2008年6月1日 証券経済倶楽部 
 5月、東アジアの歴史的転換を象徴する出来事が相次いでいる。中台、日中、日韓の雪解けが急速に進んでいる。
 韓国紙の対日姿勢の転換は気持ち悪いほどである。中国も同様、胡錦濤氏の訪日と地震以降、とげとげしさがなくなり、日本を持ち上げる論調が目立つようになった。
 これまではASEANプラス3の場で日中韓の協力をうたい上げる努力がなされてきたが、ここへきてそれに台湾が参加する様相を呈してきた。
 5月9日、テレビ局から中国経済の将来についてコメントを求められた。胡錦濤総書記が帰国した10日に放映された。2時間半取材されて、放映はたった10秒。
しつこく質問されたのは、中国経済の落とし穴があるはずだという点だった。中国経済の明るい未来については別の人が十分話したので、伴さんには危うさについて語って欲しいというものだった。
 放映された部分は「中国経済がこのまま巨大化すれば、共産党の一党独裁が制度としてもたなくなるかもしれない」という部分だった。
いま中国は大変な愛国主義の時代を迎えている。このことは多くの日本人がすでに気付いていることである。経済が成長し、世界を凌駕するようになる時期は日本にもあった。子どもころ、GDPがイギリスを抜き、ドイツに迫っていると聞くだけで誇らしげになった思い出がある。東京オリンピックのときも世界のトップクラスの選手が東京に集まるというだけでも「日本はすごいのだ」と感じた。同じようなことが中国でも起きても不思議でない。
残念なことに北京オリンピック開催の直前にチベットで暴動が鎮圧される事件があった。世界の批判は中国に集まった。チベット族を圧迫する中国政府に対してオリンピックへのボイコットの動きまで出た。
 5月に胡錦濤の訪日時、福田首相がチベット問題について中国側に厳しく対処しなかったことに「腰抜け」呼ばわりする人たちも少なからずいた。胡錦濤の訪日は中国側にとってのメリットばかりが目立ったことは確かだった。福田首相がオリンピック開会式への参加をあらためて示すなど、中国支持を鮮明にしたからだった。
ところが、その直後に四川大地震が起きて、チベット問題は一気に鳴りをひそめた。四面楚歌だった中国は一転して、世界の同情を集める立場になった。
 日本はいち早く、緊急援助隊を四川省に派遣した。このことが中国では高く評価された。成都で活動中の医療チームには楊外相わざわざ病院に出向いて「謝意」を表明する場面まで設定された。多くのメディアが日本をベタ褒めにした。極端といえば極端である。大地震のどさくさにまぎれて、日本感を一転させたのは胡錦濤政府側の策謀であろうと思っている。
自衛隊機の派遣こそは実現しなかったが、30日のシンガポールでのアジア安保会議でも中国の国防相が「感謝」の念を表明したのには驚いた。
 28日には胡錦濤総書記と国民党の呉伯雄主席が会談し、歴史的和解を演じた。トップ会談で1999年からストップしている中台対話が再開されることになった。馬九英政権が誕生したのは20日。最初の外交課題が対中接近だった。4月、副総統就任予定だった蕭万長が訪中、名誉主席の連戦氏も訪中。昨年、連戦氏が中国を訪問したが、今回は国民党のトップとの会談である。雪解けといわず何と表現すればいいのか。
 その前日の27日、胡錦濤氏は韓国の新大統領、李明博氏と首脳会談し「戦略的協力パートナーシップ」関係を確立することで合意した。李大統領はアメリカとの同盟関係強化を表明しているが、日中韓の協力が東アジアの平和安定に重要だとの認識で一致したのだ。
 中国大陸で起きていることは、日中韓台の関係改善の劇的な連携劇といわず何と言おうか。