友人の甲斐美都里さんが翻訳した『ゲバラ世界を語る』(中公文庫)が明日、店頭に並ぶ。解説はまた友人の中野有さんが書いている。筆者の名も巻末に載せてもらっている。
 1年ほど前に甲斐さんが翻訳を始めたころから、ゲバラの本を何冊か読むことになった。翻訳の原稿がメールで届くたびに、英語と訳文を読み比べて批評を加 えたこともある。ゲバラが急に身近になった。ゲバラが21世紀に蘇る意味合いはどこにあるのか、ずっとそんなことを考えている。
 20世紀の世界で起きた革命はたまたま社会主義政権として誕生した。初めに主義主張があったのではない。ずっとそう思っている。帝国主義や植民地支配に対抗するのに手を差し伸べてくれたのはソ連だけだった。西洋列強や日本は支配する側にあったから当然である。
 キューバ革命も同じだったのではないかと思っている。カストロらはアメリカと買弁としてのキューバの旧支配層 に向けての武力闘争に打ち勝った。祖国解放が一番の眼目で、必ずしもソ連型の社会主義を目指していたわけではなかったはずだ。しかし革命に成功した結果、 待ち受けていたのは社会主義陣営入りだった。社会主義陣営に入ることはそのままソ連の支配下に置かれることと同意義だった。
 カストロとチェ・ゲバラはキューバを”解放”した代償としてソ連の配下に入った。そこに祖国の自由はなかった。キューバ危機に代表されるアメリカとの対峙によって、それこそ冷戦構造の最前線に放り出された。
 ゲバラが永久革命を訴えてボリビア入りしたのは、ロマンとして求めていたキューバ人民によるキューバ人民のための統治が難しかったからであろうと思っている。
 革命の最中は巨大な敵に立ち向かうという壮大なロマンがある。毛沢東やホーチミンも理想に立ち向かう同じロマンが革命への道をかき立てたに違いない。支 配されていた勢力が権力を奪取すると、今度は同じ人々が支配する側に回らざるを得ない。ここに革命が内包する矛盾がある。
 中野さんは解説でゲバラとケネディーについて言及する。
 「 ケネディーとゲバラは、冷戦の初期段階で、社会主義の矛盾と軍需産業主体の資本主義の限界を予測し、資本主義でもなく社会主義でもない第三の道である共生 の理想を描いたように考えられる。現在の中国のように社会主義体制を維持しながら市場経済化を推進することが、ゲバラの理想であったかどうか定かでない が、21世紀の今日、資本主義と社会主義のハイブレッドがグローバル経済の奔流となりつつある」。
 「最後に、ケネディーやゲバラの思想の根底にある国際主義、インターナショナリズムは、国際テロや地球環境問題の解決に不可欠である。ゲバラの現場に根 ざした博愛主義は、地球規模で共有すべきビジョンであり哲学であろう。米国の世界最大最強の軍事でも解決できないのが、9.11に端を発する国際テロの問 題である」。
「ゲバラの博愛主義に根ざしたゲリラ戦を研究することにより、現在の国際テロ解決の糸口が生み出されるように思われてならない」。
 1991年、ソ連邦が崩壊し、国際政治をめぐる環境は激変した。資本の論理が勢いづいている。冷戦時代の東西の対峙は人類にとって大きな危機だったが、 アメリカのよる一人勝ちもまた危機である。50年前そんなアメリカに徒手空拳で立ち向かったチェ・ゲバラが世界中で思い出される理由はそんなところにある のかも知れない。