☆もちろん日本選手の活躍には期待しているけれど、各国の選手の緊張の合間の何気ない仕草、勝利したときの歓びや負けた悔しさ、それぞれにお国振りも相まって見ていて微笑ましい。とくに普段聞いたこともない途上国の選手だと、なおさらだ。思わず応援したくなる。スポーツ先進国の選手たちだって同じ苦しさを味わっている。とくに重量挙げなど途上国優位の競技に出場する欧米諸国の選手たちにも同じ感情が湧く。やれ金だ銀だとメダル本位の報道の陰に隠れがちな大切なメッセージが、オリンピックには沢山埋まっている。(女子柔道48kgを見て)
 ☆有望コメンテーター発掘!鈴木聡美100m女子平泳ぎ。予選の時からインタビューのやり取りがしっかりしていて纏まりがあり、なおかつ言葉遣いと語彙の豊富さが目に付いた。そして何とも一途な眸と愛くるしい笑顔。爺さまはこんな娘がお茶の間に登場してもらいたいのだ!(競泳女子100m予選)
 ☆永井も吉田麻耶も大津も素晴らしかった!この試合でもう一つ印象に残ったのは審判。この人は確かスペイン戦も笛を吹いたと思うがホントに細かい所までよく見ていた。そしてどちらの試合でも躊躇なくREDを出した。その彼にユニフォームを相手選手に掴まれたと酒井宏樹が自分の両目を指し「よく見ろ!」とジェスチャーした。この選手は時折湯沸かしのようにカッとなる。7万の眼の肥えた観衆の前でこの行為は恥ずかしかった。サッカー男女、競泳メドレー男女、皆いみじくも「チームの結束力」を勝因に挙げていたのも印象的だった。やはりこの国の強みを如何なく発揮できるのは「和の国ニッポン」なんだなと改めて思う。(男子サッカー 対エジプト戦)

 オリンピック雑感
 一大スぺクタクルをまるで「村の鎮守の夏祭り」のようにミニマイズした運営コンセプトが、とても好感のもてる大会だった。技術と資金力に物をいわせる米国流、未来志向のフランス流、国威発揚の中国流のどれとも違って、英国の真骨頂というか陰で仕切ってピリリと光らせるセンスのよさは、流石に伝統に裏打ちされているなと舌を巻いた。どんな趣向の大会でも素朴な地球村の祭りを感じさせてくれるシーンがある。それは五輪旗の入場とオリンピック賛歌だ。毎回この場面を目にする度、理想を夢見た若い頃の気分を思い出させてくれる。今回はこの場面が全体に自然に溶け込んだ観衆志向の大会だった。さしずめ競技は、祭りの相撲大会のようなものだろう。成熟後の国の一つの行き方なのかもしれない。もっとも日本がこれを真似るには百年早いかも知れない。世界中の人々のお茶の間に親近感を届ける大会だったのではないだろうか。
 競技を見ていて強く思ったのは「本番に強い」若者がどんどん出始めているということだ。4年に1回の本番で世界記録やオリンピック記録を出せるというのは生易しいことではないだろう。これは世界的にもそうだが取分け日本は特出していた。稽古場横綱で本番に弱いのが私たち世代の日本人の代名詞だった。世界では刃が立たぬまでも自己新記録を本番で出す若者たちに頼もしさを感じた。日本人も徐々にではあるが確実に変わりつつある。
 その背景にあるのはアスリートの「お国のために」という感覚からの脱皮と「まず楽しんで、成果が出たら国のみんなの元気と励みになれる」というような変化だ。同じような言葉だがスタンスが真逆なのだ。旧来価値観で頑張っちゃった象徴が柔道界ではないだろうか?その意味で指導者や教育者の時代感覚、世界感覚が問われている時代なのかも知れない。指導者というのはすごいものだ。典型的なのがシンクロナイズド・スイミングの井村雅代コーチ。出る杭は打たれる式に日本の社会に居場所を失くして、中国に活路を求め銀メダルを取った。
 日本のスポーツ界は楽しさを創りだすことで強くなれることを学んだ。組織の力や結束力は定評あるのだから、後は個人の身体能力の向上だろう。科学的解析力はお手のものの国だから必要なのは資金的後押しだろう。「2番じゃダメなんでしょうか?」という発想では2番にもなれないのです。メダルが必要なのじゃなくて、メダルへのアプローチのスタンスがいまこの国には必要とされてるのではないだろうか。しかし理屈は抜きにして金銀銅に関係なく、見ごたえのある競技が多かった。マスコミも一時よりはメダルメダルと云わなくなった。いいことだ。
 最後にもっとも印象に残った競技とアスリートのコメントをいくつか。やはり「なでしこ」そしてキャプテン宮間の一言ひとことは胸を打った。「決勝で負けたがいい試合ができた。ここに来るまでに倒してきた全てのチームの思いも胸に試合に臨んだ。後に繋がる試合が出来たとおもう」そしてボクシングの村田選手「神様が僕に味方してくれた。これがゴールなら感動して泣き崩れていたでしょうが、このメダルが僕の価値ではない。これからの人生が僕の価値になる」試合を終えた直後になかなか言える言葉ではない。普段から思っているからこそ、口を突いて言葉になるのでしょう。宮間選手も村田選手もその意味で将来スポーツ界いや社会の指導者の素養を持った人だと思います。

(あとがき)
☆サッカー三位決定戦には、そんな祭り気分が吹っ飛び不快感とやり切れなさが残りました。日本に勝てば兵役免除とか、領土問題のプラカードなどで折角の気分が台無しになりました。でも次の投稿がすっきりさせてくれました。 (記事はHinako Sugioka Israelさんから頂きました)
 以下がその記事引用と外国人記者が撮った写真です。「素晴らしい若者たち!」
「韓国に敗れ、銅メダルも手中にできなくて悔しい思いや残念な思いをしたのは選手だけではない。スタジアムで日本チームを応援し続けたサポーター達もかなり悔しかったはずだ。しかし、日本人サポーターは日本での試合後と同じように、自分達の応援席のスペースのゴミ拾いや清掃をしていた。ややもすれば、負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出る輩もいるというのに。だが、この行為の根底にある精神こそが日本人が長く培ってきてきた武士道にも似た精神であると信じている。そして、この清掃をする日本の若者達に感謝したい気持ちでいっぱいである。」