【賀川豊彦セレクションⅩ解説】涙の二等分

 この詩集を読んで涙しない人はいないだろう。『涙の二等分』いうタイトルには、筆者と読者が涙を分け合うという意味合いが込められている。90年たった現在の大人にも子供にも読んでよしいという思いがある。

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 僕自身の勝手な読後感を書こうと思ったら、自然と詩になってしまった。

今時、こんな詩を読んでどうなる。
そもそも時代が違うではないか。
そんな声が聞こえる。
否、僕は読む。あえて読みたい。
今の時代に足りない、人間の感性にもっと触れたい。
そんな思いでこの「涙の二等分」に向き合う。
一字、一字、キーボードをたたいて
賀川豊彦の実在を確認する。
そして自分の実在をも確認する。
貧民窟に住んだ
その繊細な先人の
人との葛藤が
伝わる。
自らの決断で貧しさの極地に立ち入り
貧民窟の迷路に彷徨いながら、
日を送る人生。

神はいるか。
否、神はいる。
そう信じたい。
でも
でももう一度聞く
本当に神はいるのか。

 与謝野晶子はこの詩集に寄せた「序」で「語法や仮名遣ひの間違いを可なり多く持って居るにも拘らず、其等の外面的なものを超えて、賀川さんのみづみづしい生一本な命は最も旺盛にこの詩集に溢れて居ます」と書いている。
 与謝野晶子のいう通り、賀川の作品には誤字脱字が数限りなくあった。現代に生きる作家であったら、編集者だけでなく、読者にもこっぴどく叱られたであろう。
 賀川の多くの作品は推敲もなく、書きなぐっただけで出版社に送られた可能性が高い。もちろん賀川自身が運動の継続のためにお金が必要で書きなぐったのは確かだ。しかし、賀川の作品には当時の日本社会が抱えていた問題そのものを自らの感性で書き綴ったことも間違いない。それでも当時の多くの人々が賀川の作品に引きつけられたのは、まさに与謝野晶子のいう、この「みづみづしさ」にあったのだといえよう。
 表紙装丁は初版本の内表紙を元に復元した。(2013年8月20日)

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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