越州龍泉青磁窯跡めぐり(後編)
執筆者:岩間 孝夫【中国寧波市在住】
前編では越州や龍泉で作られた青磁がどのようなものかをご紹介しました。後編ではそれらが作られた窯跡についてご紹介したいと思います。
窯跡―兵(つわもの)どもが夢の跡
私が今までに訪れた窯跡はエリアとして越州14カ所、龍泉4カ所、建窯2カ所、南宋官窯1カ所、スワンカローク(タイ・シーサッチャナーライ)1カ所です。
エリアとしてと言うのは、例えば龍泉では大窯、金村、渓口、安仁口の四カ所に行きましたが、南宋時代に龍泉最大の生産地であった大窯地区だけでも隣村に至る雑木林に覆われた山々に6キロの距離にわたり50カ所以上の窯跡があるのですが、その一つ一つに番号をつけた看板や標識が立っているわけではありませんし、窯跡が隣接する所では隣の窯跡との境界なども不明確ですから、自分が歩いた丘陵地帯で結局いくつの窯跡に出会ったのかよく分からないからです。これは他の地区でもだいたい同じです。
窯跡の元々の姿である窯場は陶磁器を焼くための仕事場で、主役である窯をはじめ、原料や燃料を置く場所、轆轤をひいたりして成型をする場所、成型したものを乾燥さす場所、焼き上がった製品を置く場所、焼くための道具を作る場所、物原(ものはら:失敗した作品や不要になった道具を捨てる場所)、陶工職人が寝泊りや休憩をする部屋、などで構成されています。最盛期の龍泉大窯の中心地ではこのような窯場が2.5キロの道沿いに連綿と軒を連ね、雨の日にも傘が要らなかったといいます。
窯跡とは一言で言えば、今では使われなくなった昔の窯場の跡です。但し、使われなくなってから窯によって龍泉でも400-800年、越州なら800-1500年が過ぎていますので、窯場のそれらの設備は何百年の間野ざらしになり、原型を留めず朽ち果て、そして跡形も無くなったその上を草木がうっそうと覆い茂っているのが普通です。
従って、窯場の主役である窯も、石炭を使う華北ではこんもりとした兜型が中心ですが松を燃料とする越州や龍泉など江南の窯では緩やかな山の斜面に沿って下から上に築く登り窯が大半で、長さは後漢や三国の頃は10メートル、唐代なら30メートル、南宋の頃なら60メートル程で、幅は2-3メートル程の大きさが一般的だったのですが、多くの窯跡では今や殆どその痕跡もなく、そこに窯があったことさえなかなか分かりません。
巨大な物原―露天博物館
その一方、中国の窯跡で出くわすのは、物原だった所にころがったり埋まったりしている驚くほど大量の陶片や焼成道具です。
上に述べたような一般的な大きさの窯で南宋時代の龍泉窯なら一度に2~3万個、唐代の越州窯ならその半分ぐらいを、何十年も窯によっては何百年も焼き続けましたので、うまく焼き上がらなかった作品や不要になった焼成道具が打ち捨てられ、膨大な量となって物原に堆積しているのです。
その堆積量は実にすさまじく、例えば、越州窯の中心地であり125ヶ所の窯跡のある慈渓上林湖では、最大級の物原になると縦横それぞれ90メートルほどの範囲に約4メートルの堆積層を持つものがありますし、一般的な規模のものでも概ね縦横20-30メートルの範囲に1-2メートルの堆積層があります。
また一部の窯跡では湖畔一面見渡す限りに陶片と焼成道具が敷き詰まりあたかも露天博物館のような様相を呈している所もありますし、長さ135メートルの大きな窯で一度に十万個以上焼いていた建窯では物原で一つの丘が出来ています。
窯跡を訪ねる楽しみ―宝石のように美しい陶片との出会い
言わば「兵どもが夢の跡」のような窯跡ですが、そんな窯跡を訪れる第一の楽しみは、約千年前の世界陶磁史上の黄金時代に作られた美しい陶片にめぐり会えることです。
南宋時代を代表する龍泉なら、空の青、青梅の青、若草の青、淡く澄んだ青緑、鮮やかな青、深みのある青、オリーブグリーン、黄みがかったオリーブ色など、青磁の王者にふさわしいさまざまな色合いの美しい釉色に出会います。
越州も、さすがに龍泉には及びませんが、青緑色、灰白色、明るいオリーブ色、黄褐色・暗褐色のオリーブ色など、後漢の頃から五代・北宋に至るまでの時代毎に、それぞれの特徴ある美しさを発揮しています。
厚い釉薬に守られて宝石のような美しさを持つそれらの陶片は、悠久の時間をタイムスリップして、あたかもたった今焼き上ったかのような力強い輝きを保ちながら山の斜面や湖畔にころがっていたり土中に埋まっていたりするのです。
丘陵地帯や湖畔の窯跡を尋ねて藪をかき分けながら探し回り、最後にやっとたどり着いてそのような陶片にめぐり合い、明るい太陽の光を受けて美しく輝く陶片を眺める時、大げさかもしれませんが、私の心はシュリーマンがトロイの遺跡を発見した時に負けないぐらいわくわくと踊ります。
窯跡訪問の心得―陶片は貴重な考証資料
ここで少し説明の必要なことが一つあります。
400年か場所によっては1000年以上前に廃窯となった窯跡になぜそのような昨日今日焼き上がったような陶片が転がっているのでしょうか。
本来10年も野ざらしで放っておきますとそれだけでもかなり土砂で覆われますし、まして50年や100年以上も経てばほとんどは土砂や草木に覆われてしまい、普通は一見しただけではそう簡単に見つかるものではありません。
それが簡単に見つかるのは、何らかの理由で比較的最近掘り返され地表に出て来たからで、それは学術調査によるものも時にありますが、多くは盗掘によるものです。
中国の経済発展に伴い富裕層も増え、それにつれ骨董品に関心を持つ人も増えて来ました。そして10年以上前なら見向きもされなかった古陶磁の陶片でさえも今では市場で取引されるようになり、例えば、北京や上海の骨董街では手のひら大の陶片でも色や文様や形の美しさに応じて数十元から数百元で取引されていますし、原型率が高く完品に近ければ数百元、物によっては数千元数万元になるのです。従って、宝の山である物原を掘る盗掘者が出てくるのは自然の成り行きではあるのです。
しかし、龍泉や越州など古窯の盗掘が中国の法律で厳しく禁じられているのはもちろんですが、それだけではなく、窯跡へ見学に行く者も残念ながらそこに落ちている物を拾うことは出来ません。それは、ただ単にそれら陶片が国家の保護対象物であるというだけでなく、それらは美術史や歴史の研究者にとって時代考証のための重要な資料ですから、むやみに人が触るとその大きな妨げになるからです。従って、もし窯跡に行っても、そこに落ちている陶片は拾わずに、その場で写真を取るか頭の中に印象としてよく焼き付けるにとどめなければなりません。
素朴で美しい自然―人間生活の原風景
千年の眠りから覚めた宝石のように美しい陶片に出会えるのが窯跡を訪ねる第一の楽しみとするならば、第二の楽しみは、とても素朴で美しい自然あふれた光景に出会えることです。古い窯跡の多くは豊かな水と緑をたたえたのどかな農村の、更に人里離れた丘陵地帯の中にひっそりと眠っていることが多いのです。
例えば龍泉、大窯村。山間の町である龍泉市からバスに乗り、清らかな渓流沿いの道を約一時間走り、さらに奥まった山間にあるその小さな村に着きます。その間、川原では女達が洗濯をし、野菜を洗い、そのまわりを幼い子供達が遊び、ニワトリやアヒルが群れをなして餌をついばみ、犬が走り回ったり寝そべったり、時には豚がのっしのっしと道を散歩し、男達が農作業で使う牛を追いながら通り過ぎ、食事時になれば家々のかまどから煙が上がり遊び疲れた子供達がそれぞれの家に帰って行きます。
そこに展開される光景は今やめったに見ることが出来なくなった人間生活の原風景です。
往年の面影も無くひっそりとした大窯村の小高い丘の上にたたずみながら眼下にある物原や小川や隣村へと続く宋代に築かれた細い石畳の道を見ていると、千年前の陶工が轆轤を引いたり、職人が窯に薪を炊いたり焼き上がった青磁を洗ったり運んだりしながら忙しく行き交う光景がまぶたに浮かんで来ます。
最盛期の龍泉窯には全体で1万5000人ほどの陶工職人が働いていましたので、中心地であった大窯では窯数からいって2000人以上が働き活気に溢れていたに違いありません。
しかし今では丘ごとにある巨大な物原がわずかにその名残をとどめているだけです。
中国に来てから約10年、今までに桂林、九寨溝、長江三峡、モンゴルの大草原などいくつもの雄大で限りなく美しい自然に接し感動を覚えました。
龍泉大窯の風景はスケールにおいてそれらとは比べるべくもないおもちゃのような世界ですが、人間生活の原点を思い起こさせてくれるという点で、私にとって大変心が洗われる場所です。もしいつか中国を離れて帰国する時に、最後にもう一度行きたい所はどこかと問われれば、龍泉大窯と答えるに違いありません。
越州の窯跡もやはり大変美しい自然に囲まれた地域にあります。最も多くの窯跡がある慈渓上林湖は山紫水明のとても風光明媚な所で、寧波からは約一時間で行け、春や秋にはハイキングを兼ねて行くと空気も爽やかでとても気持ちの良い一日が過ごせますし、上虞や寧波東銭湖にある窯跡なども水と緑が美しいのどかな田園風景の中にあり心が和みます。
そんな環境の中で千年前に作られた陶磁器の美しい陶片に出会う喜びは、自然と歴史と文化を同時に味わうことの出来る、他にはない楽しみです。
終わりに―窯跡に行くには
このように魅力溢れる窯跡への訪問ですが、記念史跡となり整理されたごく一部の例外を除き、残念ながら誰でもある日思い立って見に行きたいと思っても必ずしもたどり着けるものではありません。それは、今までに述べたように廃窯になってから大変長い年月に亘り山の中や川べりや湖畔などに打ち捨てられて朽ち果て、歳月が残した土砂や草木がその上を覆っていたり、今では茶畑になっていたり、湖中に沈んでいたりするからです。
従って、先達も無く自分一人で窯跡にたどり着く為にはかなりの情熱と、執念と、そこそこの中国語能力と、多少の機転が必要になってきます。ちょっと面倒くさい感じがするかもしれませんが、その先にはシュリーマンが味わったような心踊る発見の喜びが待っていますので、きっと報われることでしょう。
もっと詳しくご紹介したいところですが字数の関係で今回はこれまでとさせて頂きます。もしこれらの窯跡を訪ねてみたい方がありましたら、どうぞ私までお問い合わせ下さい。個別に詳しくご説明させて頂きますし、同行なさりたい方があればご連絡下さい。中国ならではのこのエキサイティングな楽しみを一緒に味わいましょう。(完)
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