高速の高知道で大豊町に入るとすぐに「太平洋まで50キロ」というサインが登場する。誰が考えたのか、いい響きの看板だと思う。
 JR土讃線も高松から百いくつのトンネルを抜けると視界が急に開けて明るい南国の空が広がる。その先の大海原を予想させる瞬間である。それほど高知は太平洋のイメージが強いのである。楽天的な県民性はその太平洋のおおらかさがもたらしたものなのかもしれない。
 水平線のかなたには何もないが、時代を遡れば、そのずっと先のミクロネシアとの行き来があったかもしれない。そもそもアカデミーのスタッフリーダーの内野加奈子さんは5年前、ハワイからミクロネシアの古代船「ホクレア」に乗って日本にやってきたことがある。
 逆に明治期に高知からミクロネシアに渡った日本人がいる。森小弁といい、自由民権運動に敗れて南洋開発に携わるうちにトラック諸島の酋長の娘と結婚し、現在、子孫は3000人にまで増えている。トラック諸島はその後、チューク諸島と呼ばれ、ミクロネシア連邦の1洲となった。大統領のマリー・モリはその4代目にあたる。
 ちなみにパラオの初代大統領、クニオ・ナカムラ氏は伊勢市の船大工の末裔である。
 4代で3000人に増えるというのはにわかに信じがたい。日本が第一次大戦後に統治したとき、戸籍制を導入し、名字をつけさせた。どさくさまぎれにモリ姓を名乗った人も少なくないのではと考えているが、人口10万人の連邦国家の中に森姓が3000人もいることは心強い。
 土佐山にはもちろん海はないが、瀬戸内海の海の民たちがそのむかし、山に追い込まれ、さらに南下して土佐山までやってきた。何十世代も後の子孫たちが、ついに南の明るい高知の平地に到達して海原を見つけた感慨は決して小さな物ではなかったはずだ。もちろんその時、ミクロネシアの子孫たちとも海岸線で出合っているはずである。
 土佐山にはぜひとも「太平洋まで20キロ」の看板を掲げたい。
 森小弁については高知新聞の記者がかつて連載記事を書き、『夢は赤道に-南洋に雄飛した土佐の男の物語』として出版された。