憲法草案の生まれたピンクの書斎
高知市自由民権記念館で「憲法草案の生まれた書斎」という展示が開催されている。10月16日までだから後数日で終わる。
この8月、館内の2階にピンク色の壁に囲まれた8畳ほどの空間が誕生した。異空間といっていい。自由民権運動家、植木枝盛が憲法草案を書いたことを記念していて、移築されたばかりである。それにしてもこんな空間で弱冠24歳の枝盛がどのようにして欧米の民権を学んだのか不思議に思った。
高知に住み始めて5カ月がすぎる。あいさつ状には「晴耕雨読」などと格好をつけたが、はたしてこの間、自分は何をしてきたのだろうか考えさせられた。
そうそう5月には中国・大連に旅し、旅順港をのぞんだし、霞山会の広報誌「Think Asia」の編集にも引き続き関わっているし、財団法人国際平和協会や世界連邦運動協会の会合にも頻繁に出席してきた。何もボーっとして5カ月を過ごしてきたわけではない。
8月にはよさこいを踊った。孫文革命に尽した高知出身の萱野長知の研究を始めた。ひょんな出会いから高知県の小水力のあり方について学び始めた。安芸市の寒村に嫁いだ小松圭子さんとの再会があった。高知工科大学で面白い音楽会に出会った。日中友好協会の高知支部の植野克彦さんが招聘した上海の画家との交 友が始まった。
何か自分の「高知物語」が書けそうな気分になり、このごろ気分も晴れやかなのである。
話を植木枝盛に移そう。明治14年、弱冠24歳で書いたという憲法草案を初めて読んでみた。『東洋大日本国国憲按』という。当時、多くの民権論者が憲法制定を求め、自ら草案を練った。
枝盛の草案は当時でも最も民主的な内容だったとされる。冒頭の「国家の大則」に自由民権を説く。
・第5条 日本国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ス
・第6条 日本国家ハ日本国民各自ノ私事ニ干渉スルコトヲ施スヲ得ス
面白いのは「連邦制」を草案に盛り込んでいる点である。律令制の国を州とし、70州による「日本連邦」を規定している。その後、皇帝、立法院、行政、司法など国もあり方を示した。全220条に及ぶ。
枝盛は、天皇を皇帝と呼んでいるが、その権限として「皇帝ハ兵馬ノ大権」とし、「皇帝ハ国政ヲ施行スルカ為メニ必要ナル命令ヲ発スルコトヲ得」など明治 憲法同様に勅令を出す権限を与えているが、一方で「皇帝ハ人民ノ権利ニ係ルコト国家ノ金銭ヲ費スベキコト国家ノ土地ヲ変スベキコトヲ専行スルヲ得ス必ス聯 邦立法院ノ議ヲ経ルヲ要ス立法院ノ議ヲ経ザルモノハ実行スルノ効ナシ」と専制とならないよう皇帝の権限に歯止めをかけている。
立志社 東洋大日本国国憲按(案)
http://tamutamu2011.kuronowish.com/risshisyakennpou.htm
早稲田大学の創立に尽力した同じ高知出身の小野梓もそうだったが、枝盛は若いころから独自のアジア主義を論じた。当時の日本の国力からして、日本が突出 した後のアジア主義は望むべくもなかった。だから欧米によるアジア侵略から守るためにアジアが連携しなければ共倒れになるという危機感を共有していたのだ ろう。欧米を「大野蛮」と言い、アジアの被抑圧からの独立振興を主張し、戦争にも反対であった。
中国や韓国が経済的に興隆した現在と地政学が似ている。欧米の対抗軸としてのアジアを構想した点に学ばなければならないと考える。
ありがたいことに、高知には日本や世界を考える素材がそこかしこに存在する。とここまで書いて高知新聞のコラムを読むと驚くべきことに今日10月13日は高知県詞の日なのだそうだ。植木枝盛が残した「自由は土佐の山間より発したり」にちなんで。(伴 武澄)