早矢仕ライス
47ニュースが始まったころ、今よりずっと多くの地方紙のサイトを読んでいた。今はハードコピーしかないが、中日新聞の岐阜欄で「早矢仕ライス」という見出しの記事があった。。
「早矢仕ライス」を「ハヤシライス」と読める人は相当な博学グルメだ。47編集スタッフで読めた人はいなかった。「早矢仕ライス」の「早矢仕」は実は苗字。岐阜県の旧美山町(現山県市)出身で日本橋、丸善の創業者となった早矢仕有的(はやし・ゆうてき=1837-1901)という人物だった。
早矢仕氏は福沢諭吉の門下生で、開国したばかりの明治国に洋学を導入することに努める一方で、友人に肉と野菜のごった煮をごはんに添えた”洋風料理”としてふるまった。ハヤシライスは丸善の食堂から生まれたというのだ。
新聞記事は、1月22日、郷土の先人にあやかって山県市の学校給食でハヤシライスが出されたという単純な話であるが、早矢仕をハヤシと読めない俗人にとっては「おー、そういうことだったのか」という感動があった。(紫竹庵人)