イラクを理由にアフリカ支援を遅らせてはならない
執筆者:伴 武澄【萬晩報主宰】
東京でアフリカ23カ国の首脳が集まったアフリカ開発会議(TICAD3)が開かれた。ガーナのクフォー大統領は30日、国際的な支援がイラクに集中している現状を批判し「イラク支援を理由にアフリカ地域などへの支援を遅らせてはならない」と語った。
それはそうだ。小泉純一郎首相が29日表明したアフリカ支援策は「5年間で10億ドルの無償資金供与」だった。それに対して対イラク支援要請で予想されている金額は100億-200億ドルなのだから。単年度で比べれば50倍から100倍多い。
イラクは世界有数の産油国である。国民がすべて豊かだとはいえないものの、飢えという言葉とは無縁だ。それに対してアフリカはそれこそ「多くの国が嘆きの10年」を体験した。日本は90年代の経済的停滞を「失われた10年」を悔やんだが、アフリカは悔やみどころではない。
アメリカを中心とした世界的な経済躍進に光が当てられていた時間に内戦と貧困がスパイラル状に拡大し、加えてエイズが蔓延した。暴力と飢餓がさらに日常化した10年間だった。
7月8日に国連が発表した国連の「人間開発報告書」などによると、「世界的に持っているものと持たざるものの差がさらに拡大し、90年代前半のアメリカ経済の繁栄の裏で、50カ国以上で生活水準が下落している。時計の針が戻っているかのように、世界中に貧困が広がり、特にサブ・サハラ・アフリカ(サハラ以南アフリカ)での惨状は目に余るものがある」(ガーディアン紙)というのだ。
さらに報告は続く。 http://www.undp.org/hdr2003/世界的には、1日1ドルで生活をおくる人は1990年代、30%から23%に下落したが、それは
中国とインドにおいて状況が改善したためである。アフリカではガーナやセネガルといった成功を収めた
国もあるが、ほとんどの国で悪化をたどっている。世界の人口の上位1%(約6000万人)の金持ちが、下位57%の貧乏人と同じ所得を得ており、
もっとも金持ちな2500万人のアメリカ人の所得が、世界の下位約20億人の所得と等しいのである。
1820年、ヨーロッパの一人当たり所得は、アフリカの3倍だったが、90年代に入ると13倍になっている。ノルウェーでは、平均余命は78・7歳、識字率は100%、年間所得は3万ドル弱であるが、反対の極にあるシエラ・レオネでは35歳の誕生日を迎えられたら非常に幸運であり、3分の2は文字を読めないまま成長し、年間所得は470ドルである。このような平均余命、識字率、年間所得といった生存の基礎的要素が下落した国は、80年代は4カ国にすぎなかったが、90年代には21カ国にも拡大している。最近、10年ぶりにガーナを訪れたJICA幹部は「10年時間が止まっている。それでもアフリカでは優等生なのだ」と印象を語った。ガーナなどいくつかの国を除いては「人々の生活の状況は停滞どころか後退している」というのだ。
80年代までのアフリカは東西冷戦の陣取り合戦の地でもあり、軍事的対峙はあったもののアメリカやソ連の支援をそれなりに受けてきたが、ソ連の崩壊によって「見捨てられた大陸」と化した。また世界貿易機関(WTO)成立で関税が大幅に低下し、アフリカの農業はアメリカの農産物に完全に敗れ去った。加えてダイヤモンドや金といった鉱物資源の争奪に端を発した地域紛争が激化した。生活の地を失った難民が多く発生、追い打ちをかけるようにエイズが生命を蝕んでいる。
日本のODA(政府開発援助)は汚職や多大な無駄を途上国に残したと批判された。確かにそうした側面があるものの、80年代からのアジア経済の成長の軌跡を振り返るとアジアの多くの国の経済的、社会的基盤整備に多大な貢献をしてきたのだと評価せざるを得ない。
そう考えるといま、日本がなすべきことはODAの軸足をアフリカに移すということであろう。アジアの多くの国々はすでに自ら支える経済を確立した。世界の民間資金も十分すぎるほどアジアを意識している。比べてアフリカはどうだ。道路や港湾どころか水資源にさえ不足を来している。電力も通信施設も未整備のままだ。
毎年100億ドル内外のODAを供与する日本の能力をアフリカに傾注したらどうだろうか。過去の植民地支配や戦争とは無縁の日本の出番ではなかろうか。齊藤さんが「リベリアへの平和維持部隊派遣のすすめ」を書いてくれた。日本の存在感はイラクで示すより、アフリカで示す方がよっぽど世界のためになる。そんな時が来たようだ。