家に帰って長男に「マラウイで人気者になった山田耕平って知っているよね」と買ったばかりの「ディマクコンダ」(Ndimakukonda)というCDを差し出した。
「あー今月号のmen’s nonnoに載っていた人。会ったの」
「うん、ちょっと話ししたよ」
 21日の土曜日、青年海外協力隊の支援組織である「協力隊を育てる会」の設立30周年式典会に縁があって参加した。式典の目的は表彰や感謝状の授与だっ たが、第二部で隊員のOBらが登場して現地での体験や帰国後の苦労話などの紹介があって僕にとってはなかなか面白かった。
 協力隊は設立41年でこれまで2万8000人の若者が海外で途上国の人々と研さんを積みながらそれぞれに人格形成をしてきた。途上国における評価は決し て小さくなく、その蓄積も大したものなのだが、国内ではイマイチである。「はぐれもの」「一匹狼」などと見られることもあり、十分に日本社会に溶け込んで いるとはいえない。極端な場合、協力隊員であったことを隠すことが日本で生きる道だったりするのだ。
 そもそも協力隊を育てる会が生まれたのも、帰国隊員の就職や現場復帰を支援するためだった。日本人のだれもが協力隊員について「なかなか偉いやっちゃ」 と評価しているのだが、あまりにも違う体験をしすぎてきた。欧米社会で学んだ若者でさえ日本の企業社会に受け入れられるのは難しい時代が長く続いた。まし て途上国の異文化に染まった彼らを企業社会の仲間として積極的に受け入れようとはしなかった。否いまもしていないのが現実なのだ。
 日本には異文化交流などという言葉は存在するが、これはあくまでテンポラリーな発想で、あくまで”交流会”の次元にしかすぎない。異文化は”交流”するものであって”受け入れるもの”ではないのである。
 そんな中、山田耕平という帰国隊員は異次元の世界を生み出しつつある。村落開発普及員としてマラウイに赴任。エイズが日常生活の中にあるという惨状を目 の当たりにし、現地のミュージシャンとコラボレイトしてエイズ予防啓発の歌「デイマクコンダ」を制作。この歌は主にラジオを通じて大ブレイク。CDも発売 していない段階からマラウイのヒットチャート1位となり、国民的人気を博したのである。
 その山田耕平さんが育てる会の式典で話をした。「僕は2年間、一度も自炊をしたことがないんです。職場では昼になるとだれかが誘ってくれるし、夕方は村 人がコーヘイ飯食っていけよ、と誰かが声をかけてくれたんです」。アフリカの大地をこよなく愛する帰国隊員は少なくない。協力隊の2年間はそんな日本青年 を多く生み出してきた。
「協力隊に行ったことで人生でやりたいことや夢が生まれた。マラウイで僕はマドンナより有名なんです」と話をしめくくった山田耕平は今、全国を駆け巡って マラウイや協力隊の話をしている。8月にエピックレコードからCDがレリースされ、「デイマクコンダ」は日本でも静かなブームを生み出しつつある。収益で マラウイにエイズ検査施設をつくるのがいまの山田耕平の夢である。
「デイマクコンダ」の軽快なサウンドには貧困とエイズと戦いながらも明るく生きるマラウイの人々の息吹が伝わる。みなさんもぜひ!

 JICA http://www.jica.go.jp/jicapark/jocvnews/0520/01.html
 山田耕平ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/kohei_ndimakukonda