瀬戸大橋を500円玉に通行できるようにしたら
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
昨年末、四国新聞の明石安哲論説委員と本四架橋問題を論じて、今後の本四公団経営に関していいアイデアがいくつか浮かんだので紹介したい。
まず通行料金値下げ問題は「二割、三割」程度の値下げでは通行量は劇的に増えないだろうということで一致した。理由は簡単である。高松と宇野を結ぶフェリーの普通車の料金が3900円だから2割、3割程度の値下げではそもそも競争力を持つには到らない。
それではいくらがいいのか。「500円」とか「1000円」だったら払いやすいということになった。特に「500円」だと「硬貨」に限定すれば香港-九竜トンネルのように硬貨投げ込みで料金所を無人化することができる。
値下げによる利用者増をどうやって予測するかという問題は本四公団の今後の経営にかかわる重要な事項であるが、素人にはそのあたりの推測は不可能である。分からない場合は思考錯誤の意味で「値下げデー」を設けて試してみればいい。週末でもいい。二日間限定で「値下げ」をしてみれば大方の予想がつく。
通行量の大幅値下げでフェリー会社が路頭に迷うかもしれないが、そもそも彼らには廃業を前提に莫大な補償金が支払われている。いまさらどうのこうの言える立場にない。
こんなことを考えたのも、通行料の負担には限度というものがあるからだ。これこれのコストがかかっているということとは別次元の話である。西鉄バスが運賃を180円から100円に値下げしたとたん、利用者が二倍になった例があるし、長崎の市電は100円でずっと黒字経営を続けている。
なぜ乗客が2倍になったり、長崎の市電が100円で経営できるのか。公務員体質にどっぷりつかっている公団職員には分からないだろう。
電卓が数百円で買えるようになったのは、カシオ計算機がコストを度外視した価格設定をし、購買者層を広げたからだ。おかげで半導体の価格が大幅に下がり、民生用部品として広く使用できるようになるというブレークスルーにつながった。昭和50年代までの日本の民間企業はそうして世界市場に打って出るきっかけを自ら切り開いたのである。
今度の衆院選では、高速道路の問題が政策論争の一つとなったが、民営化が目的でも無料化が目的でもない。目的はせっかく作った、あるいはこれから作る高速道路を国民がより有効に使い、しかも返済負担をできるだけ軽くする方法を模索することにあるはずだ。
萬晩報でもこれまで、高速道路に無料化について論陣を張ってきたつもりであるが、無料化というのはものの言い方の一つだった。そういう受け止め方をすれば、財源がどうのこうのという議論にはならない。組織を運営するために国民が不都合を蒙るというのでは主客転倒だ。
だいたい通行料がガソリン代の何倍もするような料金体系が存在すること自体がおかしいし、道理に合っていない。しかもそのガソリン代というのは半分以上が税金なのだから、高速道路の通行料のいかがわしさはさらに増す。考えてもみたまえ。人間が生きていくための食費の何倍もの税金をとる政府がどこにあるというのだ。