世界連邦は可能か 2011年7月11日

 クーデンホーフ・カレルギーと友愛
 今日は世界連邦は可能かということをしゃべるということでやってきました。賀川を読み解くキーワードの一つはもちろん「貧困」です。貧困の対極にあるのが平和なんです。
賀川は学生時代から徹底した平和主義者でした。戦前は学校で軍事教練というものがありました。軍人が学校に来て、木の鉄砲で「えいやぁ」と生徒たちを鍛えるのです。賀川は徳島中学時代、それを拒否して何度も殴られています。殴られても拒否するのです。明治学院のときには、徳島毎日新聞に長文の平和理論を連載しました。カントから始まって、ニーチェ・・・、ちょっと僕などは理解できないようなヨーロッパの平和哲学論を展開しています。大学の予科ですよ。予科生でそれらをすべて読破して理解していたのですからかないません。
 賀川は「友愛」という言葉をよく使いました。友愛はブラザーフッドです。友愛の系譜というと鳩山由紀夫首相が言っている「友愛」に突き当たります。この「友愛」はクーデンホーフ・カレルギー公が1920年代に書いた汎ヨーロッパリズムという本に由来しています。クーデンホーフ・カレルギーは、お母さんが日本人で光子と言います。彼は東京で生まれています。リヒャルトは本名ですが、日本名はエイジロウと言います。日本名を持ったのです。クーデンホーフ・カレルギーは今のEUの生みの親と言われています。ヨーロッパが戦争に次ぐ戦争を繰り返していることに対して、もうこれ以上は戦争はやめなくていけない。そのためにどうしたらいいか。ヨーロッパの国境をなくそうということになった。

 シューマンプランと友愛政治経済学
 ドイツとフランスの間に鉄鉱と石炭が産出するアルザスという地方があります。フランスとドイツがずっと100年来取り合っていました。「最後の授業」というフランス映画があります。ドイツに取られたある村の学校で「今日は最後のフランス語の授業となります。明日から授業はドイツ語の授業になります」というシーンがある悲しい物語です。しかし、現実はそう単純ではありません。村の家々ではドイツ語を使っていて授業だけがフランス語だったのです。つまり、フランスの占領地だったのです。フランスが戦争に勝ったから、そういう小説が残っているわけですね。ドイツが勝ったら、最後の授業というのは、「今日は最後のドイツ語の授業」となったはずです。そういう地域がヨーロッパにあります。
 第2次大戦後に画期的なことが起きます。1951年にフランスのシューマン外相がルール地方の石炭と鉄鋼を国際的に管理しようと言い出し、欧州石炭・鉄鉱共同体という組織をつくります。多くの国がそれに賛同しました。フランスにまた取られると思っていたドイツはもちろん大歓迎。ヒトラーが奪い返したものをまた取られるかと思った。EUは取ったり取り返されたりとか、そういう繰り返しの地域を共同で管理するというところから始まっています。
 1951年というのは、日本が平和条約を結んで、国際社会に復帰するときですが、多くの日本人には欧州石炭・鉄鉱共同体の意味するところが分かりませんでした。賀川は1人非常に喜びました。
賀川は1936年、「Brotherhood Economics」を英語で書きました。世界恐慌を克服するために資本主義でもない、社会主義でもない協同組合主義で経済を運営する必要を強調しました。世界経済を協同組合化すれば国境を引く必要がなくなり、世界連邦が実現すると書いています。
 この本の中で賀川が目指していたものが実現したのですから。この本は1936年、アメリカでハーバー社から出版され、翌年、ロンドンでも出版されました。最終的に17カ国語に翻訳されました。
中国にもアラビア語にも翻訳されています。これが、日本語だけなっていませんでした。
 1936年という年は、ヨーロッパで戦争が起きる予感どころか、暗雲がそこまで立ち込めていた年です。そういう緊迫感がある中で、賀川はアメリカからヨーロッパに渡ってジュネーブでも「Brotherhood Economics」の講演をしています。講演はフランス人の神父さんが英語からフランス語に翻訳しました。ヨーロッパで出版されたのは、その演説をもとにしたという説があります。フランス語からイタリア語版が生まれ、スペイン語になり、オランダ語になり、ポーランド語になりという形で広がっていった可能性もあります。翌年から、賀川の「Brotherhood Economics」に学ぶセミナーがヨーロッパ各地で相次いで開かれました。米沢さんの研究によると、賀川は行けなかったのですが、アメリカ人の弟子のヘレン・タッピングという人が代理で出席しています。
 つまり、戦争をどうしたら回避できるのかとヨーロッパがもがいている最中に、救世主のように現れた東洋の小さな巨人が、「戦争を回避するために友愛に基づくBrotherhood Economicsが必要だ」と言うわけです。日本では、庶民に人気のあった賀川ですが、ヨーロッパでは宗教家や政治家、知識人といったハイレベルの人たちに「Brotherhood Economics」が受容されたのだと想像しています。そうでなかったら、たった1~2年の間に17カ国語には翻訳されるはずがありません。

 平和の枢軸
 EUは1970年代にECと言っていました。当時のECの議長だったコロンボ・イタリア外相が来日しました。その時、ECの精神の中に賀川イズムが流れているんだと言っています。一方で日本人の血を受けたクーデンホーフ・リヒャエルがEUの父といわれ、精神的な背景として、賀川の書いた「Brotherhood Economics」がEUの中に流れているということなんですね。こういうことをわれわれはもっと知るべきです。
 鳩山首相が東アジア共同体だと言っています。そんなものはできるはずがない。アメリカが反対するに決まっている。中国の得になることをアメリカが許すはずがない。そんな声が高まっています。どうしてそういう発想でしか世界を考えられないのでしょうか。シューマン外相はフランスが領有してもおかしくないアルザス地方を「共同で管理しましょう」と差し出しました。これはイエスの心だと思います。片方が譲れば、相手も譲るかもしれない。まさに賀川精神です。
賀川は、経済論を説きながら、結果的に平和論を語っていたのだろうと思います。つまり、貧困も平和も、戦争も経済から起こるんだと。搾取のない経済システムを導入することによって貧困をなくし、国と国の搾取のシステムをなくすことによって、平和は訪れるだろうということなんですね。見遠回りのように見えます。荒唐無稽のように見えますが、僕には結構説得力があるんですね。皆さんはどうでしょうか。
 20年前の1989年、ベルリンの壁が崩壊して以降、国際政治にソ連という対抗軸がなくなり、共産主義が消滅してしまった。中国はもともと市場経済を入れていますから、世界はアメリカ一国主義になってしまった。それで、どういうことになったか。ちょうどそのころ、マネー経済というか、コンピューターを導入した金融システムが非常に発達した時期でもありました。金が金を生むという経済を生み出しました。ついに去年、それが破たんしました。
 金融危機の一方で、国際政治では何が起きていたか。共産主義と自由主義陣営との対立が消滅したときに何が起きたか。正義と非正義、正義と悪の二元論になってしまったんです。
その場合、いつもアメリカが正義ですね。レーガン大統領もソ連のことを悪と言ったことはあるけれども、これほど露骨に敵対するものを悪、自国を正義と位置付けた大統領はないと思います。ブッシュ大統領は「Axes of evil」(悪の枢軸)と言った。友人の中野さんは、「Axes of evilがあるなら、Axes of Peace(平和の枢軸)をつくろうではないか」と2002年ごろネットで発言していました。結構受けました。
 結局、これも全部失敗しているじゃないですか。その後イラクはどうなったのですか。アフガンでも平和の糸口は見いだせていません。そこへオバマ大統領が登場しました。日本はもはや普通の国の1つになってしまいそうです。GDPでは昨年、中国が日本を追い越しました。これからの日本は経済力で影響力を行使することは難しくなるでしょう。勤勉という美徳はとうの昔に日本から消えているかもしれません。中国人の方がよほど勤勉かもしれない。日本を賛美する多くの形容詞がはげ落ちてきています。はげ落ちたっていいじゃないですか。別に2番手でなくたっていいじゃないですか。3番だって、4番だって、5番だって。

 クォリティの高い国
 賀川が目指したのは北欧の国々でした。デンマークであり、スウェーデンであり、ノルウェーです。経済は中規模でもいい。でも国際的に貢献できるような国になろうと言っています。特にデンマークは、普仏戦争でシュレースヴィッヒ・ホルスタインという肥沃な国土をプロシアに奪われた後、ダルガスという人物が現れて、国民が一丸となって荒れ野だったユトランド半島を緑野に変えました。内村鑑三の『デンマルク国の話』に詳しいです。賀川はその協同の精神に感動しています。酪農のほかに目立った産業のないデンマークが豊かさを維持しているは不思議なことです。実際ノーベル平和賞の結構多くは北欧の元首相に与えられています。パレスチナの和平への貢献は小さい国だからこそできるのかもしれません。
 だから、日本もそういう方向を目指せばいいのだと僕は思います。天国の賀川は頑張れといっておられると思います。日本は別に1番や2番でなくていい。だけど、もっと質の高い、クォリティの高い国であってほしいということを賀川ずっと言い続けました。これがまさに賀川の平和理論だと考えます。1番を目指すから競うのです。2番を目指すのも競うのです。ここらが賀川のコペルニクス的転換かもしれません。
 スポーツはやはり勝敗が重要かもしれませんが、国のあり方は違います。世界に200国近い国家がある中で時代による栄枯盛衰は必ずあります。人間の体力や能力がある年齢でピークに達して衰えるのと同じように、国にもやっぱり栄枯盛衰があると思います。けれども、年を取っても、あの人の言うことには理があるとか、何かあったときにあの人にちょっと相談してみようということはよくありますね。それと同じような国家を目指せばいいのではないかと僕は思います。