土佐山に信号機などないと思ったら大間違い。1基だけある。役場の前の県道16号にある。以前近くに保育園があって、子どもたちが渡る時に危険だということで設置されたのだそうだ。その後、保育園は移転したため、信号機は不要になったが点滅信号としてまだ存在している。
 僕が7月から3カ月土佐山に住んで一度も「赤」に転じたことはない。正直に言うとみたことがないということになる。信号機のない村といえば、それだけで売り物になると考えたが、だれも関心を示してくれなかった。不要な電気代を払って今日も土佐山唯一の信号機は点滅している。
 とある会合で出席者の一人が面白いことを言った。
「高知で最初に交通信号機が導入されたとき、どんなに説明しても人々は意味が分からなかったに違いない。”進め””止まれ”が分かってもなぜ規則を守らなければならないのか。新しいツールが導入されたときの反応はいつの時代も同じではないか」
 それで家に帰って、その”いつ”を調べてみた。日本では1930年(昭和5年)に、東京の日比谷交差点にアメリカから輸入した電気式の交通信号機(右=縦型だった)が設置され、その年の12月に,国産第1号の自動交通信号機が、京都駅前ほか2か所に設置されたのだそうだ。
 昭和初期ということに驚いたが、そもそも日本に自動車が数千台しかなかったから当たり前といえば当たり前の話なのである。ちなみにその信号機には、青灯に「ススメ」、黄灯に「チウイ」、赤灯に「トマレ」と書かれていた。
 世界初の電気式信号機はニューとヨーク市5番街の交差点に設置されたもので、日本より12年前の1918年で、この時,黄色は「進め」、赤が「止まれ」、緑が「右左折可」であったようだ。交通信号は1868年、ロンドンで始まったもので、当時電気はなく、ガス灯を使った。もちろんロンドンの町を走っていたのは馬車ばかりだった。
 記者になったばかりのことである。滋賀県警の偉い人に言われて合点したことが頭にこびりついているからなのだ。
「伴おまえ、なんでこんなに信号機が増えたか知っているか。交通事故が起きるたびに信号機が設置された結果なんや。交通事故は確かに悲惨なことなんやけど、信号機をつけたからといって交通事故が減るものでもない。信号機のある交差点でも起きる時は起きるもんなんや」
 確かに信号機は交通を潤滑にする優れものである。でもいらないところにまで設置する必要はない。電気代はかかるし維持費だって半端じゃないはずだ。いらなくなれば廃止しればいい。
『交通信号機のルーツをさぐれ! 』(2001年、アリス館)があるらしいが、絶版である。