執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】

中国で反日デモがはじまってから私が日本人と電話で話していて気がついたことがある。それは多くの人が事件のはじまり方を突然に感じている点で「何で今に」といった発言に表れた。ところが、私の最初の感想は長い間おそれていたのがとうとう来たであった。この違いは、私が欧米特にドイツのマスコミに接しているからである。

この2,3年来、こちらでは日中関係となると、体面を重んじる儒教文化圏の二大国が覇権(面子)争いをしているイメージがある。ところが、しばらく前からこの関係が劇的に悪化しつつあるとする報道に私はよく接した。

■中国製マッチポンプ

現場にいた欧米ジャーナリストが書いたものから判断するかぎり、中国の反日デモ・暴動はやらせのように思われる。だから中国政府が主張するような「自然発生的」なものではない。ジャーナリストが現場でそう直感したのは、人々の役割分担が前もって決まっているなどデモがあまりにもよく組織されているように見えたからだ。

例えば、日本の国旗を取り出して火をつける役目の人がいる。燃えて炎が出た途端別の人が順番を待っていたかのように出てきて用意していた消火器で要領よく消すといった具合である。この場面の記述を読みながら私は昔日本にあったマッチポンプというコトバを思い出して思わず笑ってしまった。これは自分でマッチを擦って火をつけて(=もめごとを起こして)おいて消火ポンプで消して(=もめごとをしずめて)利益を得る怪しげな政治家の行為が当時この名前で呼ばれていたからである。次に欧米人の記者に目立ったのは、お祭りの行列を随行するような警官、またテレビカメラを意識して石投をする人々などであった。

学生ならこのようなデモを組織できるだろうし、また彼らが組織したとしたら「自然発生的」である。ところが、多くのデモは、生憎なことに、北京や上海以外の出稼ぎ労働者が住む経済特区の町で起こっている。このような事情からも、共産党に近いところにいる人々が反日デモを組織していると推定される。

戦争犠牲者の補償を日本に要求している市民運動家として欧米で知られているTongZeng氏がドイツの新聞に登場した。自称会社経営者でドイツ製高級車BMを乗りまわすこの市民運動家は、江沢民から現在の指導者に交代してから運動がしやすくなったと自慢していた。

共産党が一枚噛んでいると思われる決定的な理由はそのメディア操作である。中国語メディアの関係者、すなわち国内向けのメディアではたらく中国人に、共産党支部から反日デモの報道を控えるようにという通達が出されていたことである。(このような情報が欧米のメディアにもれることは、中国がかなり開放的情報社会になりつつあることを物語る。)

■メディア操作の目的

中国語の国内向けメディアに反日デモの報道をさせないようにするのは、反日デモがコントロールできなくなる状況を政治指導者がおそれているからである。誰か上のほうの人からデモに誘われてあなたは参加する。週末反日を叫んで歩き疲れてねる。これはいいが、よその町で反日デモがあったことを聞いた誰かが自発的に反日デモを計画し実施する。これはまずいので、このような報道規制がされたことになる。

2004年、理不尽に怒った住民が徒党を組んで地方自治体や共産党支部に対して行った抗議デモが約5万8千件もあったとされる。国内のメディアに反日デモの報道制限をしたのは、反日デモがこのような住民デモと合流することをおそれているからだ。そうなったら反日デモと反政府デモは重なり、これを押さえようとするのは、反日(=愛国主義)を否定してしまうことになる。愛国主義が儒教と並び中国共産党のイデオロギー的支柱である以上、これは現在の中国政治指導者が自分から墓穴を掘ることになる。

次に考えることは、反日デモが共産党のコントロール下にとどまっているか、それとも暴走しはじめているかという問題である。少し前、ニューズウィーク誌はフーチンタオ国家主席がその点を特別におそれていると報道した。でもチベット弾圧の功績があったこの政治家が心配そうな顔をして、自然発火だったと、すなわち反日デモが「自然発生的」であったと国際的に著名なメディアを利用して発信しているのではないのか。現在、反日デモがあった町に沈静化のために人を派遣したり、中国公安関係者が不法デモを取り締まるとか約束したりしている。でもこれらは、消化役の人々が消化ポンプをふりまわして間接的に「自然発火説」を強調していることになる。もちろん古今東西火遊びが火事になることはあるので、予防措置と見なすことができるかもしれない。いずれに事態はコントロール下にある。

デモである以上、発信するメッセージがあり、またその宛て先があることになる。去年のサッカー・アジア選手権で拝見したように反日感情は国民にじゅうぶん以上に浸透し、またすでに触れたメディア操作からわかるように反日デモのメッセージの宛て先は自国民でなく(日本を含む)国際社会である。

次にメッセージ内容は何であるのか。(日本社会がどのように理解したかは別にして、)国際社会のほうはとっくにキャッチした。というのは、反日デモがはじまってから、温家宝・中国首相とシン・インド首相会談で長年敵対関係にあった中印両国がお手打ちする。その後の記者会見で中国首相が反日デモの意味を解説する。「これだけの多数の中国人(=アジア人)が過去を反省しないことで怒っていることからわかるように、日本はアジアを代表する国連安保常任理事国にふさわしくない」である。このために用意された舞台装置は完璧で、アジアでの日本の孤立をしめし、中国はごていねいにもインドの常任理事国賛成まで表明する。

でも日本常任理事国・不適性のためのアッピールだけならデモだけさせておけばすむはずである。ときどき「石投げ」をさせるのはなぜなのか。昔から東アジアの儒教文化圏には「膺懲(ようちょう)戦争」の伝統がある。これは、教育と称してビンタを加えるように隣国に対してしかける戦争で、最近では1979年に中国がベトナムに対して実施したが、私は今回のデモを見てこのタイプの戦争を連想した。戦争が(かの有名なドイツの戦略家が書いたように)別の手段による外交の延長であるとするなら、今回はその「別の手段」が国内での街頭デモであり、少々手がすべってビンタするように「石投げ」にしたのではないのか。

同時に、この実力行使は日本に対する威嚇・挑発であり、軽率な行動を誘い、日本国民に「過去の反省」が欠けている証拠をひきだすためかもしれない。いずれにしろ、人民服より背広が似合うようになった中国の現在の指導者は戦略的思考に長じているように思われる。

■高額納税者は当選して当然

これに対抗する日本の小泉首相はどうであろうか。よくいえば自然体であるが、悪くいえば支離滅裂だ。国連安保常任理事国になることが日本の重要な目標であるのなら、なぜ今中国とことを構えるのか。そうしたければ日本が安保常任理事国になってからはじめればよい。

常任理事国立候補でアジア諸国の支持が必要なのになぜ領土問題で韓国を怒らせたのか。常任理事国と竹島の返還が二つの重要な国家目標であるのなら、「竹島の日」とかいう条例の制定を阻止するべきではなかったのか。というのは、この条例の制定で島が戻ってくる目標が達成されるわけでないし、韓国を怒らすことで第二の目標の達成を困難にするからである。目標があるのなら、奇妙な行動をとってその達成を困難にするのは愚かなことではないのだろうか。私はこのように思うし、同じ疑問をもつ外国人ジャーナリストからも質問されて説明に困った。

私が想像することであるが、日本国民は自国が経済大国であり、国連負担金もたくさん支払っている。だから安保常任理事国になっても当然と考えているからではないのか。こう思い込んでいるために、中国や韓国が賛成するか、しないかなど、日本には重要に感じられない。でもなぜこの考えが甘いと考える人が日本では多くないのだろうか。例えば、大金持ちが衆議院に立候補する。ところが、この人は選挙運動もしないし近所の評判も気にしないで、自分が高額納税者であるから当選できると思い込んでいる。これは甘い考えだと普通なら思うはずである。とすると、やはりテーマが外交となると常識が忘れられて、高額納税者は当選して当然と考えてしまうのかもしれない。でもこれは、私たちが外国に出ると他の価値を認めない金権主義者になってしまうこととと、、、

■認識ギャップ

ここまで書いたところで、私は「日中両国に対立を平和的に解決することを望んでいる」とアナン国連事務総長が述べたニュースを読む。これは私にショックである。というのは、私の祖国はもう半世紀以上も前に「国権の発動たる戦争は放棄して」、紛争を平和的に解決することしか考えていないはずだからである。それなのに、国連事務総長からこんな勧告を受けるなんて、、、

そのうちに私には、こんなニュースなど日本で誰も気にしていないような気がしてきた。冒頭で日中関係について日本のメディアと欧米のメディアの間にある認識ギャップに触れたが、この点についてもう少し述べる。

多くの日本人は、教科書も靖国神社も、以前からある問題であり、反日デモをひきおこすきっかけなど特になかったと考えていたようである。ところが日本の外にいるとそう考えない。というのは、日本が米国といっしょに「共通戦略目標」を発表し、その中で台湾海峡問題の平和解決を呼びかけた頃から、欧米メディアでは、中国と日本の対立がエスカレートし、コントロールできなくなることを心配する声がではじめた。というのは、台湾問題は靖国神社と質が異なるからである。

愛国主義的教育を受けた多くの中国人の眼には英植民地・香港は民族が被った屈辱の象徴であったが、台湾も同じである。この点で日本にとって台湾問題は「中国の国内問題」と呼んで済ますことができない厄介さある。そう国際社会のほうは思っていたので、中国と対立路線を進む日本が当時その線を踏み越えたことに驚きと不安を覚えた。

■シャドーボクシング

ヨーロッパのどこかの国で今回中国で起こったようなデモ+暴力沙汰が発生したらたいへんなことになる。というのは、この文化圏にはユダヤ人迫害の伝統があり、最近では第三帝国ドイツでナチ突撃隊が行進してユダヤ人の商店を破壊した。このような文化的背景では、暴力を伴った反日デモはポグロムに近い野蛮な行為と見なされる。発生後しばらくの間、欧米メディアの論調もそちらの方向にその判断が傾きかけていた。

日本はこのチャンスを逸する。というのは、日本政府は東シナ海で天然ガス田開発をすすめるために民間業者に対する採掘権付与をはじめると発表したからである。この結果、状況が覇権を争う日中両国の対立のイメージもどり、反日デモを東アジアの事件と見なして、欧州の尺度(文明vs野蛮)をだんだん適用しなくなる。その後日本が謝罪を要求し、すっかり体面を重んじる儒教国家同士の角の突き合いになってしまった。

こうなったのは、日本政府が「断固とした態度をとれ」とか「足もとを見られてはいけない」とかいう国内の声を尊重したからである。でもこんなのは国内の応援団に激励されて小泉首相が鏡の前でシャドーボクシングしているようなもので、国際社会で日本が置かれている現実の状況と関係がないし、日本が損するばかりである。その証拠に、EUの対中国武器禁輸解除の是非が議論されたが、見送りの理由として挙げられたのは中国国内での人権侵害で、次が台湾問題。進行中の中国の反日暴力デモに言及する声は欧州ではごくわずかしかなかった。

多数の日本人観光客が中国を訪れてお金を落とし、多数の企業が現地投資をしている。だから中国側が折れるとか、日中の経済のパイプが太いので大事に至らないと考えるとしたら、これも呑気な見方である。これは日中双方の人々が皆経済至上主義的価値観をもっていると勝手に思っていることである。でも、本当にそうなら奇妙なシャドーボクシングにはげむ人も出て来なかったし、マッチポンプもにならなかったはずである。

ということは、世界中の誰もがその重要性を認める中国と日本の関係がこわれないようにもっといろいろなことを配慮すべきである、もしまだ修復可能であるのなら。
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