執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

「昨年9月の台風21号で山が崩壊した現場がある」と聞いて、いつかこの目で見なければと思っていた。場所は三重県南部の紀伊長島町の赤羽川とその支流である三戸川の上流。ふだんは渓流釣りか林業関係者しか行かない。人家はないから“被害は”報告されていない。

1月末、三重河川国道事務所の田中事務所長に誘われてに出掛けた。航空写真を見せてもらうと、同じ台風による山崩れで10人の犠牲者が出た宮川村から山をはさんだ東側の渓谷で、山の斜面が失われた地点が映っていた。

宮川村では、雨量計が計測不能になるほどの雨が降った。それまでの田中所長との議論では、「われわれが知る雨量はたまたま計測器のある地点での雨量にすぎず、ちょっと離れると本当の雨量は分からなくなる」ことは知らされていた。

またそれほどの雨量になると、植林の状態がどうだったとか、人間が自然を壊したとか、そういう人為を超えた次元で被害が起きるのだろうと想像していた。

■白い礫原に川がない

渓谷を目の当たりにして衝撃が走った。木々に覆われていた空間は、幅100メートル以上にわたって白っぽい礫(れき)に埋め尽くされていた。そんな風景が数キロは続く。流れは伏流水となっているため見えない。

そんな風景は見たこともない。後になって辞書にもない「礫原」(れきげん)という表現を思い付いた。

地図には流れに沿って林道があるが、いまや礫原の下である。ところどころに残る橋の欄干がかろうじてその存在を物語る。水辺に生えていた木々は礫原の上に枝をのぞかせているが、その礫原の厚さはどれほどあるのか分からない。

これまで見た災害地の写真は、崩れた斜面だとか、崩壊した家屋や堤防、それから散乱する流木によって被害の大きさを示していたが、そのどれもが存在しない。すべてが礫に飲み込まれた空間は規模が大きすぎてどうにも表現しがたい。台風がこの地を襲ったのは4カ月前だが、それ以前の地形がほとんど想像できない。

■跡形もない猛威

台風の日、一帯の時間雨量は最大151ミリを記録していた。100ミリを超える雨量は4時間続き、2日間の総雨量は1189ミリに達した。これはあくまで三戸観測所での計測結果である。

田中所長はつぶやいた。

「長年、災害現場を見てきたが、こんな風景はみたことがない。一〇〇㍉程度の雨ではこうはならないでしょう」。

「こういう風景は何に例えたらいいのでしょうか」と聞いたが、返事はなかった。

さらに進むと、えぐり取られた地質の断層から、水流は礫の層のさらに五メートル以上はあっただろうと想像させられた。インド洋大津波の後だったので、スマトラ島を襲った巨大津波のような水の塊がこの小さな渓谷をのたうち回る情景が二人の脳裏に浮かんだ。

仮に人間の住み家があったとしても多分、そうした営みの痕跡は水と礫に飲み込まれて跡形もなかったに違いない。

「ここにまた大雨が降るとどうなりますか」

「そんなことは考えたくもない。この礫の層が巨大なダムの働きをすることは確実でしょう。水量が大きくなれば、持ちこたえられなくなって、一気に・・・」

われわれは航空写真にあった山の崩壊を探して歩いたが、日が西の山に陰りだし、引き返すことにした。

10年ほど前、フィリピンのピナツボ山の周辺を歩いたことがある。噴火からすでに2年が経っていたが、草木すらない泥流が幅数㌔にわたって大地を埋め尽くしていた。「大規模な自然災害は地形をも変形させる」。そんな感慨に浸ったことがある。

台風21号による豪雨が三重県南部を襲ったのは、台風の襲来の12時間以上も前のことである。たまたまその上空にあった前線を台風が刺激した結果である。台風そのものがもたらした雨ではなかったのに、われわれは台風の動きばかりを気にしていた。

災害はわれわれが思いもしないところに、思いもしない形でやってくるのである。人間はあまり不遜になってはならない。いつだって自然は人間を超越していることを知るべきなのだと考えた。