国会では予算の審議が続いている。平成24年度予算では、建設国債、赤字国債とは別に交付国債を発行する計画である。政府によれば、交付国債は震災の復興のための原資とするとの説明なのだが、お金に色がないのと同様、国の借金にも色はないはずである。
 交付国債の理屈は将来の時限的増税で賄われるのだから、普通の国債とは違うというのだ。そこまで言葉にこだわるのなら、普通の国債は「返済予定がない」ということにもなりかねない。
 国家経営は詐欺的にみえることがあまりに多すぎるとずっと考えてきた。ここでは「特例」だ。
 近代国家は法定主義といわれるぐらい、すべての行為が法律でさだめられることになっている。その中で、日本は戦後まもなく財政法を制定した。戦前のことは不勉強で知らないが、膨大な国債が紙切れになった反省から、財政法では、借金を厳しく戒めている。

 財政法4条ではまず国債の発行を禁止している。
  しかし、ここに「但し書き」がある。「公共事業」についてはOKであるというのだ。道路やダムは国民の財産になるのだからというのが、その理屈だった。 1966年に戦後初めて発行した経緯からみて、それまではこの「但し書き」はなかったのかもしれない。そこらの事情を熟知している方がいたら教えてほしい が、法律を改正したのだったら、それまでは「公共事業」すら原則通り借金で建設できなかったことになる。
 逆にいえば、1966年に日本の厳しい財政法が「例外」の名の下に蟻の一穴があいたことになる。
  実は国債を発行したのは1966年が初めてではない。その前の年の1965年。政府はすでに赤字国債を発行していたのだ。税収が足りないという理由で「1 年だけ許して」というのが赤字国債なのである。財政法で禁止されていることが、どうして可能になったのか。不思議なことである。官僚の発想は理屈さえあれ ば何でも出来るという世界である。
 当時の大蔵省は「昭和四十年度における財政処理の特別措置に関する法律(昭和41年1月19日法律第4号)」という特例国債法を編み出した。赤字国債というのは通称で、以降「特例」の名の下に計37回、つまりほぼ毎年のように「特例国債法」を制定して来たのである。
「1年だけ許して」が毎年続けられているのだから、日本はもはや特例国家と呼んでいいのかもしれない。法律で禁止していることを別の法律で「特例」と称して風穴をあけてきた結果、GDPの約2倍にもなる借金が積み上げられてしまったということである。
 人間社会は理屈だけで貫徹しない。だが財政法が厳しく借金を禁止したのは日本をこんな悲惨な状況にしないためだったはずである。赤字国債を解禁し、建設国債を解禁し、こんどは交付国債を解禁しようとしている。借金の色をつけても国民の目はごまかせない。
 民間企業であれば、競争があるからむやみに価格を上げることは出来ない。株価も横にらみしなければならない。生き延びるにはコストダウン、コストカットしかない。官僚は増税するか、もしくはどう借金できるかしか考えない。そんな思いが募る。