秋以降、東アジアは風濤に激しく揺さぶられた。日中間では尖閣諸島をめぐって緊張が走った。北方領土をロシア大統領が訪問して日本側が態度を硬化させた。韓国ヨンピョン島では北朝鮮からの砲撃があり民間人が死亡した。戦争と無縁と考えていた多くの日本人に「国防」の重要性を再認識させた数カ月でもあった。
 しかし、紛争とは連鎖するものなのだろうか。水面下で東アジアを揺さるマグマが動き出したのであろうか。東アジア情勢は「日本海を平和の海へ」とばかりに北東アジア経済交流を活性化しようと試みた20年前の動きと逆行し、あたかも100年以上も前の帝国主義時代に舞い戻ったような様相を示している。
 2006年の年頭に「他国を譏らない愛国でありたい」というコラムを書いた。
 http://www.yorozubp.com/0601/060111.htm
「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情で
ある。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それにしてことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」
 司馬遼太郎の小説の中の一節から、当時の中国での反日デモに対して冷静であるよう求めた。さて、萬晩報はここで一つの提案をしたい。
 世界連邦運動協会の四国地区支部は10月31日四国ブロック大会を高知市で開催し、欧州連合の発端となった欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)にならって「尖閣諸島を国際管理してはどうだろうか」という宣言文をまとめ発表した。日中の共同管理ではない。手前みそだが、資源をめぐる争いを逆手にとり、国際的に「共同管理」することによって管理する国際機関を「東アジア共同体」につなげる発想は斬新で各国の理解を得やすい。平成版アジアの「船中八策」ともいえよう。

 2010年世界連邦四国地区ブロック大会宣言文
 欧州連合(EU)は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)からスタートした。ドイツとフランス国境のアルザスにある石炭と鉄鉱石を国際管理したのが始まりである。アルザスは100年以上にわたりドイツとフランスによって繰り返し国境線が書き改められた。その愚を繰り返さないためにフランス外相のシューマンが1950年に共同管理を提唱し、各国が賛同して翌年ECSCが誕生した。
 振り返って東アジアはどうだろう。資源をめぐって角をつき合わせてはいないだろうか。9月には尖閣諸島海域で日本の巡視船に中国の漁船が衝突する事件が発生し、日中間は一気に不穏な政治情勢となった。南シナ海でもアセアン諸国が南沙諸島や西沙諸島をめぐって緊張関係を強いられている。特に日中間はここ5年、双方の努力によってようやく不信感をぬぐい去ったばかりで、たった一つの事件によって信頼関係はいとも簡単に崩壊の危機に向かっている。双方がナショナリズムを高め領有権を主張し続けるかぎり、東シナ海に平和は期待できない。
 いっそのこと、シューマン外相にならって双方が領有権を「放棄」して東シナ海を共同管理してはどうだろうか。東シナ海、南シナ海、さらには日本海やオホーツク海は漁業を含めて豊かな資源に恵まれている。その資源を共同管理することは不可能なことではない。環境問題や生物多様性条約に見られるように、不可能どころか、いまや国や地域が共に汗を流し譲り合わなければならない時代に来ているのではないだろうか。
 もちろん共同管理を考えることはたやすいことではない。アジアの代名詞は長い間、多様性だった。だからアジアに共同体はなじまないと考えられてきた。多様で違いがあるから分かり合えないのではない。時代に共生や協働が求められていると言えば分かりやすいかもしれない。もはや共通点を語り合えばいいという時代も過ぎ去った。求められているのは発想をさらに進めて「利害を捨てる」という発想だ。日本固有の領土であり譲りがたい尖閣諸島だが、ここから東アジア共同体が生まれるという発想には夢がある。
 先人の志を受け継ぐ四国四県の仲間は、今年で37回を数える「世界連邦四国協議会総会」並びに「四国ブロック大会」をここ高知に結集して開催した。偉大な先覚者たちの偉業に学び、四国から世界連邦運動の再構築とその実現に向けた夢を描き、共に手を携えて、その実現に向け努力してゆくことを決意し、ここに宣言する。

2010年10月31日
第37回世界連邦四国協議会総会
2010年世界連邦四国ブロック大会