執筆者:兵頭 ニーナ【ギターボーカリスト】

入口のドアーを開けまっすぐ進むと大広間があり、右角に煉瓦造りの立派な暖炉がある。脇には薪が積まれ火付け用の紙や小枝、おが屑もあって単なる飾りでは無いと解って歓声を上げた。冬はこれだけで暖を取るのかな、と思ったが各部屋にはガスストーブがすえ付けられてあった。

ヴィクトリアが越して来るまでは家主が住んでいて家族みんなで造ったらしい。今は真上の5階に住んでいてよほど自慢なのだろう、とどみたいな女主人が時々誰か連れて来ては「ごめんなさい数秒でいいから見せて」と入り込み耳を塞ぎたくなるような大声で数分も説明して帰って行く。人のいいヴィクトリアもこの頃すっかり呆れている。

少し寒い日、ペチカに火を点けるのでみんな大騒ぎになった。大袈裟だなと思ったが、前回は友達が火入れしたらしく誰も経験がない。子供の頃、炉端のある田舎に暮らした私が何とか一番太い薪まで燃やすのに成功した。

以後私はペチカ係となって5月半ばまで何回となく火を入れた。そばのロッキングチェアーにゆったりと座りペチカの火を見つめその暖かさにうっとりしていたら、いつの間にかうたた寝をした。なんと贅沢な時間だろう。ところでロシア語ではペチカというのはガスストーブのことで、暖炉はカーミンと言うのだそうだ。

大広間の右隣には8畳くらいのキッチンがあり窓を開けると中庭が見える。トタン屋根の車庫が縦に横に7つ8つあり、それぞれにあつらえるらしく形も大きさも不ぞろいだ。ほかに青空駐車でベンツやBMW等高級車が5~6台おかれている。

実は初めてこの窓を開けて下を覗いた時、あまりの高さに背筋がぞお~っとして思わず後ずさりしたのだった。このアパートが建てられたのはソヴィエト時代とも帝政ロシア時代ともいわれ、天井が高く(3.2m以上もあった)中地下がある構造となっている。だから4階とはいうものの実際は中一階から始まるので日本的に考れば5.6階ぐらいの高さかも知れない。

建物から直角に突き出た2本の棒には何本もの紐が張られていて、ひさしも無い窓から身体を半分ぐらい出してせんたく物を干してるリューバ母さんを見て、あー私にはとても出来ないと思ったものだ。ある時、中庭から上に向かって何か大きな声で叫んでる人がいたので最初は階段が面倒で誰かを呼んでるのかと思ったのだが、何か物売りらしい。

くだもの売りだったり、ほうき売りだったり、あるいは肉屋だったりと、日に何人も来る。欲しい人はお金を入れたバスケットなどを紐でつるして下げると代わりに品物が戻ってくるって訳だ。

おもしろ~い。一度やってみたいと思うが、やっぱり下を見るとくらくらしてバスケットより先に落ちてしまいそうだ。やっぱり止めておこう。
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