源氏も足利も夫婦別姓だった

 とある会合で、法務省関係者が言い出した。
「日野富子って知っているよね。室町時代の八代将軍、足利義政の正室。結婚しても足利富子を名乗らない。鎌倉幕府の源頼朝の妻は北条政子。この人も源氏を名乗ったりしない」
「夫婦別姓ってこと」
「そう。明治政府は明治9年3月17日の太政官指令で”妻の氏は『所生ノ氏』(=実家の氏)を用いることとされる”っていっているのだ。つまり明治の初期は別姓だった」
「いやぁー、知らなかった」
「夫婦同姓となるのは明治31年の民法制定からでしかないのだよ」
「いやぁー、おもしろい。韓国で別姓なのは、家に入れてもらえなかっただけで、とりたてて女性を尊重して同姓にしなかったのではないと聞いたことがある。うちの家系図に妻が出てこないのはおかしいと母親が言っていたことを思い出すな」
 こんな会話が続いた。夫婦別姓論の是非を論じたのではない。どちらの姓を名乗ろうと、筆者は別の姓を名乗ろうとどちらでもいいと思う。
 江戸時代まで「姓」は「氏」といった。そのむかし「姓」は「かばね」で、天皇から与えられた家の尊称だったはずだ。「藤原」は「かばね」で、一条だとか近衛、鷹司などは「氏」なのだ。多くは住んでいた地名を「氏」とした歴史がある。「かばね」のない人々も同じように地名を「氏」としたケースが多い。
 結婚は同じ血が交わらないように少なくとも隣村から嫁が迎えられた。村の中では同じ氏を名乗る人々ばかりだったから、妻が別姓を名乗るのはかなり肩身の狭い思いをさせられたのではないかと考えてしまう。もちろんたとえ氏があったとしても「姓」で呼ばれることはほとんどなかったはずだから、戸籍がない時代には同姓であろうが別姓であろうがどうでもいいことだったに違いないのだ。
 30年近く前に結婚したときに、連れ合いになる現在の妻には「伴の姓を名乗って欲しいと求めたことがある。そのときは一緒に苦楽を共にしてほしいといった意味で求めたのだと思う。
 法務省の「我が国における氏の制度の変遷」
 http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
カテゴリー: 暮らし, 話題 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です