平岩 優(エディター・ライター)

 前代未聞の軍隊
 習近平次期主席が権力を継承する過程をながめていて、あらためて中国で権力闘争を勝ち抜くためには、軍を掌握することが不可欠であることがわかる。つまり中国人民開放軍は建国60年以上たったいまも、政治やイデオロギーから切り離されないままで、政治に中立的な専門集団として国にうまく組み込まれていないということだろう。
 中学生の頃に、毛沢東の伝記を読み、過酷な状況の中でひたすら前進する紅軍の長征にこころを揺さぶられた記憶がある。2年間で11省を踏破し、2億人の中国民衆を味方につけたといわれている。そのせいか、中国人民解放軍は民衆に支持され、民衆を開放した軍隊というイメージが、私の中でしばらく居座っていた。
 しかし、それは私だけの思い込みではない。例えば、1947年、当時、ル・モンド紙記者だったロベール・ギランは国民党軍が防衛する上海に進撃した共産党軍を唖然として見守る上海市民の様子を描いている。いわく「盗みをせず、女を犯さない兵士、いくさに勝っても略奪せず、住居に侵入せずに歩道の上に寝、住民が飯や茶をすすめても断り、電車に乗れば運賃を払う軍隊。そんなものには上海ではお目にかかったためしはなかった。その軍隊は「旧式な銃、旧式な機関銃、使い古したサンダル、草に汁で染めたようなぼやけた色の軍服」の農民兵士であり、「将校も兵卒も寸分たがわぬ軍服で、同じ生活をきびしくわかちあっているために、だれが指揮をとっているか分からない」という前代未聞の軍隊だった(『アジア特電1937~1985』平凡社)。
 ロベール・ギランは上海で「実に中国的なエピソード」も目撃している。河川ジャンクの一団が戦闘のとばっちりで炎上した。すると引火していない舟は竹竿で火災した舟との間隔をとる。燃え上がる舟の上では妻子を連れた船頭たちが炎につつまれて格闘する。その間、危険を脱した船頭たちやサンパンの乗り手たちは、仲間を救助しようとする様子もなく、「河岸にしゃがみ、ひやかし気分の見物をきめ込んでいた」。魯迅が医師から文学者へと志望を変える要因となった、当時の中国民衆の姿だ。
 一方、ギランは同じ上海で、国民党軍の機関銃の斉射で路上に転がった浮浪児の死体を、危険をかえりみずに路上に身をおどらせて収容した男たち(地下潜入していた共産党員)も目撃し、「はじめてこの目で、中国人がほかの中国人を、それも最もみじめな奴を助けに、危険を冒すのを見たのだ! 」と語っている。
 もちろん、新中国の夜明けに立ち合った著者は、中国共産党のやり方を全面的に称賛したわけではない。後に青い服を着た4万人の労働者が働くダムの工事現場を見学し、「これは蟻の大群だ!青い蟻なのだ! 」という有名なキャッチフレーズで、国家建設を急ぐ中国が全体主義体制の支配下に置かれていることに警告を発している。(それにしても、アメリカ映画にでてくるベトナムのゲリラ兵の群れしかり、欧米人にはアジア人が地から湧きだしてくる虫のように見えるようだ。)

 製造業から商業施設の運営まで
 人民解放を冠した軍隊のイメージが決定的に損なわれたのは、1989年6月4日の第2次天安門事件だった。人民解放軍はどう動くのか、世界がかたずを飲んで見守る中、結局、中央軍事委員会主席鄧小平の命令下、民主化を要求する学生を中心にした一般市民からなるデモ隊を武力で弾圧し、多数の死傷者を出した。つまり、人民解放軍は国軍ではなく、共産党の軍であることが確認された。
 人民解放軍は日中戦争(八路軍)、国共内戦を経て、文化革命に介入することで膨張した。その後、鄧小平が軍事改革により100万人削減と武器・装備の近代化などを進めたが、天安門事件に関与することで、さらに勢力を拡大し現在に至っているといわれる。
 また中国人民解放軍はさまざまな企業活動にもかかわっている。それも軍需産業にとどまることなく、農業、鉱山、機器、食品加工や、ホテル、飲食店など商業施設の運営にまで手を染めるコングロマリットであることが、よく知られている。
 私ごとでいえば、たしか92、3年頃S氏という人から、「中国の軍が移動体通信事業を企画しているので、NTTなどのキャリアや電気業界に知り合いがいないか」と尋ねられたことがあった。当時、私は新潟、富山などの自治体間に拡がった環日本海運動の応援部隊のようなことをしていた縁で、S氏と知り合った。S氏は僧籍にある人で、中国の中南海にいる僧侶と付き合いがあるとかで、その件もそうした人脈からもたらされたようだった。それにしても、どのようにそうした人脈網を築いたのかも判然としない、奇妙な人物だった。その後、S氏は持病の腎臓病が悪化して入院し、付き合いは途絶えてしまったが。
 ちなみに環日本海運動とは、日本海対岸諸国・地域(ロシア極東、中国東北3省、韓国、北朝鮮)との自治体・民間交流を深めることで、従来太平洋ベルト地帯に偏向していた経済活動やインフラ集積を日本海沿岸にももたらそうという構想である。結局この運動は北朝鮮の拉致問題がクローズアップされたことなどもあって、尻すぼみになっている(当時政府から圧力があって潰されたという声も聞いたが)。

 人民解放軍の起源
 中国人民解放軍のこのように外側から見ると理解しがたい不可思議な存在だ。そもそも人民解放軍はどのように生れたのだろう。
 解放軍は1927年に広東で共産党直属の軍隊として誕生したが、その起源と成長をとげていく過程は神話に包まれている。共産党は地主から奪った土地を小作人に分け与える土地革命を起こし、農民の支持を獲得。農民を兵士として集結した解放軍が誕生したという神話だ。ところが現地の史料を掘り起こすことで、この神話のベールを引き剥がし、解放軍を軍事面から解明した著作が現れた。東京大学の加藤陽子教授(日本近代史)が書評で取り上げた『中国革命と軍隊』阿南友亮著(慶應義塾大学出版会)である(毎日新聞10月7日「今週の本棚」)。
 私は未読であるが、加藤氏の書評の要旨は、次のようなものだ。
 共産党は当初、たしかに農民からなる徴兵制に近い軍隊創設を望んでいた。しかし、当時の中国軍閥の軍隊は金で雇われた傭兵であり、指揮官と兵士が私的関係で結ばれ私利私欲で動く匪賊とかわりない。かといって、社会に対する党の動員体制が整備されていたソ連の赤軍は手本にできない。また日本のような徴兵制を支える組織や制度の整備も期待できない。 そこで孫文の設立した黄埔軍官学校で先端的な軍事教育を授けられた士官を指導部とし、戦利品・略奪品目当ての層も受け入れ兵に仕立てたという。
 さらに地域の防衛拠点と商業経済の中心地などを支配してきた宗族(中国の父系同族集団)間の対立を利用して、武装宗族を取り込んだ。たとえば国民党側に立つ或る宗族がいるとすると、それと対立する二番目の宗族と連携し、国民党とその宗族をともに打倒するという戦略をとった。つまり、「宗族対立を利用し、農民の自衛団や傭兵など既存の地域内の武力を、躊躇することなく自軍へ併呑した」ということになる。加藤氏はこの著作を「中国を考えるための必須の書となった」と評価している。
 これを昨年12月27日の毎日新聞のこんなコラム(「木語」太子党派の復活 金子秀俊専門編集委員)と併せ読むとどうだろう。
 コラムによれば、上海市長に楊雄副市長が内定したという。この人は平党員で、普通では中央直轄市の市長へ昇進することは考えられない。まさに異色の人事である。ところが、この楊氏はかって江沢民氏の息子が経営する投資会社の社長を務めたことがある。さらに上海市党委員会の韓正書記も上海の官僚であるという。これでは「かつての「上海閥」の復活だ」というわけだ。
「江氏が北京の事務所を閉め上海に戻った。すると上海は江氏の居城のようになった。尖閣諸島の上空に接近してくる海監総隊機が尖閣に一番近い福建省からではなく、上海に近い浙江省から飛んでくるのも、江沢民派の高揚と関係があるかもしれない」(木語)。

 揺さぶられる「中国共産党の安全保障」
  ところで、昨年から今年にかけてマスコミは毎日のように尖閣諸島を巡る日中間の軋轢を報じている。尖閣諸島問題に代表される海洋権益の拡大に関与しているのは海監(国土資源部の国家海洋局)、漁政(農業部漁政局)、海巡(交通運輸部海事局)、海警(公安部)、税関総局と多くの組織がからみあっている。中でも、深く関与しているのは当然、解放軍(海軍)であろう。こうした解放軍の動きに対し、日本の特に保守派や強硬派はやがて米国をもしのぐ経済大国になるであろうという先入観のもと、台頭する中国への警戒感を煽っている。
 しかし、先の『中国革命と軍隊』の著者阿南友亮(東北大学准教授)氏は「九〇年代から今日まで続いている解放軍の大規模な増強は、世界最強の米軍に対抗せねばならないという強迫観念に駆られたものであるといえる」(人民解放軍考『外交』Vol10)という。天安門事件による中国共産党の国内における権威の低下、1990年代に勃発した湾岸戦争で米軍を中心とした連合軍が解放軍より先進的な兵器体系をもっていたイラク軍を簡単に打破したことが「中国共産党の安全保障」を根底から揺さぶった。さらに95,96年台湾海峡危機をきっかけに、共産党内では台湾独立の動きを牽制するためには、台湾有事の際に介入する米軍を迎撃できるよう解放軍を強化し、独立派の思惑を挫くことが課題となったという。そのため、米中関係は安定しているにもかかわらず、米国の太平洋艦隊が通る東シナ海、南西諸島海域、西太平洋、さらにペルシャ湾に展開する米第5艦隊の通り道である南シナ海での解放軍の活動が活発化している。
 阿南氏はこうした動きが「台頭する中国による国際秩序への挑戦」というイメージを醸成しているが、「そのような壮大な物語ではなく、民衆の支持を失いつつある支配者がアキレス腱を必死に守ろうとして、なりふり構わず用心棒の数を増やし、見回りの範囲を拡げているという光景である」(人民解放軍考)と捉える。
 そのうえで、日本は中国外交部への外交努力に加え、解放軍総部に対し、解放軍の対外配慮に欠いた行動は長期的に「中国共産党の安全保障」にとってプラスにならないことを伝えていく外交努力が必要としている。
 私は軍事に詳しいわけではないが、冷静に分析し、対処することが大事であろう。