執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】

ひょうたんから駒。産業再生機構が負債5000億円を超えるカネボウ再建に乗り出すことがほぼ決まった。
再生機構への支援要請は“破綻”を内外に宣言するに等しいが、元はといえば幹部社員の胸の内にあった構想である。化粧品部門の花王への売却や投資ファンド、ユニゾンの支援など紆余曲折を経たが、カネボウのとっては最善の策だと思う。17日の株価も反発に転じた。戦争でほとんどの設備を失ったことを考えれば、復活は難しいことではない。
カネボウは東京綿商社として明治20年(1887年)の創業。東京がまだ市でなかったころ東京府鐘ケ淵の地に三井財閥が紡績工場を操業した。6年後に鐘淵紡績と改称した。いわば日本で最も古い株式会社の一つだ。三井財閥は三井両替商が明治に入って初めての民間銀行を創業したことに端を発する。江戸時代、松阪にあった三井高利が始めた呉服商「越後屋」(現三越)がルーツである。
花王や他社による化粧品部門買収策の最大の問題点は、カネボウが収益部門を失うということだった。花王との提携の当初案は花王とカネボウによる共同出資会社に化粧品部門を移すという再生策だったため、カネボウ側にまだメリットはあったが、今年になって再提示された再生策は花王による100%買収だった。
それによって負債が完全になくなるのならともかく、化粧品部門を切り離されたカネボウにとって1000億円でも返済が難しい。花王に譲渡されていれば、化粧品部門からカネボウの名前が消えていくことは必然。それどころか赤字部門だけを残したカネボウ“本体”は再び負債を重ねることになり、数年を待たずに経営難に陥ることは目に見えていた。
再生機構による救済の利点は第一に「白日の下」で再編劇が進行することだ。第二は責任者が責任を取ることになる点だ。帆足隆カネボウ社長は16日の記者会見で当面、社長の座に留まる意向を表明したが、経営トップがそのままの状態を再生機構が認めるはずはない。いずれ時期を見て経営陣の総入れ替えが求められるはずだ。第三は再生機構の下で再生の期限とゴールが明確に定められるということだ。
1980年代、カネボウは伊藤淳二会長の指揮下にあった。ペンタゴン経営と称して繊維を中心にファッション、化粧品、食品、医薬、住宅などを配した。クリスチャン・ディオールに代表されるようにカネボウはファッションの一大ブランドでもあった。
そのカネボウが長期低落に陥った背景には、カネボウに蔓延していたある種の悪しき体質があったと言わざるを得ない。社内の人から「ウソをつく、ごまかす、隠す」ことが横行し、それに対して「誰も責任を取らない」ということを聞いたこともある。90年代、バブルが崩壊した時、多かれ少なかれ多くの企業でみられた体質だが、カネボウの傷はより深かった。
日本の資本主義の黎明期を支えたのは紡績業である。主力工場はほとんどアジアの移転してしまったが、衣食住の産業がなくなることはない。カネボウが“倒産”のイメージの強い産業再生機構への支援要請にあえて踏み切った勇断にエールを送りたい。