名門コダックが1月19日破綻した。世界で初めてロールフィルムを開発し、素人でも写真が撮れるインスタントカメラを発売して、世界の写真業界を一世紀にわたってリードしてきた。ジョージ・イーストマンがコダックの本拠としたのは、ニューヨーク州ロチェスター。オンタリオ湖に面したところである。
 ここで産声を上げたのはコダックだけでない、ゼロックス、ボシュロムなど光学系の多くの企業がロチェスターで誕生した。育てたのはロチェスター大学である。神学校から始まったこの大学はコダック社が多額の資金を提供してことで知られる。重要なのは、世界中から光学を目指す技術者や科学者がこの大学で学んだことである。
 コダックが業績を拡大し、ロチェスター大学に資金をつぎ込み、有能な光学技術を育て、コダックもまた巨大な企業に発展するのだが、ロチェスター大学で学んだのはコダックの技術者だけでない。日本のニコンもキャノンもお世話になっている。ニュートリノでノーベル物理学賞を授賞した小柴昌俊氏もロチェスター大の大学院を卒業している。コダックがロチェスター大学を通じて世界光学技術者を育てたといっても過言でない。
 20年ほど前、日米貿易摩擦で、コダックが日本の富士フィルムが市場を排他的に支配していると訴えたことがある。本当のことをいえば、日本の光学メーカーはコダックが支えたロチェスター大学に足を向けて眠れないはずである。かつてのアメリカメーカーのすごさが垣間見られるのである。
 ここからが本題である。コダック躍進の原動力となったロールフィルムの原料はセルロイド。さらにその原料が樟脳だったことはほとんど知られていない。100年前の樟脳のほとんどが日本と台湾で生産された。樟脳はクスノキの樹液から誕生したもので、セルロイドは初めて作られた植物性のプラスチックだったのである。
 ロールフィルムの最大の功績は、映画の誕生である。エジソンらがフィルムを回転させて動く映像を生み出し、それが後のハリウッドへとつながることを考えれば、大変な発想だったことが分かる。そしてその20世紀の重要な発明の源に日本のクスノキがあったことにわれわれはもう一度眼を向けるべきであろう。
 連想ゲームでいえば、樟脳、セルロイド、ロールフィルム、ハリウッドとなるのである。
 ちなみにクスノキは高知や鹿児島の主要産品で、幕末の土佐藩や薩摩藩の財政を大いに潤した。もっとも藩政時代にはコダックはなく、樟脳はもっぱら薬品や防腐剤として珍重されていたにすぎなかった。藤沢薬品工業はもともと鹿児島で樟脳を商いしていて大阪道修町に進出し、なんとロチェスターに支店を持っていたというのだから、コダックの日本は長い因縁を持つのである。