正規雇用と非正規雇用 MD伴塾2009年5月22日
なぜ就職するか考えたい。雇用形態は時代とともに変化してきた。奉公の時代から、終身雇用、雇用の多様化時代を経て、再び「貧困」が復活した。戦後、労働基準法や労働組合法が整備され労働者の保護がうたわれたが、90年代から多様化の求めに応じて派遣、契約労働が大幅に緩和された。一番大きな変化はブルーカラーの分野で派遣が認められるようになった点である。企業は生産に併せて要員をコントロールしやすくなり、企業収益は格段に改善した。逆に勤労者の所得は大幅に減少した。2007年の勤労者世帯収入は15年前の8割の550万円となっている。
日本における雇用形態の推移
- 江戸時代に「雇用」はない。途上国に「雇用」はない。奉公の時代は「衣食住」の対価として働くことを求められた。いまは「食えない」というが、ある時代までは「食べる」ことがまずあった。奉公は鎌倉武士の「御恩と奉公」が由来だ。「働きに出る」ことを「奉公に出る」といった。商家では「丁稚」といった。賃金の概念はなく、衣食住プラス小遣いを保証されるだけ。そこには徒弟制があった。
- 賃金労働が生まれたのは、明治以降のこと。企業が労働力を求め、農村から労働力が供給された。企業が賃金を支給する代わりに「衣食住」は自己責任となった。
- 終身雇用は、明治末から大正期にかけて大企業や官営工場が熟練工の足止め策として定期昇給制度や退職金制度を導入し、年功序列を重視する雇用制度を築いたことに起源を持つ。
- 戦後の経済復興の中からサラリーマン層が誕生した。右肩上がりの経済の中で「正社員」たちの中で年功序列や終身雇用が当たり前になった。男性が正社員(正規社員)で働き、奥さんがパートで働くという構図が定着した。アルバイトはもっぱら学生用語だった。
- 労働組合側からも「定年制」の導入を求める声が高まり、政府としても年金制度の拡充に併せて、企業に定年を定めるよう求めた。1950年代にほぼ定着した。1954年、厚生年金の支給年齢が55歳から60歳になり、60歳定年が課題となった。60歳定年が定着したのは80年代。
- バブル崩壊以降、日本の労働慣行が激変した。円高の進展で生産活動はどんどんアジアに移転し、雇用の維持が難しくなった。一方で国際会計基準が導入されて、現場だけでなく本社機能のリストラも求められ、経営者たちは「終身雇用」「年功序列」は制度ではなく、「いままでそうであっただけ」と主張するようになる。
- 雇用者側は人件費の抑制に走り、雇われる側も自由な雇用形態を希望した時代もないわけではなかった。
- 80年代以降、人材派遣業が国内で急速に拡大した。初めは即戦力の専門職を企業に派遣する制度だったが、2002年からはブルーカラーにまで拡大された。
- 「日雇い」と「季節工」はむかしからあった。日雇いは主に建設労働で、また季節工は自動車産業に色濃く残っている。元々、農業が日本の主産業だった時代から農閑期に都会に出て働くという慣習があり、雇う側もそれに合わせた雇用形態を受け入れた。