昨年8月に「アイ・アム・ノット・チャイニーズ」「醜い南アの日本人社会」「ヘイ・チャイナ・チャイナ」など筆者の青春の軌跡をコラムで書いた。きょうはその続きのようなコラムを書きたい。
 1966年だからちょうど40年前、筆者が南アフリカのプレトリアに住んでいた時、ロバート・ケネディが南アにやってきた。南アはアパルトヘイトの全盛 時だった。そのアパルトヘイト政策に反対して拘束されていたケープタウン大学のイアン・ロバートソンの招聘に元米司法長官が応じたのだから、南アにとって は大変な事件だった。
 人種差別の政権を支持する多くの南ア国民にとってロバート・ケネディの来訪は迷惑そのものだったに違いない。だが、心ある市民にとっては自由と平等の伝道師に映ったに違いない。
 ロバート・ケネディの南ア来訪は、15歳の日本人の少年にとっても衝撃的出来事だった。人種差別をなくさなければならないという理想をあちこちで振りま いたのだから当然である。少年を感動させたのは単純な一言だった。「なぜ人種差別をなくさなければならないか。それは「そうすることがright thingだからだ」と述べたからだ。
「そうすることが正しいことだから」という一言はその後、ずっと筆者の思考や行動の規範となっていた。
 ケネディの南アでの言葉は、同国のリベラル紙「Rand Daily Mail」の冊子として残された。母は「Robert Kennedy in South Africa」と題したその冊子を英語学習の素材とした。筆者は母が読み終わったその冊子をもらって一字一字読みこなそうとした。母の書き入れがたくさん あった。
 当時の筆者の英語力ではかなわないものだったが、大学入試の時に読み直し、その後も何度か声を出して読み返している。部分によっては暗記してしまった。 アメリカの良心がまさにここにあるという大切な冊子で、高校の日本史と世界史の教科書と同じように筆者にとってバイブルのような存在だった。
 アメリカという国はどういうことを考えているのか。今でもそういうことを考えるときに読み返す教科書となっている。数日前から、再びその冊子を読み返し、デジタル化して残しておこうと考えた。
 ケネディが1966年6月6日、ケープタウン大学で行った「Day of Affirmation」と題した演説を一字一字ワープロに打ち込んでいて、そのタイトルのDay of Affirmationの意味について考えた。何かキリスト教的な意味合いがあるのではないかと思って、ネットで検索したところ、偶然にもその演説のテキ ストを発見した。
 感動したのは、40年前に世界の片隅で語ったロバート・ケネディの演説が実は彼の残した数少ない演説の一つとして存在していたことであった。その上、彼の音声までネット上で聞くことができたことに心が震えた。
 
  We must recognize the full human equality of all our people ? before God, before the law, and in the councils of government. We must do this, not because it is economically advantageous ? although it is; not because the law of God and man command it ? although they do command it; not because people in other lands wish it do.
 We must do it for the simple and fundamental reason that it is the right thing to do.

 Day of affirmation前文は以下のサイトで。
 http://www.yorozubp.com/0605/060516.htm