東海道膝栗毛五編追加 十返舎一九
川崎音頭に、伊勢の山田とうたひしは、和名抄の陽田(ようだ)といへるより出たるにや。此町十二郷あり、人家九千軒ばかり、商賈甍をならべ、各々質素の 荘厳濃(こまやか)にして、神都の風俗おのづから備り、柔和悉鎭(にうわしつちん)の光景(ありさま)は、余国に異なり、参宮の旅人たえ間なく、繁昌さら にいふばかりなし。弥次郎兵衛喜多八は、かの上方ものと打つれ、此入口にいたると、両側家ごとに御師の名をかきつけ、用立(ようたし)所といへる看板竹葦 (ちくい)のごとく、こゝに袴はをりひつかけたる侍、何人となく馳せちがひて、往来旅人の御師(おし)にいたるを迎ふと見へて、一人の侍弥次郎兵衛にちか づき、
おしの手代「モシあなたがたはいづれへ、おこしでござりますな」
弥次「しれた事、太神宮さまへまいりやす」
手代「イヤ太夫はどれへ」
弥次「太夫は、竹本義太夫殿さ」
手代「ハア義太夫と申すは、どこもとじゃいな」
弥次「その義太夫というはな、大坂にては道頓堀」
北八「京は四条、お江戸はふきや町かしにおゐて、永らく御評判にあづかりましたる」
手代「かたはものは、おまい方であつたかいな」
北八「たはごとをぬかすとひつぱたくぞ」
手代「ゑらいあごじやな、ハヽヽヽヽ」
上方「ちと休んでいこかいな」
北八「こゝらはきたねへ所だ。みな御師の雪陣と見へて用立所とかいてある」
弥次「おきやアがれ。ハヽヽヽヽ」
三人ともあるちゃ屋にはいり、しばらくやすむ。此内向ふより上方どうしや大ぜい、そろひのなり、女まじりにこへはり上ゲ
うた「ござれ夜みせは順慶町の、通り筋からソレひやうたん町を、ヤアとこさアよいとさア、チヽヽヽヽチンチン、すけんぞめきは阿波坐の烏、ソリヤサ、か わいかわいもヤアレかうしさき、ヤアとこさ、ヨウいとなア、ありやゝこりやゝ、コノなんでもせ。チヽヽン、チヽヽン、チンチンチンチン」
ト此ひとむれ通り過たるあとから、太々講とみへて、廿人斗いづれも御師よりむかひの駕にうちのり来るが、おしの手代さきにたちて
「サアサアサア、これじやこれじや。まづどなたさまも是で御休足なさりませ」
かごはのこらずちゃ屋のかどにおろす。此だいだいこうは江戸とみへて、いづれも小そでぐるみに、みじかいおたちをきめた手やい、めいめいかごを出て、ざしきに通る。此内一人のおとこ、弥次郎を見つけて
「イヤこれはどふだ、弥次どの弥次どのきさまも参宮か」
トこへかけられて、弥次郎びつくりし見れば、町内の米屋太郎兵へなり。ゑどをたつ時此米やのはらひをせず、立たる事なれば、何となく弥次郎しよげかへりて
「ハア太郎兵衛さまか。よくお出かけなさいました。しかし爰(ここ)であなたにお目にかゝつてはめんぼくない」
太郎「ナニサナニサ。わしも仲間の太々講で、そのくせ講親といふものだから、據(よんどころ)なく出かけましたが、よい所であつた。旅へ出ては、とかくづうくに(同国)がなつかしい。おくへ来て一ツぱいやらつし」
弥次「ありがたふございやす」
太郎「つれはだれだ。ハヽアまんざらしらぬ顔でもない。ナントきさまたち、さいわいのことだ。太々講おがまぬか、それも飛入といやアちつと斗、金が出る から、不躾ながら、わしらが供になると、一文も入らず、しこたまちそうになつて、おがまれるといふものだからどふだろう」
弥次「それは願つてもない、有がたい事でございやす。しかし、それが出来やせうかね」
太郎「ハテわしが講親だもの、どふでもなる。マア何にしろおくへ来さつし」
弥次「ハイさようなら、モシ上方の、ちとこゝに待てくなせへ」
つれの上方もの「よいわいの、いてござんせ」
太郎「サアサアひたりともきさつし、きさつし」
此太郎兵へにいざなはれ、弥次郎も北八も。わらじをとつておくへ行くと、上方ものはひとり、みせさきに酒などのみてまつてあるうち、おくはだいだいこうの 事なれば、御師よりのちそうにて、さいつおさへつ大さはぎのさいちう。又おもてにひとむれのかご、十四五てうばかり、これはかみがたのだいだいこうと見へ て、おしの手代さきにたちて
かご「ホウよいよい、ゑつこらさつさ、ゑつこらさつさ」
これもおなじく此ちゃ屋にはいる。
おしの手代「サアサア御案内御案内」
ちゃ屋のおんな「おはやうござります。おくへおとをりなさんせいな」
此内みなみな、かごよりおりておくへとをると、すぐにさけさかなをもち出し、だいだいこう、二くみの大さはぎ、ざしきのしやれ、いろいろあれども、あまり くだくだしければりやくす。やがておくのさかもりおはりて、サアおたちといふと、二くみのだいだいこうがいつしよになり、どさくさして、おくよりいづる と、ゑどぐみの御師の手代、いちはなだちておくより出
「サアサアお駕の衆これへこれへ。どなたもサアおめしなされませ」
あつちこつちをかけまはり、かごにのせる。此うち又上がたぐみのおしの手代もおなじくかけまはりて
「こちらのかごはこれへこれへ」
よこづけにして、みなみなをのせる。米やの太郎兵へなまゑひとなり、弥次郎が手をとり
太郎「コウ弥次公。きさまおれがかごにのつていかねへか」
弥次「イヤどんだことをおつしやる」
太郎「ハテわしは、これからあるくはなぐさみだ。きさましやれにのつていかつし」
弥次「さやうなら、ヘヽヽヽヽ。こりやきめうきめう」
かごにのれば、サアおたちじやと、両方のかごが、いちどきにかきあげ、こんざつして、弥次郎がのりたるかごの人そく、とんだまぬけと見えて、上方ぐみのか ごの中へまぎれこみたるにきもつかず、さつさとかいてゆく。かゝるどさくさまぎれに人もそれとこゝろつかねばだんだんといそぎゆくほどに、山田のまん中す じかいといへる所にて、江戸がたの一くみは内宮のおしなるゆえ、左りのかたへわかれ行。上方ぐみは、外宮のおしにて、此ところより、右のかたへわかれ、田 丸かいどうの、岡本太夫のかたにつく。門前のほうき目、もり砂に水うちきよめ、げんくはんになく打まはして、ちそうのやくやく、はをりはかまに出向へば、 こうぢうみなみな、かごをおりて、げんくはんより打とをる。このとき弥次郎兵へも、かごかきのそゝうにて、上方ぐみの中へまぎれこみ、こゝにきたれど、十 四五てうもあるかご、どれがどれやらわからず、弥次郎かごを出て、おなじくざしきに打通り、そこらをうろうろ見まはせども、みなしらぬかほばかりなれば
弥次「ハテがてんのいかぬ。モシモシ米屋の太郎兵衛さまは、どれにお出なさいます」
そばにいた男「なんじやいな。太郎兵へさんとは、こちやしらんわいな。そしておまいは、ねから見ん顔じやが、誰さんじやいな」
弥次「ハイわつちは、ソレ太郎兵へさんの、町内のものじやが、ハテどふかちがつたような。北八はどふしたしらん」
トむしやうに、うろうろ、きよろきよろと、まごつきあるけば、みなみなきもをつぶし、たがいにそでをひきあふて、にもつなどかたよせ、さゝやきあふうち、此講の内二三人立向ひて
「コレコレこなさんは、見なれぬ人じやが、だれじやいな」
弥次「ハイハイ」
こう中「ハテこなわろは、何をきよろきよろさんすぞいな。誰じやといふのに」
弥次「イヤわつちは、米屋の太郎兵衛さんにおめにかゝればわかりやす」
こう中「ハテそないな人は、こちの講のうちにはないもせぬもの、なんじややらきみたのわるい人じやわいな」
御師の手代「ハアこな人は、あなたがたのおつれではござりませんかいな」
こう中「さよじやわいな」
手代「イヤそれはどしたもんじや。とつとゝ出ていかんせ。ゑらいへげたれじやな」
こう中「道中じらであろぞいな。ほり出してやらんせ。あたけたいな」
弥次「ヱゝそんなに、いいなさるなこたアねへ。ほり出すとはなんのこつた。とほうもねへ」
こう中「ハゝアおまいのものいひは、おゑどじやな。それでよめたわいの。いんまのさき、お江戸の太々講と、ひと所でおちあふたが、其時おまいの乗(のら)んした駕が、こちらの中へまぎれこんで、ござんしたのじやな」
弥次「なるほどさやう。そんならわつちのゆく御師どのは、どこでございやすな」
手代「ナニおまいのいく所をたれがしろぞいな」
こう中「めんめんのゆく御師どのを、しらんといふことがあろかいな。コリヤわりさまは、わざとこちのなかまへずりこんで、太々講をくひたをししよふでな」
こう中みなみな「ヱゝけたいなやつじや。のうてんどやいてこまそかい」
弥次「イヤ、わるくしやれらア、手めへたちのだいゝ講、丸ッきり喰倒した所が、たかゞしれてある。あんまりやすくしやアがるな。江戸ッ子だハ。おれひとりで、太ゝ講うつて見でよふ」
どつさりすはればおしの手代きもをつぶして
「ナニ、おまいが、おひとりでかいな。こりやでけたでけた。みんごとおまいが」
弥次「しれたことや。多少にやアよるめへ。これでたのみます」
うちがへのぜに二百文、かみにつゝみ出せば、おしの手代二度びつくり
「ハゝゝゝ、太々講は、やすうて金拾五両も出さんせんけりや、でけへんわいな」
弥次「ナニ是ではなりやせんか」
手代「さよじやさよじや」
弥次「太々講がならずば、是で、蜜柑こうでもたのみます」(太々=だいだいのしやれ)
こう中「ハゝゝゝ、べつかこうにさんせ。ハゝゝゝ」
手代「イヤおどけたおかたじや。ハアよめた、おまいのいく所は、慥(たしか)に内宮の山荘太夫どのじやわいなの。さつきの手代が、あこのじやほどに、是から妙見町をすぐに、古市のさきへいて尋ねさんせ」
弥次「ハアそふか。コリヤ有がてへ。ほんにおやかましうございやした」
こう中みなみな「ゑらいあほうじや。ハゝゝゝゝ」
手を打わらふ。弥次郎はらたてどもせんかたなく、しほしほとこの所をたちいづるとて
鉢植のだいだいこうにあらぬ 共ちうにぶらりとなりしまちがひ
それより弥次郎兵へは、もとの筋違(すじかひ)に出、妙見町をさして行道すがら、北八はいかゞせしや、米屋太郎兵へと打つれて御師の方へ行しか、但しは上方ものと、妙見町に泊りしかと、おもひわびつ、おもひわびつ、たどり行ほどに、廣小路にいたると
此所のやどや「もしおとまりかいな、やどをとつてかんせ」
弥次「コレ妙見町といふは、まだよつぽどございやすかね」
やどやのおんな「イヱいんま少し此さきじやわいな」
弥次「ソノ妙見町に、アナノ何屋といつた、道づれの上方ものが泊るといつたは、アヽそれよ」
いろいろにかんがへても、藤屋といふを、わすれてさつぱり思ひ出さず
「ハテ口へ出るようふな。何でも棚からぶらさがつてゐるよふな名であつた。モシモシ妙見町に、ぶらさがつてゐる宿屋はございやせんか」
そこにいた人「ナニぶらさがつてゐるやどやは、こちやしらんわいの、そないことをいふては、しりやせんがな」
弥次「なるほど、こゝらでたずねてはしれめへ。もちつとさきへいつてたづねやせう」
それよりこゝをすぎて、いそぎたどり行ほどに、こゝに万金丹のかんばん、みやうけん町山原七右衛門といへるを見て、さてこそこゝが妙見町ならんとおもひ、わうらいの人をよびとめて
弥次「モシこゝらに、なんでもぶらさがつてゐるような名のうちは。ございやせんかね」
わうらいの人ふしぎそふに「なんじやいな。ぶらさがつてゐる内とは、何屋じやいな」
弥次「やどやさ」
わうらい「その家名わいな」
弥次「家名をわすれたからのことさ」
わうらい「イヤそれいふてかんせにやアしれぬくひわいの。何じやろと、ぶらさがつたうちといふは。ハゝアむこのかどに、人のたつておる内へいてとふて見やんせ。あこは去年首くゝりがあつて、ぶらさがつたうちじやさかい」
弥次「イヤそんなものゝ、ぶらさがつたのじやアございやせん」
わうらい「ハテまあいてとふていかんせ。あこも宿屋じやあろわい」
弥次「ハイさやうなら」
はしり行うち、かの家かどに、たつてゐた人もどこへか、いつてしまい、さつぱりしれなくなり、まごまごして、あるうちのまへにたちて
弥次「モシモシ。ちとものがたづねたうございやす。去年、首をおくゝりなさつたは、あなたでございやすか」
このうちのていしゆ、ゐあはせきもをつぶし、とんで出
「イヤわしや、首をつつたことはないがな」
弥次「そんなら、どこでございやす」
ていしゆ「こゝらにくびつつた内はしらんがな。此二三軒さきに、棚からおちたぼたもちくふて、咽をつめて死だうちがあるが、もしそれじやないかいな」
弥次「いかさまなア。なんでも棚からぶらさがつたよふなうちであつた」
又二三げんさきへゆき、あるうちのかどにて
「モシ棚からおちたうちは、おめへじやアございやせんか」
とんだことをいふ、此うちの女ぼうとみへて
「イヽヱナ、わたしがうちはもとから爰(ここ)で、ついしかたなへあげておいてことはおいませんわいな」
弥次「ハア外にはござりやせんか」
女ぼう「ソリヤおまい、きゝちがひじやあろぞいな。山からおちた内じやおませんかいな。それじやと相の山の、与太郎の小屋が、此間の風で、谷へふきおとされたといふことでおますがな。大かたそれじやああろいな」
弥次「イヤそれでもねへが、コリヤアこまつたもんだ。何だかかだか、さつぱりわからなくなつて、もともこもうしなつたよふだ。わつちもさつきから、たづねあぐんで、もふもふがつかりとくたびれやした。どふぞ一ぷくのまして下さりやせ」
ト此みせさきにこしをかける。ていしゆのどくそふに、たばこぼんをさげて、おくより立出
「サア一ぷくあがらんせ。いつたいおまいは、どこを尋ねさんすのじやいな。参宮じやあろが。おひとりか、但しは、おつれでもあますかいな」
弥次「さやうさ。道連ともに三人の所、わつちのそのつれにはぐれて、こんなこまつたこたアございやせん」
てい「イヤそのおふたりのおつれは、おひとりはお江戸らしいが、今おひとりは、京のお人で、目のうへに、此くらひな、痰瘤(たんこぶ)のあるおかたじやおませんかいな」
弥次「さやうさやう」
てい「それじやとこちの内に、おとまりなされたさかい、すぐにおまいさまのおむかひを出しましたわいな」
弥次「そりやほんとうにか。ヤレヤレうれしや。そしておめへの所は、何屋といひやす」
ていしゆ「アレ御らんななされ、掛札に藤屋とかいておますがな」
弥次「ホンニそれそれ。たなからぶらさがつたよふだとおもつたが、その藤やよ。そふしてつれのやつらは、どこにゐやす」
ていしゆ「ソレおくへ、おつれさまがお出だといふてかんせ」
此こへをきくよりおくから出る道づれのかみがたものとんで来り
「コリヤよふごんした。さだめてそこらうち、尋さんしたであろ。こちもゑらう、たづねまふたこつちやないわいの。マアマアおくへ」
弥次「これはおせはになりやす」
ト すぐにおくへ行。上方ものと北八は、ゑどぐみの太々講について、御師の方へ行しが、弥次郎へ見へざるゆへ、しらぬ人ばかりにて、手もちなく、いろいろきゝ 合せてもわからず、せんかたなくその御師の方を出、たづねたくもあてどなく、かねてみやうけん町の、ふじやへとまいらんといひたることもせうちの事なれ ば、大かたたずねてくるであろふと、さてこそ、この所にとまりてまちうけしなり。弥次郎はだいだい講のかごが、まちがひたる、いちぶしゞうをものがたり、 大わらいとなりける、北八はかみゆひをよびにやり、ひげをそりていたりけるが
「まあまあおたげへに、別条なくてめでたいめでたい」
弥次「イヤもふ、とんだ目にあつたといふはおれが事よ。時に、かみゆひさん。そのあとでわつちもひとつ、やらかしてくんなせへ」
北八「おめへマア湯にひいつてきなせへ」
ト弥次郎はゆにいりにゆく。北八ひげをそりかゝりて
「ときに髪結さん。おいらがかみは、ぐつとねをつめて、いつてくんな。なんだかこつちのほうの髪は、たぼが出て、髷(わげ)がおつにながくて、とんだきの きかねへあたまつきだ。そして女の髪も、ごうせへに大きくいつて、なんのことはねへ、筑摩の鍋かぶりといふものだ」
かみゆひ「そのかはりおなごは、とつとゑらいきれいでおましよがな」
北八「きれいはいゝが、たつて小便するにはあやまる」
かみゆひ「イヤおゑどの女中も、おつきなくちをあかんして、あくびさんすには、ねからいろけがさめるがな」
北八「それでも、女郎は又江戸のことだ、ゑどはいきはりがあるからおもしろい。こつちのは、誰がいつてもおなじことで、ねつからふるといふことがねへから、信仰がうすいやふだ」
かみゆひ「イヤこちのほうでは、おまえのよふなかたがいかんしても、ふらんさかい、それでゑいじやおませんかいな」
北八「きさまおれをやすくいふな。コレほんのこつたが」
かみゆひ「ヲツトあをのかんすと切ますがな」
北八「イヤきらなくてもごうせへにいてへかみそりだ」
かみゆひ「いたいはづじやわいな。このかみそりは、いつやら研だまゝじやさかい」
北八「ヱヽめつそうな。なぜ、剃るたびごとに研ねへの」
かみゆひ「イヤそないにとぐと、かみそりがへるさかい。ハテ人さんのつむりのいたいのは、こちや三年もこらへるがな」
北八「どふりこそ。いたくていたくて、一本ヅヽぬくよふだ」
かみゆひ「なんぼいたいとてたかで命にさはることはないがな」
北八「ヱヽそりやしれた事よ。もふもふさかやきは、いゝかげんにしてくんな」
かみゆひ「おまいさかぞりはおきらいかな」
北八「ヱヽ其剃刀で、逆剃にやられてたまるものか。あたまの皮がむけるだろう。もふそこはいゝから、ぐつと髪をつめていつてくんな」
かみゆひ「ハイハイ。コリヤヱらいふけじや。このふけのとれることがおますがな」
北八「どふするととれる」
かみゆひ「ぼんさまにならんすとゑいがな」
北八「ヱヽいめへましいことをいふ」
かみゆひ「ねはこないでよふおますかいな」
北八「イヤイヤもつとひつつめてくんな。とかくこつちのほうへくると、髪はへたくそだ。ねをかたくつめていふことをしらねへ。不器用な」
かみゆひ「さよなら、これでどふでおます」
ト此かみゆひ、これみたかといふほど、ぐつとねをつめると、さかやきに三ツほど、ひだができて、目はうへのほうへひきつるくらひに、かたくひつつめられ、北八かみのけがぬけるほどいたけれ共、まけをしみにて、かほをしかめながら
「これでよしよし。アヽいゝ心もちだ」
かみゆひ「ナントそれで、よござりましよがな」
北八「あんまりよすぎてくびがまわらぬよふだ」
此内弥次郎ゆよりあがりくる。
かみゆひ「サアあなた、髪なされませんかいな」
弥次「イヤどふか湯に入たら、ぞくぞくして、風でもひいたよふだ。わつちはマアあしたのことにしやせう」
かみゆひ「さよなら御きげんよふ」
出行。此うち女、膳をもちいでめいめいへなをす。上方ものは先刻より、ねころびいたりしが、おきなをりて
「ドレ飯くをかいな」
女「今日はしけで、お肴がなにもおわせんわいな」
弥次「是は御ちそう。サア北八どふだ」
北八「弥次さん。わつちが箸はどこにある」
弥次「ヱヽ此男は。ソレ膳についてあらア」
北八「とつてくんな。どふもうつむくことがならねへ」
弥次「なぜならねへ。ヲヤヲヤ手めへの顔はどふした。目がひきつつて、狐つきを見るよふだぜ」
北八「あんまり髪ゆひめが、ごうぎにねをつめていやアがつて、アイタヽヽヽヽヽ、くびをいごかすたびに、めりめりとかみの毛がぬけるよふだ」
上方もの「ソレおまい、お汁がこぼれるわいの。アレお飯のうへに、お汁わんをおかんすさかい。アレこぼれたわいの。コリヤもふとつとやくたいじや」
北八「弥次さん。どふぞふいてくんな」
弥次「いめへましいおとこだ。そしてマアうつむかされぬほどに、なぜそんなに、かたくいわせた。もふちつとゆるくすればいゝのに。手めへ大かた、かみゆひをいぢめたろふから」
上方もの「そじやさかい、そないなめにあはんしたのじやろぞいな」
北八「イヤもふ、ものをいふさへ、あたまにひゞけてならぬ。弥次さんどふぞ、この難義を、たすかるしよふはあるまいか」
弥次「ドレおれがちつとゆるくしてやろう」
髪のねをもつていやといふほどぐつとひつたてる
北八「アイタヽヽヽヽ、どふするどふする」
弥次「これでよかろう」
北八「アヽちつと、くびがまわつて来た。アヽどんだめにあはしやアがつた」
あなどりしむくひは罸があたりまへ ゆだんのならぬいせのかみゆひ
みづから斯よみて打笑ひツヽ、支度仕廻、はや膳もひけたるに、いづれも打くつろぎて、はなしの序(ついで)に
京の男「ナントこよひ、これから古市へいこかいな」
「まだ宮めぐりもせぬさきに、もつてへねへよふだが、まゝのかは、やらかしやせう」
京の人「いて見やんせ。わしやあこで、年々すてたかねが、千や弐千のこつちやないさかい、なんぼなとわしがうけこみじや。サアはやういかんせんかいな」
弥次「ヱヽそんならおれも、髪月代すればよかつた」
京「御亭(ごて)さん御亭さん。ちよと来ておくれんかいな」
このやどのていしゆ「ハイハイ御用でおますかいな」
京「おゑどのお客が、これから山へのぼろといな」
妙見町のつうげんに古市へゆくを山へのぼるといふ
ていしゆ「よござりましよ。おともしてまいりましよ」
京「アノ牛車樓か、千束亭(ちづかてい)に、しよじやないかいな」
北八「たいこの間とやらは、何屋にありやす」
ていしゆ「たいこじやおません。鼓の間の事かいな。ソリヤ千束やでおますがな」
京「そのちづかやがよござりましよ」
ト みなみなしたくするうち、はや日もくれて時分はよしと、ていしゆをあんないとして三人とも、出かけ行ほどに、此妙見町のうへは、すぐに古市にて、倡家軒を ならべ、ひきたつるいせおんどの三みせんいさましく、うかれうかれて、ちづかやといへるにいたれば、女供みなみなはしり出
「よふござんした。すぐにお二階へ」
ふぢやのていしゆ
「おつれ申てもよいかいな。サア御案内いたしましよ」
トていしゆをさきにおのおの二かいへ上り座につくと
京「ときに弥次さん。こうしよじやないかいな。おまいがたを、お江戸でゑらいおつきな店の、番頭衆にしよじやないかいな」
ふぢや「そないことがよござりましよ」
京「しかし、訛(なま)らんしてはあかんわいの、上店(かみだな)といふもんじやさかい。京談でやらんせにや、工合がわるかろが、どふじやいな」
弥次「そんな事は、もつてこいだ。すつぱりと、わつちがかみがたでやらかしやしやう。コレコレおなごしゆおなごしゆ。ちよと、きておくれんかいの。わしやなんじややら、とつともふはや、ゑらふ咽がかわくさかい、ちやひとつ、もて来ておくれんか」
女「ハイハイ」
弥次「ナント京談、ゑらいかゑらいか。へヽちくしやうめが」
京「イヤきよといもんじや。でけたでけた」
ト此内女酒さかなをもち出すゝめる。ふぢやはじめてだんだんにまはすと、京の人引うけて
「コレお仲居、おやまさんはどふじやいな。コノおかたはな、お江戸のゑらいお店のばんとうさんじやさかい、なんじやあろと、おやまさんをありたけ 出さんせ。お気にいると、百日も二百日も御逗留で、おかねの入事はねからはから、とんとおかまひないおかたじや」
ふぢや「さよじやわいな。私が去年、おゑどへさんじた時、お店のまへを通りましたが、なるほどゑらい御大家じや。あなたの御支配なさるほうは、両替店と見へましたが、これもおつきなお見世でおますわいの」
弥次「ナニサ格別ゑらい見世ではないわいの。間口がやつと三拾三間あつて、佛の数が三万三千三百三十三ぐらしじやさかい、ゑらい賑かなこといな」
ふぢや「京の店は、たしか六条数珠やまちであつた」
弥次「サイノわたしがとゝさんかゝさんは、さぞやあんじてゐさんすじやあろに、こないにおやまばかり買ふて、とつともふ、ゑらいやくたいじや、ゑらいやくたいじや」
女「これいし、みなお出んかいな」
よびたつるこへに四五人たち出
「どなさんもよふござんした」
弥次「ハヽアどれもゑらい出来じやな」
京「ばんとうさん。盃をちとあつちやへさゝんせ」
弥次「アイもし、ひとつあげふかい」
その中でいちばんうつくしやつへさしてにこにこしてゐる
北八「おいらは太鼓の間が見たいが、どふだ」
京「また、たいこの間といわんす。つゞみの間じやわいな」
女「つゞみの間には、これもお江戸のお客さんがたが、子どもしゆよせて、おどらせてじや。アレきかんせ」
此内おくのつゞみの間にておどりがはじまると見へて、さみせんのおときこへる
チテチレ、チテチレ、チヽヽヽヽ、トテチレトテチレ
いせおんどうた
「すゞ風や、ちりもはらふて木がくれの、池にうかべる月の顔、けわひはさとのいろいろに、ヨイヨイヨイヨイよいやさア」
京「イヤアおくで踊をはじめおつたそふじや。こちもコリヤおもしろなつてきた。ちと、おつきなもんでやろわいな」
弥次「そふさ。とんだおつにうかれて来た。もふ京談も何も面倒になつた。ヨイヨイヨイヨイよいやさア」
京「イヨイヨトテチレトテチレ」
又おくのうた「めだつうきなもおもしろき、やはらぐうや三みせんに、足もしどろに立かへり、またもこよひのやくそくは、ヨイヨイヨイヨイよいやさ。トテチレトテチレ」
京「コリヤゑらひゑらひ。時にと、下拙の私めが相方のおやまさんは、コレおまい、名はなんといふぞいの。なんじやお弁。ありがたいの。誰あろう勢刕古 市、千づかやのお弁女郎といふ、美しいかわゆらしい、女の弁才天女様は、忝(かたじけ)なくも尊くも。京都千本通、中立売ひよいと上ル所、辺栗屋与太九郎 さまの相方じや。ちとねき(側)よらんせんかいの」
ト手をとり引よせる。此京の人は酒にゑふと、何でもていねいにくどくいふことがくせにて、だんだんくだをまきかける。弥次郎ははじめに、わがさかづきをさしたるおやまゆへ、じぶんのあいかたとおもひゐたりしに、京のおとこ、わがあいかたのよふにいふゆへ、やつきとして
弥次「コレ京の客、ソリヤわしがあいかたのおやまさんじや」
京「イヤ何いはんすぞいの。コレ女中のお仲居、おまい名は何といふてじや」
女「ハイきんといふわいな」
京「ソレソレ勢州古市、ちづかやの仲ゐ、おきん女郎に、京都千本通、中立うりひよいと上ル所、辺栗や与太九郎が、先刻内々ひきあふておいた、アノ美しい可愛らしい、弁才天女のおべん女郎といふおやまさんは、則京都千本通中立売」
弥次「ヱヽやかましい。千本も百本もいるものかへ。何でもからしよてつぺんに、おれがさかづきをさしておいた」
ト いふは、ゑどにては、じょろうのざしきになをると、すぐにさかづきをさして、あいかたをさだむれ共、このへんにては、さようの事はなく、たゞないないにて ちや屋の女ぼう、あるひは女などにさゝやきて、あれはたれ、これはたれと、あいかたをきはめておくゆへ、京の人せんこく、中ゐへわたりて、此中にていつ ち、上しろものを、じぶんの相方とさだめ、のこりを弥次郎、きた八と、おのれがさりやくして、きはめておきしゆへ、弥次郎はそのことをいつこうしらず、ゑ どのかくにて、さかづきをさしたるおやまを、わが相方とおもひゐたりしゆへ、さてこそこのいさくさおこりたり、なかゐ弥次郎をなぐさめて
「これいし、アノおやまさんはな、此人さんの相方、おまいさんは、こちの嶋田髷さんじやわいな」
弥次「ばかアいふな。此中でアノおやまが目についたから、それでおれが、盃をさしたにちがいはない。そこでわしがおやまかいな」
京「ハテわるいがてんじやわいの。こなさんは、アノ江戸はどこじやいな」
弥次「ゑどは神田の八丁堀、とちめんやの弥次郎兵衛さまといつちやア、ちとひねくつた奴さまだア」
京「そのおゑどの神田八丁ぼり、とちめんやの弥次郎兵衛どのといふ、ひねくつたやつこさまが、京都千本通、中立うりひよいと上ル所、辺栗や与太九郎があいかたのおやま、勢州古市ちづかやの」
弥次「ヱヽ何をぬかしやアがる。へんぐりの与太九郎もあきれらア」
京「イヤこゝなおゑど神田八丁ぼり、とちめんやの弥次郎兵衛どの、京都千本通、中立売上ル所、辺栗や与太九郎を、京都千本通、中立うり上ル所、辺栗や与 太九郎殿といへばまだしも、それを、京都千本通、中立うり上ル所、辺栗や与太九郎とよびすてにさんしたの。そこでもつてからに、京都千本通、中立うり」
弥次「ヱヽやかましい。よくしやべるやらうだ」
北八「おらアそんなことより、太鼓の間が見てへ。たいこの間はどこだどこだ」
女「たいこの間とはなんじやいし。つゞみの間のことかいな」
北八「ヲヽそのつゞみつゞみ」
京「イヤつゞみじやあろが、なんじやろが、此辺栗や与太九郎が、相方じやわいの」
弥次「コレわるくしやれるな。何でもつゞみの間はおれがのだ。わるい敵役じやアねへが、いやでもおふでも抱てねる」
ふぢや「ハヽヽヽヽ、あのひろい、つゞみの間をかいな」
弥次「ヲヽひろくてもせまくても、頓着はねへ。おれがものだ」
京「イヤイヤイヤイヤ、そりやさゝんわい」
弥次「ナニさゝんことがあるものか。誰が何といつても、京都千本通中立うり、とちめんや弥次郎兵衛さまが相方だハ」
京「イワ此おゑど神田八丁堀あがる所、へんぐりや与太九郎の買ふたのじや」
北八「ハヽヽヽ、おめへがたは何をいふやら、どつちがどふだか、さつぱりわからなくなつた」
女「そして此おかたは、京のおかたじやといわんしたに、ものいひが、いつの間にやらおゑどじやわいな」
弥次「べらぼうめ、このいそがしいに、京談がつかつてゐられるものか」
女「あんまりおまいさんがたがいさかふてじやさかい、ソレ見さんせ、おやまさんがたは、みなにげていかんしたわいな」
弥次「いめへましい。もふけへるべい」
女「マアよふおますがな」
ふぢや「モシこうしよかいな。これから、柏屋の松の間をおめにかけふわいな。たゞし麻吉にお供しよかいな」
弥次「いやだいやだ。おらアぜひけへるけへる」
ふぢや「ハテよござります」
弥次「イヤとめやアがるな。いめへましい」
すつと立てかへろうとする。仲ゐども立かゝりて、いろいろあいさつし、とめてもとまらず、ふりはなし出かけるところへ、あいかたのおやま初江立出
「これいし。なんじやいし」
弥次「とめるな。よせへよせへ」
初江「おまいさんばかり、そないになア、かへるかへるといわんすがな。わしがお気にいらんのかいし」
弥次「イヤそふでもねへが、こゝをはなせはなせ」
初江「わしやいやいし」
又かけ出しそふにするを引とらへむりむたいにはをりをぬがせる
弥次「イヤ羽折をどふする。よこせよこせ」
いひながら、又かみいれたばこ入をとられる
弥次「コレサおらアけへるけへる」
初江「じやうのこわい人さんじや」
いひながらおびをぐつとひきほどき、きものをぬがせよふとする。弥次郎は、あかじみたる、ゑつちうふんどしをしめてゐたりしゆへ、はだかにされてはたまらぬと、大きにへきゑきし、きものを両手におさへて
弥次「コレコレ、もふかんにんしてくれ」
初江「そじやさかい、こゝにゐさんすか」
弥次「ゐるともゐるとも」
仲ゐ「はつ江さんもふ堪忍してやらんせ」
ふじや「サアサアよござります。これへこれへ」
弥次郎が手をとりもとの所に引すへる
北八「ハヽヽヽヽ、おもしろへおもしろへ。弥次さん斯(かう)もあろうふか」
むくつけき客もこよひはもてるなり 名はふる市のおやまなれども
此一首に、みなみなわらいを催し、藤屋の亭主、仲居どもが、そこら取かたづけて、それぞれに座敷を儲け、酔倒れたる上方ものを引立て案内するに、北八も倶に出行ば、あとに弥次郎兵衛ひとり残りたるに
女「サアサアおまいさんもちとあちらへ
ト いひながら立て行。此弥次郎いたつて見へものにて、かのにしめたるごときふんどししめたるが、ことの外きにかかり、ひよつと見付られたら、はぢのかきあげ ならんと、ふところのうちにて、そつとはづし、れんじのまどより、にはのかたへほうり出し、あとさきを見まわし、人の見ざるにあんどして、仲ゐのあとに引 そひゆく
かくて夜も更わたるに、おくの間の、川さきおんどもおのづからしづまり、旅客のいびきの声喧(かまびす)く、鐘の音もはや七ツひゞきて、鶏の声万戸にうたひ、夜もしらみかゝる。あかり窓の障子におどろき、起あがりて目をこすりながら
京の人「サアサアどふじやどふじやいなおきさんせ。もふいのわいの」
北八「弥次さん。日が出たア、けへらねへか」
ト両人弥次郎がねている所へ来りおこす。弥次郎おきて
「ヤレヤレぐつとひとねいりにやらかした」
おやま「これいし、けふもゐさんせ」
弥次「とほうもねへ。けへるけへる」
トみなみなしたくして出かける。おやまどもおくりてらう下に出、一人のおやまれんじのまどより、にはのかたをのぞき
「これいしこれいし。アレ見さんせ。庭の松に、いもじがかゝつてあるわいなア」
弥次郎のあいかた女郎はつ江「のいてかんせ。ほんにいやいな。誰じやいな」
弥次「ハヽアこいつはおかしい。羽衣の松じやアねへ。ふんどしかけの松もめづらしい」
北八「弥次さん、おめへのじやアねへか」
はつえ「ほんにそれいし。あのさんのまはしじやないかいな」
ト弥次郎がかほを見てわらふ。弥次郎は宵に、れんじよりすてたるふんどし、にはのまつのえだにひつかゝりて、ぶらさがりゐるを、おかしくおもひながら、さすが、それともいわれずへいきにて
「ナニとほうもねへ。あんなきたねへふんどしを、ナニおいらがするものか」
はつえ「そじやてゝナ。ゆふべわしや、このおきやくさんの、きりものをぬがすとてなアよふ見たが、あないな色の、まはしじやつたわいな」
京「ヲヽそふじやあろぞい」
弥次「ばかアいわつせへ。おらア木綿ふんどじはきらひだ。いつでも羽二重をしめてゐる」
はつえ「ヲホヽヽヽヽ、うそやの。あれじやいし」
北八「いかさま、おいらも見おぼへがある。たしかにあれだろう。それが嘘なら弥次さん、おめへ今はだかになつて見せなせへ。今朝ア宿入のやつこさまで、ふつてゐるにちげへはねへ」
はつえ「そふじやいし、ヲホヽヽヽヽ。これいし、久すけどん、そのまはしはおきやくさんのじや。とてくだんせ」
トにはに、そうぢをしてゐる男をよびかけ、さしづすると、此男竹ぼうきのさきにて、かのふんどしをつつかけてとり、れんじのまへゝぐつとさしいだし
「さあれば、ひんどしをまいらそふ。ソレとらんせ。どふじやいな」
はつえ「ヲヽくさ」
北八「ハヽヽヽヽ、弥次さん、手を出しなせへ」
弥次「ヱヽなさけないことをいふ。おれがのじやアねへといふに」
北八「そんならおめへのを、まくつて見せなせへ」
ト弥次郎がおびをときにかゝれば、ふりはなして、そのまゝにげ出して行
みなみな「ヲホヽヽヽヽワハヽヽヽヽ」
ト大笑しておくり出る。三人とも此所を立出ると
弥次「ヱヽいめへましい。北八めがおれに赤恥を、かゝしやアがつた」
北八「松に、ふんどしのぶらさがつたもめづらしい」
ふんどしをわすれてかへる浅間嶽 万金たまをふる市の町
かくて、妙見町に立かへりたるに、其日のそらのけしき、いと長閑なれば、いそぎ内外のみやめぐりせばやと、支度あらましにして立出るに、行ほどなく今戻 りし古市のあがりくちに、はや見せいだして、めいめい小屋に、引たつる、いにしへのお杉おたまが、おもかげをうつせし女の、二上りてうし
「ベンベラベンベラチヤンテンチヤンテンチヤンテン」
トむせうに引たつるうたのしやうがは何ともわからず、往来の旅人此女のかほにぜにをなげつくるを、それぞれに顔をふりよける
弥次「あつちらのしんぞう(新造)がゑくぼへ、ぶつつけてやろう」
ト銭二三文なげると、ちやつとよけてあたらず
「ベンベラベンベラ」
北八「ドレおれが、あてゝ見せやう、ハアこれはしたり」
京「なんとして、おまいがたが、どないにほりつけさんしても、てき(敵)らがさすもんじやないわいの」
弥次「こんどは見なせへ。ハアこれはいな」
北八「ヲヤヲヤさしぐるみやらかしたな。それでもあたらぬ。コリヤしよふがある。あんまりつらがにくい」
トちいさな石ころをひろいて、なげつくると、かの女、ばちにてちよいとうけ、なげかへせば、弥次郎のかほへぴつしやり
弥次「アイタヽヽヽヽ」
北八「ハヽヽヽヽ、こいつは大わらひだ」
弥次「アヽいてへいてへ」
とんだめにあいの山とやうちつけし 石かへしらる事ぞおかしき
かくて爰(ここ)を打すぎ、中の地蔵町にいたる。左りのかたに本誓寺といふ勝景の地あり。また寒風といへる名所もあり。五知の如来、中河原、さまざまし るすに遑(いとま)なし。夫より牛谷坂道にかゝれば、女乞食共、けはひかざりたるが、往来に銭を乞ふ。又十一二三の女子ども、紙にてはりたる笠のいろどれ るをかぶりて
「やてかんせ、おゑどさんじやないかいな。さきな嶋さん、はな色さん、ほかぶりさん、やてかんせ。ほうらんせ」
弥次「やかましい。つくなつくな」
こつじき「アノいわんすこといな。おゑどさんじや。ちやとくだんせ」
北八「ヱヽひつぱるな。ソレまくぞまくぞ」
よいかげんに、ばらばらとぜにをほうり、出せば、こつじきどもめいめいひろひて
「よくくだんしたや」
ひとりひとり礼をいふ。このさきに又、七八才ばかりのおとこの子、白きはちまきをして、そでなしばおりにたちつけなどをはきたるが、手にさいはい、あふぎなどをもちおどる、うしろに、あみがさきたる男、さゝらをすりすり
「ヤレふれふれ、いすゞ川、ふれふれちはやふる、神のおにはのあさ清め、するやさゝらの、ゑいさらさら、ゑいさらさ、ソレてんちうじや。やてかんせ、やてかんせ」
北八「ソリヤやてかんすぞ。しかも四もん銭だ」
乞食「四文ぜになら、つりを三文くだんせ」
弥次「こいつむしのいゝことをいふ。時にこの橋はうぢはしといふのか」
京「さよじや。アレ見さんせ。網でぜにをよふうけてじや」
北八「ドレドレ」
はしの上よりのぞきみれば、竹のさきにあみをつけて、りよ人の、なげせんをうけとめる
京「弥次さん。小せんがあらば、ちくとかさんせ」
弥次郎がぜにをかりて、さつさつとほふりなげる。下にはみなうけとめる
京「ゑろうふおもしろいな。よふうけくさる。もちつとほつてこそかい。コレきた八さん。おまえもつとかさんせ。ソレ又ほるぞほるぞ。ハヽヽヽヽ、ゑらいゑらい」
弥次「コレ京のお人。おめへ人のぜにばかりとつてなげる。ちとおめへの銭をもなげなせへ」
京「よいわな。おまいがたの銭じやてゝ、わしがぜにじやてゝ、かはりやせんわいの」
弥次「それだとつて、あんまりあたじけねへ」
京「ナニわしが此まい、参宮したときわな、きかんせ、ゑらいあほじやあつたわいな。こゝで銭五貫か、拾〆ほつたわいの。あんまりつらのにくいほど、よふ けおるさかい、何じやろと、こんどは網やぶつてこまそと、ふところに丁銀が一まいあつたを、ツイとほつてこましたら、やつぱり網でうけくさつたさかい、コ リヤどふじやいな、丁銀ほつたら網がやぶりよかとおもふたに、ねからたわいじや。どしてあみに、とまりくらつたしらんといふたりや、下におるやつめが、ソ リヤとまるはづじやとぬかしくさる。なぜじやといふと、ハテ網の目に、かねとまるじやと、ゑらふわしを、へこましくさつたわいの、ハヽヽヽヽ。サアサアい こわいな、いこわいな」