執筆者:中野 有【ジョージワシントン大学客員研究員】

「国連は分岐点に直面している」アナン国連事務総長のスピーチである。これだけなら10年間も国連改革の名目のもとで唱えられてきた言葉で新鮮味はない。しかし、今年の国連総会でのアナン国連事務総長のスピーチは違った。原稿に目をやることもなく、あたかもフランスの協調主義にエールを送る如くフランス語でスピーチを始め、英語に切り換えてからは先制攻撃と単独主義というブッシュドクトリンを真っ向から批判し、国連の役割や国連による集団的安全保障の重要性を訴えた。

果たして国連の58年の歴史の中で、これ程までにアメリカを批判し、世界平和への危機感を切実に訴えた国連事務総長のスピーチはあったであろうか。アナン国連事務総長の歴史に残る威厳のあるスピーチに世界が高揚する中、パウエル国務長官とライス大統領補佐官は、メモのやりとりとひそひそ話を繰り返していた。これを見てアメリカ支配による国連の集団的安全保障の危機感を感ぜずにいられなかった。これは人種差別でなく尊敬の意味を込めてであるが、偶然にも国連の代表もアメリカの外交と安全保障政策の代表も、共に黒人であることを再認識した。

ブッシュ大統領は、アナン国連事務総長に影響されたのか原稿を読む仕草をみせずに無法国家や国際テロに戦うアメリカの正当性とアメリカが国連を支えているとの主旨を訴えた。イラク戦へのアメリカの本質的理由である中東再編に触れたものの、イラク戦の焦点となった大量破壊兵器の物的証拠の焦点をそらすべき、人権や人身売買等の社会的問題に多くの時間を割いた。ブッシュ大統領のスピーチは、イラクの復興支援のための軍事・財政面のアメリカの負担を減らすためであるというより米国内向け演説程度にしか感ぜられなかった。フランスやドイツのトップが謙虚にアナン氏のスピーチを傾聴する中、ブッシュ氏は席を外していた。ニューヨークにある国連は、アメリカにより支えられているというブッシュ氏の傲慢な態度は、国際協調主義を嫌う共和党の本音から来ているのであろうか。

フランスのシラク大統領は、多国間主義による国際秩序の構築を提唱すると同時に、イラク国民による敏速な復興支援や日本や独の国連常任理事国入りの支持にも触れた。フランスの主張は、国連が追求する国際協調による集団的安全保障に近く、アメリカが提唱する集団的安全保障は、先制攻撃を含む軍事関与やアメリカに追随する国へ開発援助を増加させるというアメリカを主軸とした形態である。同じ集団的安全保障でも世界のコンセンサスを得るか、アメリカが強制的に世界を服従させるかと大きな開きがある。

ブッシュ政権は混沌とするイラク復興支援にのしかかる毎週1200億円という巨額な支出と、増え続ける米軍の犠牲者による圧力に耐えることができず、国際社会の応援を仰いだのである。アメリカがハムラビ法典にあるアラブの気質を見抜くことができなかったから当然の結果として国際テロという危険因子を高めることになったのである。アメリカの近視眼的単独主義は、アフガンやイラクのみならず中東和平を遠ざけ、さらに国連を分裂させアメリカを異端児にしてしまったのである。ブッシュ政権はその失策を認めないものの単独主義の限界から国際協調路線に向かわざるを得なくなって来たのである。

イラク戦の経緯をワシントンのシンクタンクであるブルッキングス研究所の内部から洞察し、イラク戦と大統領選の絡みを感ぜずにいられない。クリントン政権のブレーンが主流の民主党系のブルッキングスは、1年前にブッシュドクトリンが発せられた翌日に、先制攻撃や単独主義が及ぼす悪影響を明確に指摘し、イラク戦に関しては、以下の分析を行っていた。

第1に、ハーバード大学のハッチントン教授が警告するアメリカの覇権主義による文明の衝突の観点から、物質社会より精神面に重点を置くアラブの気質を見誤ることによる、アメリカへの報復とテロが激化し、世界が混沌とする。

第2に、アメリカの単独主義に対抗する国際協調主義による勢力が一枚岩になり、アメリカの孤立化が進む。

第3に、アメリカのスクラップ&ビルド戦略の限界。米軍の最新鋭の兵器でイラクのインフラがスクラップされても、その復興の過程において、破壊工作により復興がスムーズに進まない。

第4に、アメリカの一方的な民主化の押しつけによるイラク国民の執拗な抵抗が予測される。新生イラク政策のもたつきによるシーア派、スンニ派、クルド人による内紛と、イスラム諸国の介入により内戦が複雑化する。

振り返れば、これらのブルッキングス研究所で行なわれた議論は、多かれ少なかれ的中しているが、戦争開始の3ヶ月前には、戦争回避はほぼ不可能だとの予測が出されていた。理由は、大統領と議会が戦争を容認していることであり、ブッシュ大統領は直感で行動し、信念を通すとの分析であった。至極当然の分析であるが、あらゆる情報を分析して出されたこの結論は、極めて高度な予測であったと考えられる。

イラク戦の開戦の数ヶ月前からブルッキングス研究所が戦争回避の議論からイラク戦と復興支援にシフトする中、戦争に進む空気に接し、フラストレーションがたまると同時に9・11のトラウマによるアメリカの異常さをひしししと感じた。当時は全く気がつかなかったが、冷静に考えると冷戦に勝利し軍事的に世界の一極体制を確立し傲慢な外交政策を押し進めるアメリカを国際協調路線に転換させるシナリオとして、戦争で勝利してもアメリカの野望が達成されないという教訓を示す必要があったと考えられないだろうか。さらにブッシュ政権がイラク問題でつまずくことで政権交代に拍車をかけるという戦略が存在してたのでなないだろうか。

このような憶測を国務省の友人に話したら、「3年前にブッシュがゴアを破った時点でこうなることを予測していた」との答えが返ってきた。アナン国連事務総長の地球益のためのスピーチと、アメリカの国内問題の延長線上にあるブッシュ大統領のスピーチには、当然大きな隔たりがあった。両者のスピーチに対する拍手の大きさの違いによって、恒久的平和を追求する国連の明るい未来と「平和への枢軸」による国際秩序構築の必要性を強く感じた。