執筆者:伴 正一【元中国公使】

改憲議論が盛んだ。さきに自民党が独自の新憲法草案を発表したが、議論は軍隊の保持を禁止した9条と前文のあり方にばかり向かっている。せっかくの改憲のチャンスに恵まれているのだ。本来ならば、今一度、民主主義とはなにか、統治とは何かという国家の本質に関わる問題を国民的論議の俎上に上げなくてはならないはずだと思っている。2005年も押し迫るこの時、しばらく憲法論議を紙上で展開したい。皮切りは亡き父が残した季刊冊子『魁け討論 春夏秋冬』「日本新秩序6」(94年春季号)から日本の統治にかかわる部分を転載し、問題提起したい。

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「天は人の上に人を作らず」と言ったのは福沢諭吉である。

今の日本人ならすらすら読んで何の抵抗も感じないだろうが、少し格好をつけ過ぎてはいないか。聞こえはいいが読み方によっては、リーダーシップ、更には国家権力の存在そのものを否定するようにもとられかねない。

このことばに耳慣れている普通の日本人は「そんなバカな」と思うだろうが、それでいて結構、この言葉の暗示にかかっているフシがあるから恐ろしいのだ。

デモクラシーを民主主義と訳したことも、同じような暗示を与えた。民が主(あるじ)だというなら、主の上に権力があったらおかしいからである。同じことが「主権在民」についても言える。

そんな言葉の遊戯とかかわりなく、どんなデモクラシーの国にも、国家権力は厳然としてある。

国民が選んだ大統領や首相の権力は強大で、立憲君主のそれにひけを取らない。

権力の行使を分掌する役人の数だって、王制でなくなったという理由だけで減るわけのものではない。

税務署はどっちの場合だって、恐いものである。

それはそうだろう。もともと国家というものは権力機構だと、定義からしてなっている。

そしてデモクラシー思想もまた、当然のことながら国の統治に権力の不可欠なことを公理として認め、それを基軸に思想が展開されているのである。

だが恐ろしいのは、この肝腎かなめのところで、さきほど言ったような暗示にかかることである。この暗示から抜け切らないでいると、デモクラシーそのものが別のものに見え、変な観念論が割り込んできて建設的なディベートが〝電波障碍〝を受ける。

問題は日本の戦後デモクラシーに、この致命的な症状なきや、だ。

大正デモクラシーという言葉がある。皇室を憚(はばか)ってのことだろうか、大正民主主義とは言わなかった。

今になってみると、デモクラシーをこんな式にそのまま使っておいた方が賢明ではなかったかという気がしてくる。

そうしておいて、当時の日本では微妙なところだったと思うが、デモクラシー制度の下で、君主に代って国家権力を行使するのは〝有権者何千万人〝ではなくて、何千万が選ぶ民選首長であることを明確にしてさえおけば、思い違いも混乱も起こりようがなかった。

どうしても訳語が欲しければ、「民本主義」で鳴らした吉野作造に断わって、吉野が違った意味で使ったこの言葉をデモクラシーの訳語に貰い受けておけばよかった。

こういう思想上の膳立てがもしできていたら、占領軍がやってきてデモクラシーが鼓吹されたとき、日本人は、国の営みの公理を見失わないで、政治の現実と噛み合った思想内容でデモクラシーを理解したであろう。

この所論には、それこそデモクラシーを誤り伝えるものだという反論もあろう。

その通りかも知れない。デモクラシーの原義を私が、勝手に仕立て直そうとしているのだと言われれば、それを認めてもいい。

だがその場合でも私は、こう考える。

デモクラシー思想を、西洋人が組み上げた論理構成のまま採り入れるのか、理由づけみたいなところは日本人の頭に入りやすいように仕立て直し、大体の趣旨は同じでも、思想としては別物に仕上った、日本生れのデモクラシーにして制度化するかは、日本人の好みで決めればいいことだ。

国を経営していく上での根幹的な制度を作るに当たって、直輸入を正当とする理由はない。

あれだけ儒教を尊崇しながらも、易世革命の部分を先祖たちは採らなかった。それでどこが悪かっただろうか。

放伐を正しいものとする理論構成が日本では不必要だったし、天命という思想上のキー・ワードも、個人が奮起するときの、気持ちの整理用に格下げされてしまった。

そういうことでいいのではないか。
伴正一遺稿集 http://www.yorozubp.com/shoichiban/