執筆者:中河 香一郎【慶應義塾大学総合政策学部1年】

この夏、参議院議員選挙が行われた。年金問題、自衛隊のイラク派遣、北朝鮮による拉致問題など様々な問題が山積している上ひっ迫した財政状況が後押しし、さらに小泉改革の国民による審判といった色合いもあり、かねてより注目度の高い選挙であった。また選挙前の世論調査でも民主党の躍進が予想されるなど二大政党を是とするか否とするかは国民に委ねられた大変重い課題でもあった。

しかしながら事前の予想通り投票率は56.57%と決して高いとはいえないものであった。国民はもはや投票に興味をなくしてしまったのだろうか。以下、先の参院選の報道を見ながら「投票権を持たない18歳」が感じたことを述べたい。

まず、投票の重みを考えるべく海外に目を向けながら考えてみたい。例えばオーストラリアでは、正当な理由無く棄権した場合、最高50ドルの罰金が科せられる「義務制」である。結果、同国では常に投票率は95%を超えている。またベルギーでは投票をしなかった人のリストが8日以内に作られ、裁判所に呼び出されるシステムとなっている。これらの例は日本人からするとやや極端に映るかもしれない。

しかしこれらの国以外にも罰金を課す国は前述のオーストラリアをはじめ、アルゼンチン、ブラジル、トルコ、エジプト他多くある。またシンガポールやベルギーでは棄権者を選挙人名簿から抹消、アルゼンチンなどでは公務就任禁止という大変重い罰則が待っている。

棄権者に罰則規定を与えている国の多くは発展途上国である。日々の生活すら保障されていない人々にとって選挙は日常の不満をぶつける上で大変重要な手段であり、罰則規定は国全体が選挙に大変な関心を持っていることの証左であろう。インドでは文字を読めない者も多いため、各政党にシンボルマークが割り振られ、投票人はそのマークにスタンプを押すといった工夫もされている。

翻って我が国日本はどうか。少なくとも「最低限の生活」は保障されているし、生活水準も諸外国と比べて基本的に高い水準にあるのは事実だ。だが現状の生活に満足して投票行為に興味を失っていて良いのだろうか。

先に述べたような年金問題や財政問題は直接我々の身に降りかかってくる問題であり、決して看過できないのは明らかである。しかし国民の危機感は薄く、例えば衆院選では昭和の頃は70%台が普通であった投票率も平成に入り急落し昨秋の43回選挙では59%、参院選も昭和では60~70%あったがこちらも低下の一途を辿っている。

原因は一概にはいえないが、若者に限っていえば選挙や政治が’エンターテインメント化’してしまっている現状があるように思えてならない。私は現在10代であるが学校教育でまともに政治を教わったことはない。

これは特別なことではなく現在の日本の学校教育ではごく当たり前のことだろう。そしてこれに輪をかけるようにテレビでは政治の本質ではなく政治家のほんの一発言や、事実のごくごく一部だけが強調される。いわば、一部の「点」だけを報道しているのだ。これではいつまでたっても面にはならないし、面にならないのだからましてや立体的なものの見方はできないだろう。

私は初めに「国民はもはや投票に興味をなくしてしまったのだろうか」と述べた。これに対する答えはイエスであり、またノーでもあるだろう。投票率の下落の有様だけを見ればイエスといえるかもしれない。しかしながら日本人が根源的に投票行為に興味を無くしてしまったわけではないだろう。

先が見えず老後に閉塞感を感じる団塊の世代、「エンターテインメント政治」で育った若い世代、それぞれ理由は違うにせよこれらの問題点は改善可能なはずである。私には諸外国のような罰則規定が良いとはなかなか思えない。だが、下落の一途を辿る投票率もまた良いものでは決してない。

私はまだ10代で選挙権はない。しかし選挙権を有しながら棄権する多くの人々、そしてそれを良しとする現在の風潮には大変な違和感を覚える。毎回投票率の低下を叫ぶだけのメディアや、懸念や遺憾を表しながらもなかなか制度を変えようとしない政府にも矛盾を感じる。だがそれでも一番重要なのは国民一人ひとりであり、一票を投ずる意味から考え直すべきではないか。まず、「投票ありき」なのである。(週刊JIメールニュースから転載)

構想日本 発行責任者:加藤秀樹

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