四天王・広目天像

 東大寺に戒壇院がある。観光客はあまり訪れることはない小さなお堂であるが、ここに天平の傑作がねむる。塑像の四天王4体。なかでも広目天はその眼光のするどさには際立つものがある。大学時代にこのお堂を訪ねたとき、瞬時に鳥肌が立った思い出がある。そんな傑作がほこりにまみれて粗末にまつられてあった。

 このまま、人知れずいてほしいと思った。その後、数年に一度はこのお堂を訪ねるが、ほかの参拝者と出会ったことはない。自分だけの厳粛な空間が戒壇院である。

 六波羅蜜寺・空也像
 平安時代、平家が拠点を置いた場所に建つのが六波羅蜜寺。空也像はそこに静かに佇む。小ぶりの木彫であるが、慈悲深い表情の口から六体の小さな阿弥陀仏が吐露される。「南妙法蓮華教」の六文字がそのまま続けて阿弥陀仏を生み出した。言葉なしで、心が穏やかになる空間である。

 このお像も高校の教科書に写真があった。

 渡岸寺・十一面観音菩薩像
 滋賀県は別名湖国(ここく)と呼ばれる。初任地となった大津から湖北を訪ねた。ひなびた琵琶湖の北に面した小さな堂宇に美しい十一面観音菩薩像が背筋を伸ばしている。初めて渡岸寺を訪れたときは雪混じりの寒い日だった。受付の炬燵に入れてもらって、寺人から湖北の話を聞いた。
 湖北は十一面観音の里といわれて、村人が多くの尊像を守ってきた。これらの十一面観音はいまも村人に守られている。当時、お堂の鍵は村人が交代で管理していて、拝観希望者はその家に行って案内を請わなければならなかった。ちなみに渡岸寺は寺名ではない。地名である。
 
 室生寺・釈迦如来坐像
 女人高野とよばれ、奈良から伊勢に向かう伊勢街道沿いにある古刹である。春のしゃくなげ、秋の紅葉、冬の雪景色、何度訪れたか知らない。
 その昔、女人は真言宗高野山には登れなかった。空海は代わりに室生寺を建立した。五重塔を含めて伽藍群は小ぶりで女性趣味であるのかもしれない。
 弥勒堂のその本尊が釈迦如来坐像。端正という表現を彫刻するとこんな仏像になるのだと感嘆するのは自分ばかりではないだろう。
 いまでこそ近鉄からバスを乗り継がないと訪れることはできないが、いにしえから伊勢街道は賑わいを見せていたはずである。一度、奈良からこの道を伊勢まで歩いてみたいと思っている。

 法華寺・十一面観音菩薩像
 平群の佐保道に法華寺がある。光明皇后をモデルにしたといわれる十一面観音像は平安時代初期の作とされるが、古さを感じさせないのが不思議だ。厨子に入っていたことも影響しているが、もともと彩色をせずに素木のまま仕上げてあったことも影響していると思う。

 なまめかしさでは、湖北、渡岸寺の十一面観音と双璧ではないかと考えている。光明皇后は民間からの初の皇后として聖武天皇を支え、歴史書は、光明皇后について、ハンセン病の療養所を設けて、自らその治療にあたったと伝える。