7月19日(木)。昨夜来の雨が続いた。土佐山の雨はというより高知県の雨の降り方は凄まじい。雨粒が跳ね返って下からも雨が降るという感じである。その昨夜は菖蒲という土佐山で一番東の地区の杉本商店で酒を飲んでいた。
 杉本さんは元みずほ銀行の銀行マンだった。定年を待たずに帰郷し、お店を引き継いだ。土佐山には見た限り商店が五つしかない。二つは地元の農産品を中心とした直販店、一つは農協のAコープを引き継いだ土佐山ストア。後二つは杉本商店と桑尾地区にあるもう一つの酒屋。杉本商店は高知新聞の土佐山での販売店でもある。朝4時に起きて新聞を配達した後、高知市内まで車を走らせて市場で食料品を仕入れて販売する。夕方からは店先に村人が寄り合って飲み屋に変身する。だから村で一番営業時間が長い。土佐山アカデミーのスタッフたちは杉本バーと呼ぶ。
 昨夜は杉本さんと僕と後二人お客がいた。僕は缶ビールを飲んでいた。杉本さんが二人を紹介してくれた。一人は永野さんでもう一人は岩崎さん。岩崎さんに名前を聞いたら豊秀という。何やら戦国時代にいても良さそうな名前である。祖先は伊予の河野一族で戦国時代に高知にやって来て長宗我部に仕え、山内の時代になって土佐山に逃れた。だから豊秀という武将のような名前を持っていてもおかしくない家柄なのである。
 杉本さんが「伴さん、この岩崎さんの祖先は有名人ぜよ」といった。「鏡川ですか」「そうそう」。鏡川は「きょうせん」と読む。土佐山を源流として西に流れ180度回って浦戸湾に流れる川の名称であるが、こちらは「かがみがわ」と呼ぶ。
 岩崎鏡川は本名秀重といい、明治7年に生まれ、大正15年に亡くなった。村史によると「村不出世の文筆家」ということになる。祖父の秀生(ひでなり)は菖蒲の白山神社の神主で桜陰(おういん)という雅号を持つ国学者でもあった。鏡川は地元の小学校を卒業した後、高知市の中学に入り、中退して東京に出て出版や新聞編集に携わった。明治維新史に没頭し、名前が残ったのは「坂本龍馬関係文書」を編纂したことによる。この文書はその後の龍馬研究者のバイブルのような存在になったためだ。
 今も土佐山菖蒲1441番地にその家が残り、豊秀さんが住んでいる。ただ鏡川は村を出て帰って来なかったので家は鏡川の弟が引き継いだということらしい。
 杉本バーは酒飲みの僕にとって理想の飲み屋だ。一時期、飲み屋をやりたいと思ったこともある。しかし自分が酒に飲まれて勘定を取れなくなると思った。だが酒屋の店先でやれば少なくともビール代とあての缶詰やら乾き物の代金はいただける。ご近所と楽しみながら「損」をしないで営業ができる。そんな思いが頭をよぎる。
 アカデミーのスタッフによると今、土佐山で一番元気のいいのが菖蒲地区らしい。村唯一の「バー」もあるのだからそりゃそうだ。
 土佐山14の地区では年に2回氏神様の祭りを行うが、菖蒲だけは8回も行っていると説明するがそれだけではない。15日の日曜日に年に一度だけのビヤガーデンが開かれたが、200枚発行する3500円の前売り券はあっという間に売り切れるそうだ。高知市内からも大勢やって来る。今年は来なかったが現知事の尾崎さんも常連で、元防衛庁長官の中谷元さんも顔を出していた。村のビールを飲みに20キロ、30キロ車を走らせて来る楽しい一夜だ。断っておくがみんな帰りは代行タクシーである。