鳥肌立つ鈴木大拙館のある空間
先週、金沢市を訪れ、鳥肌が立つほどの空間に立ち入った。新しくできた鈴木大拙館での出来事である。入館受付を終えて、数歩後ずさりすると右手に展示室に続く長い廊下が視野に入る。その光景がぞくっとするのである。
美術品や建築物などとの出会いには人それぞれ感応の仕方が違う。育ってきた幾多の環境のなせる業なのだと思う。文学作品で、冒頭部分を思えているものはそう多くはない。筆者の場合、島崎藤村の『夜明け前』がある。「木曽路はすべて山の中である」という書き出しには読者を作品に強く引きずり込むインパクトがあった。
6年前、三重県菰野にあるパラミタミュージアムを訪れた時、似た感覚があった。廊下を左に曲がると光の空間に迎えられる。常設展の故池田満寿夫の「般若心経シリーズ」へのプレリュードに立つと、瞬間に「なんだこれは」という強い衝撃に立ちすくむはずだ。
ともに光の魔術である。鈴木大拙速館にも東洋の霊性を世界に広めた大拙を語るにふさわしいプレリュードがあった。明と暗によるエネルギーが瞬間的に交錯する。
かつて京都の大徳寺高桐院。初夏の雨上がりの庭園には新緑時にのみ緑色の濃い空気が漂っていた。寺門をくぐって右に折れたとたんに感じる目に入る光景である。その瞬間にのみ感じることのできる美のパルスなのだと思う。高桐院では自然に中に同じパルスをもたらす工夫があった。
鈴木大拙館は建築家、谷口吉生氏の作品。「あまり人に来てほしくない館をつくった」という。「自分だけの空間」という意識が強く込められている。谷口氏が「壊してもう一度つくりたい」と語ったほどに霊魂を込めた作品が一人歩きを始めた。(伴 武澄)