執筆者:兵頭 ニーナ【ギターボーカリスト】

国内での音楽活動に区切りをつけ、ギターボーカリストNINAこと、兵頭ニーナさんがトビシリにその活動を拠点を移しました。そのNINAから突然のメールが飛び込みました。ロシア人の母、日本人の父(元満鉄調査部)ゆえか独特の情感がある歌声が途絶え、懐かしさが言の端にのり始めた頃、トビシリの情景とともに女の子?らしい、チョット不安気な内容でした。

期を同じくしてブッシュ大統領がグルジアを訪れ、元ロシアの子に歯の浮くような言葉を投げかけていました。俗に「こっちの水は甘い」ということです。一躍脚光を浴びたグルジアの蜜に国民はどう応え、変化してゆくのか、いや翻弄されるか。ニーナの目はその庶民に向けられていました。日本の女性にとって、まことにウザッタく面倒な国際政治や経済の問題が否応なしにグルジアに降りかかります。

歴史の操りと貧困ゆえか、人情豊かな庶民の生活や生活事情は放蕩に馴れた日本にとって、いずれかの蘇りに効ある便りにみえました。

転送した伴、大塚氏からニーナのグルジア生活観は、面白い、知らせるべき、との歓迎があり、萬晩報に記載されることになりました。

ホームシックを乗り越え、グルジアでの夢を挫折?させないためにも応援していきたいとおもいます。

ちなみに、あのヒット曲百万本のバラを一番最初にレコーディングしたのはニーナですし、小文「請孫文再来」のテーマ曲『トシコ』も作曲しています。萬晩報の諜報員、いや特派員の調査報告をお楽しみください』

【トビリシに来たニーナ】旅立ち

4月10日。10日間もお世話になった矢島家を朝9時半に出発、成田に向かう。日曜日とあり混雑を予想したが以外にスムーズに走った。高速道路沿いの満開の桜はいつ帰国するかも知れない私の心に素晴らしい日本の景色としてしっかりと焼きついた。

さて、ギターとノートパソコンを除いた荷物は80キロ。いったいどのぐらい超過料金を取られるだろうと心配していたが、私のチケットが40キロまで無料(20キロと思っていた)といううれしい誤算で5万5千円ぐらいでおさまった。

と思いきや「本日満員のため畿内に持ち込めません。大切にお取り扱い致しますのでギターをお預けください」。あまり信用できないがパソコンじゃ完全にいかれてしまう。でさらに5千円ほど払って泣く泣くギターを預けた。

チェックイン、荷物預け、ドル交換で1時間もかかった。矢島夫妻と私の愛猫ルーシーの里親小原さんらと軽くお茶を飲み、トルコ航空機内に乗り込んだ。イスタンブールまで12時間、空港で3時間待機の後トビリシまで3時間20分というなが~い旅の始まりであった。

とにもかくにも12時間も座りっぱなしというのはもはや苦痛以外の何者でもない。持ち込んだ本を一冊読み終わり、2回食事をし、映画を2本見てその間うたた寝をした。あ~それでももてあまして、機内をうろうろ。ほとんどの人が寝ていたがもはや寝るのもきつかった。

乗換え後、トビリシに到着したのは真夜中の午前2時半。空から見た街は暖かな光にキラキラ輝いていた。出発前日、ヴィクトリアと電話で最終打ち合わせた。「機内を出たらすぐにVIPと書いたマイクロバスに向かってください。私はVIPルームで待っています。ご心配なく」。あわてずゆっくり降りてマイクロバスの前に行き名前を告げると荷物引換券を取られてNo3と書かれたワゴン車に乗せられる。もうこの先はグルジア語も解らないビザも無い私にとってヴィクトリアだけが頼りだ。意外なほど冷静に覚悟を決めていた。

車を降りて外階段を上がると少しばかり薄暗い十畳くらいのVIPルームでヴィクトリアが笑顔で迎えてくれた。

「ニーナさんようこそ!」
「ヴィクトリア、約束どおりグルジアに来ましたよ」

軽く抱き合うとそれまでの緊張がいっぺんにほぐれた。

「お友達のジミートゥリーよ。ジーマと呼んで」
と背の高い男性を紹介された。

早速グルジア語で書かれた書類にいわれるまま、私の名前、パスポートナンバー、ヴィクトリアの住所など書き入れ10ドル払うとあっけなく1カ月のビザがおりた。荷物は表の階段の下に無造作に置かれてあった。数をしっかり確認し2台の車に積み込んでトビリシ市内へ向かった。

なにせ真夜中の3時すぎである。人も車も少なかったが、沿道にはキオスクみたいなテント張りの店がいくつも並び薄暗い灯りをともし、足元を毛布等でくるみ、居眠りしながら営業していた。

よくがんばるなーと感心する。市内に入ると建物が高くなり道が広くなりカジノの派手なネオンサインがまだ光っていた。

「どう? 寝る前に少し飲みましょう」と誘われグルジアの買い物初体験とばかりに彼女の後に続く。BIGBENという24時間営業の高級スーパーマーケットだそうでビール、ワイン、チーズ、レモネード等を買い込んでそこから3分でアパートに到着。

重そうな木の扉を鍵で開けると真っ暗な中に階段が見え、ヴィカの後ろに続いてギターを持って4階まで一気にあがった。長旅のあとの私には少々きつすぎてぜえぜえと息が切れた。ベルを押すとまたまた重そうなドアーがギギギーときしりながら開きリューバ母さんの笑顔があった。去年の11月に彼女を成田から見送って以来5カ月ぶりの再開だ。荷物はジーマとエムザリがすべて運び入れた。

さてそれから私達の小さなパーティが始まった。時計は日本時間朝の9時を指していた。

まず軽くビールで乾杯、それからワインを開けた。間もなくヴィカ(ヴィクトリア)の親友レラも表敬訪問に駆けつけ女3人のキッチンパーティが盛り上がる。しかしなんと言っても朝の5時だ。日本時間では午前10時ということだ。日本にいたらもう起きる時間だなあ早くグルジアの時間に慣れなくちゃなあと思ったが、もはや自分は寝たいのかどうか身体からの信号が掴めなかった。

酔っ払って寝ちゃえ!とばかりに勧められたチェリー酒も飲みはじめた。友人のワイナリーで造っているそうだ。

これが何ともおいしくて止まらなくなり少々飲みすぎてしまった。

疲れと酔いと興奮と寝不足で身体が相当まいっていたのだろう。その日の午後に3回も吐いてしまった。吐いては水を飲み吐いては牛乳を飲み、と胃液の調整をはかり夜にはおさまったが充分とはいえず腰と背中が痛かった。

「5時間の時差を飛び越えるには1ヶ月ぐらいかかりますよ」
ヴィカの息子イサトが教えてくれた。

ニーナにメール : nina2173@v7.com