厳しく品のよい興福寺の仏頭
年末に心落ち着けて美しいものを愛でたいと思っていたら、日経新聞「美の美」で興福寺の白鳳時代の仏頭の話が出ていた。
このお顔にはどことなく品のよい厳しさが漂う。
興福寺の仏頭の写真は多くあるが、実はこの角度のものは少ない。多くは左側からピントを合わしている。たぶん、左側の法が柔和なお顔をしているこからだろうと思う。
高校を出て、初めて奈良を一人で散策したとき、最初に目指したのがこの仏頭のある興福寺だった。
種明かしすると、高校の日本史教科書で出会ったことがきっかけだった。その後、何回も興福寺には足を運んで、再会を果たしている。
ギリシャのエーゲ海の大理石彫刻もすばらしいが、日本が世界の誇れるのは、飛鳥以来の仏像彫刻ではなかろうかと思っている。
この物頭は1937年10月31日、興福寺の東金堂の本尊、薬師如来の台座から見つかった。
この仏頭はもともと、東金堂の本尊だったが、室町時代に火災に遭い、焼け落ちた際に焼け出されたものだが、その後、所在が分からなくなり、やがて存在そのものも人々の記憶から消え去っていた。
もともとは桜井氏にあった山田寺の本尊だった。山田寺は蘇我倉山田石川麻呂の寺だった。が、石川麻呂は讒訴のより自害を求められた。その後もこの本尊がずっと山田寺を守ってきたが、歴史書によると、1180年の兵火で東金堂が再建されたとき、山田寺から持ち運ばれた。