執筆者:中野 有【Nakano Associates】

サダム・フセインの将来はどうなるのか。イラクの選挙がスムーズに終わり、ワシントンでいくつかのイラク情勢に関するシンポジウムが開催された。Center for American Progress主催のシンポジウムには、イラクで選挙をモニターした専門家が発表を行った。タイ ムリーなテーマだけに会場は活気に満ちライブのテレビカメラも何台も入っていた。

http://www.americanprogress.org/site/apps/nl/content3.asp?c=biJRJ8OVF&b=593305&ct=1732469

戦争中のアメリカでこんな質問をしたら反感をくらうことは分かっていたがどうしても質問したくなった。それはサダム・フセインの将来についてである。フセインという人物を擁護するつもりは毛頭ない。でも、フセインがイラク法廷で語る様子は、様になっている。と思うのは私だけであろうか。

80年初頭、イラン・イラク戦争のバグダッドで駐在した。社会に出たばかりで、世間・世界が分からぬ時期であったが、テレビで毎日のようにフセインの雄姿をみた。当時のバグダッドは戦争中とは思えないほど、チグリス川のほとりには楽しそうなアベックの姿も見られレストランでも自由にお酒も飲むことができた。

そのイラクの自由は、アメリカの協力があって成り立っていたと思う。イラン革命(1979)が起こりホメイニ師の対立軸としてアメリカとフセインの利益は合致した。アメリカはフセインを利用し、フセインはアメリカを利用した。イラン・イラク戦争中は、イランのホメイニが悪でフセインは善のイメージがあった。

イラン・イラク戦争(1980-1988)がどちらが勝利することなく終わった。アメリカの中東政策にも変化が見られ、フセインの独裁色が強くなりイラクのクウェート侵攻(1990)と湾岸戦争の多国籍軍の勝利(1991)、1998年の英米を中心に「砂漠の狐」作戦によりイラクへの空爆、そして国連を中心にイラクへの経済制裁が強化された。

とりわけ、9.11同時多発テロ後、フセインはアメリカの標的になり千日前にアメリカの先制攻撃でイラク戦争が始まった。開戦後しばらくしてブッシュ大統領の勝利宣言がなされた。しかし、開戦時にフセインが予告したようにイラクの抵抗勢力がアメリカに多大な被害を及ぼした。

ブッシュ大統領は日本の戦後の統治・復興の成功例とイラクの今後を結びつけたスピーチを頻繁に行う。アメリカのデモクラシーは、軍事政権から国民を解放し平和を構築するとの考えである。

アメリカの主張は正しくもあるが、その前提条件を見落としてはいけないと考えられる。例えば、日本が無条件降伏を受け入れたのは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆の投下、ソビエトの参戦のみならず、アメリカが天皇制の維持を認めたからだと思う。日本国憲法の1条から8条には天皇のことが記されていることから、アメリカが如何に日本の国体を守るという当時の日本の主導者の意思を反映させたかが伝わってくる。

イラクのスンニ派にとってフセインは、日本の敗戦時の天皇の位置づけまでいかなくともヒーローである。少なくともシーア派との対立においてスンニ派の主流はそのように考えていると思う。従って、アメリカという世界の軍事覇権国家が本気で戦ってもイラクの抵抗勢力が衰えない(なかった)のはスンニ派を中心としたイラクの国体、すなわちフセインへの対応の不手際であるように考えられる。

前置きが長くなったが、シンポジウムでは以下の質問を行った。

フセインの将来について。

スンニ派の抵抗勢力を緩和させる方策として、4つが考えられないか。