執筆者:堀田 佳男【ワシントン在住ジャーナリスト】

チェイニーを間近で見るのは久しぶりだった。ブッシュは公務でさまざまなところに顔を出すが、最近チェイニーが公の席に出てくることは稀である。9.11以降、ホワイトハウスは要人へのテロ攻撃を警戒して、正副両大統領を公の席で一緒にせることを避けている。ブッシュに不測の事態が生じた時には、副大統領が大統領に昇格するので、「押さえの切り札」を懐に忍ばせているのだ。

7月23日午前10時42分、一通のEメールが入った。保守派シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)からであった。翌24日午後12時15分からチェイニーがイラク問題の演説をするので出席するか、という知らせだった。翌日というのは急な話だが、これは時期的にチェイニーがイラクのウラン購入疑惑についての弁明をすることを意味したので、すぐに出席の返事を送った。

ブッシュは今年1月の一般教書演説で、イラクが核兵器開発用のウランをアフリカ・ニジェールから購入していると発言した。英単語にして16語の情報だが、チェイニーはこれが正確な情報でないことを昨年から知っていたのではないか、という疑惑が持ち上がった。さらに、ニセ情報であることを知りながらCIAにその証拠を探せとプレッシャーをかけたとも言われている。真偽はワシントンの朝靄の中である。

AEIに出席の返事をすると、すぐに担当者から「明日は記者証のほかに運転免許証かパスポートを持参するように。12時15分開演だが、11時頃には会場入りしてほしい」との返事がきた。シークレットサービスの警備が厳しいので余裕を持って現れてくれ、というのだ。

10時45分に行くと、すでにテレビカメラがセットされていた。が、席はまだ空いている。前から2列目に知り合いの某大手全国紙のワシントン支局長がいたので、「シキョクチョウ」と声をかけて彼の左隣に腰を下ろした。耳にイヤホンをした数人のシークレットサービスが会場を徘徊している。

チェイニーはジャスト12時15分に現れた。2001年に冠状動脈手術を受けたあとも、カラダはふくよかである。顔色は血がかよっていないのではないかと思えるほど白く、病的だった。だが、発せられる言葉には勢いと滑らかさがある。演説の冒頭にジョークを2つ言ってから本題に入った。

話の中心に据えられたのは、昨年10月に諜報機関がまとめた「国家情報評価」だった。その報告書から4ヶ所引用し、イラクが大量破壊兵器を持っていたとの情報があったからこそ戦争に突き進んだと早口でまくし立てた。

「バクダッドは国連決議を無視して生物・化学兵器、長距離ミサイルを所有している。このままにしておけば、今後10年以内に核兵器を所有するだろう」

「湾岸戦争前よりはるかに大規模で高度な生物兵器計画が進行中だ」

「1998年の国連武器査察が終わって以来、バクダッドは核兵器計画を再び始めている」

「核兵器を製造できるだけのる核分裂物質を入手したら、数ヶ月から1年以内に核兵器を製造するだろう」

そう述べてから、「こうした脅威を無視できたでしょうか」と言って、先制攻撃の正当性を力説した。だが、いまだにイラク領内から大量破壊兵器は見つかっていない。核兵器開発が進められていた証拠もあがっていない。副大統領は昨年10月の報告書をただ読み返しただけだった。すでにテネット長官はニジェールのウラン購入の情報は間違いであったことを認めている。

チェイニーは一方的に演説原稿を読んで15分でスッと消えた。アメリカ人記者も大勢いたが、質問を与えるスキを与えなかった。重いカラダにまるで羽が生えたようにすばやく会場を飛び出した。

彼がホワイトハウスでなく、AEIで演説をしたのは記者との質疑応答を避けるためである。ホワイトハウスで会見を開けば、間違いなく記者からウラン疑惑の質問を浴びせかけられる。言いたいことだけをメディアにぶつける場所がAEIだったのだ。ブッシュ政権べったりのシンクタンクであればこそできる小回りのきいたワザである。

ずるさだけが目についたチェイニーが去った後、わたしは人にウソをつかれた時のような釈然としない感情を携えて、支局長と会場をでるしかなかった。

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