執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

三重県は酷暑だ。誰かが地面が燃えているようだと言っていた。終業式は来週火曜日とはいえ、子どもたちは夏休みモードに入った。
少し前になる。七夕の日、行きつけの喫茶店のママに「岩田川に行ってごらんなさい。笹流しの子どもたちでいっぱいだから」と言われ、夕方、岩田川にかかる観音橋に向かった。
観音橋は津市の商店街「大門」に続く道の先にあり、赤い欄干で車は通れないようにしてある。橋の上から笹飾りを川に流すには格好の場所である。この日ばかりは提灯で飾られ、賑わいをみせていた。
ふだん人通りがないと思っていた津市ではあるが、「おー、こんなに子どもたちがいたんだ」と思わせる風景があった。子どもたちは浴衣に着替え、手に手に笹飾りを持ち観音橋に向かっていた。表現は悪いが「子どもたちが湧いてくる」と思えるぐらい道をいっぱいにした。そして橋の上は子どもたちが手にする笹飾りで満艦飾になっていた。東京育ちの筆者は恥ずかしながら「笹流し」などというものを初めて目にした。
その昔、七夕が近くなると学校でササの枝が配られ、家に持ち帰って短冊に将来の夢を書いたことを思い出したが、その笹飾りがその後どうなったのかは覚えていない。たぶんどこかで焼かれたのだろうと思う。津市内でこれだけの子どもたちが「笹流し」にやってくるということはそれぞれの家庭でササが飾られ、思い思いに願いや夢を短冊に託しているということ。ただ単に子どもたちにとっていいことだと思った。
町の古老に「津市はいい風習が残っていますね」と聞くと、笹流しは最近“復活”したものだという。青年会議所が力を入れて、幼稚園や保育園で大きな笹飾りをつくらせ、それを商店街に飾ることをすすめたのだそうだ。やがて「うちの笹飾りも商店街に飾ってほしい」と競争になり、商店街が笹飾りでにぎやかになった。環境問題がうるさくなった昨今、川に笹飾りを流すことは“ご法度”だが、青年会議所は下流に網を張って後に回収することになった。
それぞれの地で「歳時」を行うことは大切なことだ。日本の多くの町や家で子どもたちの行事があった。大人にとっては取り立てて特別のことではないし、伝統的と言えるほどのものではないが、子どもにとって毎年やってくる行事である。そんな子どもたちの行事をと自然に馴染ませる努力がここ津市で大切にされている。七夕の夜はそんな感慨にふけった。
少しは涼しくなりましたでしょうか?