、1回の充電で40キロも走行できれば、ガソリン車と利便性において遜色はなかったのだ。
 世界の歴史を根本的に変えたのが20世紀に入ってからのアメリカでの石油資源開発とガソリン車の普及だった。石油開発会社が大きくなり、アメリカ経済全体を牽引するようになった。IT産業が生まれるまで、アメリカの収益トップ企業はずっとエクソンだった。
 経済構造のすべてが石油を使う方向に転換された。極端な例は1930年代、ゼネラル・モータースが全米の路面電車を買い取り、挙げ句の果ては線路を引きはがし強引にてアメリカのモータリゼーションを促したというから尋常でない。
 1990年代、米カリフォルニア州が大気汚染防止の立場から「ゼロエミッションカー」の導入を促す法律を成立させ、GMやトヨタ、ホンダなどが相次いで電気自動車を開発・販売した。GMはEV-1というスポーツカーを販売したが、ブッシュ政権の時代、カリフォルニア州の法律が憲法違反だということで葬り去られ、EV-1は全車、GMによって買い戻され廃車処分されるという事件があった。
 そのいきさつは「Who killed the Electric Car」という映画になって残されているが、ブッシュ政権になって石油資本の政治力が復活したのがその背景にあったことは誰の目にも明白だった。
 3.11をきっかけに原子力発電が危険であり、いったん事故を起こした時のコストを考えれば、安いエネルギーでないことが明白になった。にも関わらず、原発の開発をやめると宣言したのはドイツのみで、どこの国でも原発依存への傾斜をやめることをしていない。
 21世紀に入り、世界の歴史が大きな転換点にさしかかっていることは多くの識者によって指摘されているが、現実の経済は20世紀を大きくひきずったまま続いている。政治が独占資本に支配されているからだ。地球を破壊の道に導くことがわかっていてもやめられないのが独占資本である。
 エネルギー問題しかり、戦争の問題もしかりである。アメリカのすごさは21世紀の独占禁止法という法律をつくり、独占資本の存在をいったんは否定したことである。おかげで20世紀初頭に巨大石油会社やたばこ会社が分割された。30年代には銀行による証券の兼業は禁止された。
 しかし、抜け道はいくつもあり、石油資本は20世紀を我が物顔で駆け抜けた。90年代からの経済のグローバリゼーションの問題点は独占禁止法が国境内でしか取り締り権限のないことをよいことに国境を越えた巨大企業を許していることである。