王滝村が突きつけた直接民主主義の発想 2005年8月

情報交差点2005年08月 共同通信社津支局長伴武澄

 6月23口、長野県王滝村の村議会で「議員定数削減」と「村民総会設置」の2つの条例案が提出された。スイスのカントン(郡)のように日本でも「直接民主主義が生まれるかもしれない」と期待させたが、どちらも翌週の29日に否決された。
 平成の大合併で市町村数は6月末で2350となり、年末には2200にまで激減するといわれる。合併特例債というアメにつられたわけではないだろうが、歴史を無視したような。けったいな名E少の自治体が多く生まれ、暫定信雌とはいえ100人を超えるマンモス議会も1つや2つではなくなった。自治体職員のリストラはほとんど行われず、行政のスリム化は遠い夢物語となった。
 地域での合併から収り残された背水の陣の中で投げかけられた「村民総会への挑戦」だったが、そんななかでも「議会があって当然」とする民主主義のあり方に一石を投じた貴屯な問題提起だった。

 過去あった村民総会
 王滝村の存在は1984年、長野県西部地震による土石流で多くの犠牲者を出したことから記憶に残っている人も少なくないと思う。人口は昨年10月1日時点で1142人、この5年で2割減った。御嶽山を抱える観光と林業が主たる産業。典型的な過疎の村といっていい。
 村議会で提案された村民総会設置条例案は「条例案は、村民総会は18歳以上の全村民を構成員とし、定例会を年―回開催、半数以上を定足数とし、報酬は支給しない」というもので、町村議会を置かずに、有権者の「総会」を設けることができるとした地方自治法94条の規定に基づく。
 日本の地方自治法にそんな規定があったことに新鮮な驚きがあった。六法全書をひもとくと、地方自治法94条に「町村は議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」とある。
 村民総会は明治憲法下では神奈川県足柄下郡芦之湯村(現箱根町の一部)で現実に機能し、戦後も一時、東京都八丈島の宇津木村(人口61人、有権者数30人前後)に設置されたが、やがて八丈町に併合されてなくなったという経緯がある。
 もちろん村民総会などは、現在は存在しない。しかし、そもそも世帯数が数100の小さく貧しい村で「生業としての議n」が必要なのかどうかも疑問だ。人件費だけの問題ではない。選挙にだってお金がかかる。小さな自治体で行政と議会という2つの機能が不可欠とは思えない。

 拒否された合併
 王滝村に「村総会」などという発想が生まれる背景には、この村が抱える深刻な財政状態があった。
 王滝村はもともと木曽中北部7町村で介併する方向にあったが、住民の反対でまず木祖村と上松町が離脱。今年3月末の合併特例法期限内の申請に間に合わせるため、残る5町村でぎりぎりの調整を図ったが、最終的に4町村に難題を突きつけられて合併から外されてしまった。
 障害となったのは、王滝村が営む「おんたけスキー場」の約22億円の借金だった。7町村の合併協議では、基金を収り崩して借金を約13億5000万円に圧縮することで合意していたが、5町村の協議ではさらに70人の村職口を半減するよう嬰求された。そもそも住民あたりの村職員数も多かったのだが、王滝村からすれば「無理難題」に映った。住民のなかにも「そこまでいわれてまで」という意見が少なくなかった。
 合併断念に追い込まれた小林正美村長は5月末、財政非常有態を宣言した。このままの行政規模を続けると来年皮には財政再姓団体に転落することが確実となったからだ。遂に退路を断たれ、人件費の大幅削減や住民サービスの見直し作業が始まったのだ。
 一方、「王滝村の自立を考える村民の会」(稗川薫会長)という住民グループが村議会に対して「定数を削減せず、チェック機能も果たしていない」として、村議会解散を詰求する署名運勁を始めた。署名は換算請求に必唆な301を上回り、5月末に「住民投票のうえに議会議員選挙をしている時問的な余裕はこの村にはない」と議会の自主解敵を求めた。
 問題の村営スキー場は、6月になって北海道に本社がある総合観光リゾート会社に運営を引き継がれることになったが、状況は好転したわけではない。村民総会の提案はそんなにっちもさっちもいかない段階で出されたのだが、残念ながら村議会では議論らしいものもなく否決された。

 広めたい王滝村の経験
 戦後、日本は間接民主主義を旨としてきたが、本来、民主主義は直接住民の意思を問うところからスタートしたはずだ。平成の市町村合併では多くの自治体が「レファレンダム (住民投票)」を行った。これはまさしく住民総会の「変形」いな「原型」なのである。ほとんどの自治体が初めて、住民の意思を問う場を提供したという点では意義があったのではないかと思っている。
 特に王滝村のように合併に取り残された自治体の住民は、わが村の窮乏した実態を目の当たりにして、村の将来をわが身のこととして考えているはずだ。これまで、仕事も教育も福祉も国がなんとかしてくれるはずだった。将来の地方交付税交け金を担保とした合併特例債という甘い汁に誘われて始まった合併協議だったが、過去の過剰な借金が足かせとなって、終わってみれば合併相手はどこにもいなくなった。そんな自治体は王滝村だけではない。
 王滝村の救いは、政治も行政も発想がフリーズするなかで、まだ住民の一部になんとかしなければというエネルギーが生まれていることだ。平成の市町村合併は実に多くの問題を残したが、「村がなくなる」という事態に直面して、ようやく知恵が出るのだということを教えてくれるのも王滝村だった。
 村民総会に関して、片山虎之助前総務相が2001年11月27日の衆院総務委員会で興味深い発言をしている。社会民主党の重野安正氏に対する答弁だが、「ITがずっと進みまして、インターネット、オンライン時代になるんですよ。そういうことになるときに、市町村の住民の意思を直接聞いてみよう、そういう制度ができれば、町村総会は形を変えて生まれ変わってくる、私はこう思います」。
 窮余の策として出て来た王滝村の村民総会の発想は、決して荒唐無稽ではない。金がかかりすぎる間接民主主義の反省から、もっと規模の大きな町村でも将来、町村総会を置くところが出てくるかもしれない。妙案は「なーんだ」という実に簡単な発想にあることがよくある。王滝の経験は今後、大いに全国に広めたい。

伴武澄(ばんたけずみ) 51年高知県生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。共同通信社入社。大阪支社経済部にて証券・エネルギーなどを担当後、本社経済部にて大蔵省(当時)、外務省などを担当。この間、中国・東南アジアなど移動特派員を兼務。経済部、報道部次長を歴任した後、現在に至る。98年よりインターネットコラム「萬晩報」を発信。https://www.yorozubp.com

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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