萬晩報は今日から10年目に
明けましておめでとうございます。
今日は萬晩報の誕生日。1998年生まれですから、今日から10年目に入ります。たった20通のメールから始まりました。多くの読者に支えられ、通信員などという制度も設けて多くのコラム筆者にも恵まれました。
このコラム通信を通じて、数多くの出会いがありました。萬晩報の筆者から数多くの著作も生まれました。出版社の編集者たちにも読んでいただいていたおかげだと思います。
3年前『アメリカの政治地図-地政学と人脈で読む国際関係』(講談社新書)を上梓した園田義明さんはサラリーマンをしながら驚異的な研究活動を続けています。今も新たな出版計画が進んでいます。
在ワシントンの中野有さんは4年前、『国際フリーター世界を翔る』(太陽企画出版)を世に出しました。自らの半生を”フリーター”として生きた軌跡は多くの若者の共感を得ました。近く「英語を学ぶこつ」を解説した書籍が書店に並ぶことになっています。
無医村だった長野県南相木村に家族で住み込んで11年の色平哲郎(いろひら・てつろう)さんは村での生活の知恵を世界に発信し続けています。色平さんについてはもう説明する必要もないかもしれません。
姉の伴美喜子は10年を超えるマレーシア滞在で考えた日本やアジアについて書いてくれました。5年前『マレーシア凛凛』(メコン)という本を世に問いました。いまもマレーシア在住日本人の必読本となっています。
萬晩報に書き始める前にすでに『球場に数秒間の沈黙を』(2003年2月、新風舎)を書いていた成田好三さんは私が書くことに行き詰まっていた時、大いに励ましてくれました。
感動は萬晩報の読者でイタリア在住の飯田亮介さんがジャーナリストのティツィアーノ・テルツァーニ『反戦の手紙』を翻訳して送ってくれたことです。WAVE出版の玉越社長に持ち込み、一気に出版となったことです。
一番の功労者は今、上海にいる岩間孝夫さんと大阪・東高麗橋の飲み屋「かぼちゃ」の仲間であります。黎明期に開かれたオフの会としての萬傘会は北海道から広島まで多くの”ファン”に来てもらいました。新しいメディアができる予感があったのです。
萬晩報は、主宰者たる小生の力不足でまだ執筆者に原稿料も支払えない状況ではありますが、ネットワーク社会の可能性を世に示すことができたのだとそこそこ自慢したい気分です。
100本のコラムを配信して終了するはずだった萬晩報がここまで続いたのは、9年前に「萬晩報はもはや公器」であると書いてきてくれた読者の一声が支えになっています。「公器」などとおこがましい話ですが、メールを受け取った時、アドレナリンが体中をめぐり回る精神の高まりがあったことだけは打ち明けておきたいと思います。
萬晩報は小生の体力と気力のある限り続けたいと思います。あらためて10年目を迎えた感謝の手紙となりました。
1月14日に「新渡戸稲造が描いた平和地図」をテーマに「アジアの意思ぱーと3」シンポジウムを開催します。参加を希望される方がいましたらよろしくお願いします。なお会場の都合、参加者は50人までとします。下記を参照下さい。