国際刑事裁判所と政治家の老後の過ごし方
執筆者:美濃口 坦【ドイツ在住ジャーナリスト】
対イラク戦争がはじまる前の3月11日にオランダのハークで国際刑事裁判所(ICC)が開設され、すでに18人の裁判官も任命された。4月から活動が本格的にはじまるとされる。
現在の国際社会での武力行使は自衛のためか、それとも国連安保理事会で決議されるかのどちらかの場合にしか許されていない。今回イラクに関しては、そのどちらのケースもあてはまらない。そのため英国の現政権与党の労働党内で、ブレア首相が、首相を辞めた後のいつの日か、訴えられて「国際刑事裁判所(ICC)の法廷に立つ」可能性を指摘する声があがったといわれる。国際刑事裁判所とは何かそれでは、問題にされた国際刑事裁判所とは何なのか。今までも、ユーゴやルアンダなどの特別国際法廷など、民族の虐殺や人道に対する罪、また戦争犯罪といった国際社会に対する重大な犯罪を裁く法廷が開かれたことがある。今回設立された国際刑事裁判所は、1998年に約120カ国が調印したローマ条約に基づいていて、国連からも独立した常設法廷である。この点でこれまでの特別国際法廷とは趣を異にする。
国連は政治機関であっても司法機関ではない。国内でも議会の多数決でどの犯罪を審判するか決めたらおかしいが、従来国連安保という舞台で大国がかなり勝手に裁判の対象を決定してきた。ユーゴ元大統領ミロシェビッチを裁く旧ユーゴ国際戦犯法廷も「政治裁判」であり、不公平感が残る。NATO諸国のユーゴ空爆が一部のNGOから非難されたが、結局裁判の対象にならなかったのもこのような不公平の例である。
国際刑事裁判所は国連から独立しているので、特定犯罪事件だけでなく、政治的影響から比較的に自由で、独自の手続法をもつので、近代法の在り方に近くなる。今までの国際法廷は米国開拓時代の西部で牛泥棒を裁く「リンチ裁判」に似ていないことはない。次に犯罪が起こってからそれを処罰する法律をつくるのは近代法の原則に反するが、また同じように事件が起こって裁判所を急遽開設するのも望ましいことではない。
ところが、今回設立された国際刑事裁判所が常設法廷で、ローマ条約の発効以前の犯罪でなく、今から起こる犯罪事件が裁判の対象にされるので、従来の国際裁判と比べて大きな改善である。危険を察した米国数年前、ロンドン警察がスペインの予審判事から身柄引渡しの要請を受けて入院中のピノチェト元チリ大統領を逮捕した。またイスラエルのシャロン首相は、20年前のレバノンの難民収容所でのパレスチナ人虐殺容疑のためにベルギーで訴えられている。今年ベルギーの最高裁は、彼が首相を辞めた時点で裁判を開くことができると判決した。ちなみにどちらも被害者が訴えていたケースである。
戦争犯罪や人道に対する罪で個人の責任を追及する傾向は、今回の国際刑事裁判所の設置で更に強まるといわれる。シラク仏大統領が、旧フランス殖民地・アフリカ諸国の首脳会議の席上で「国家犯罪が処罰されない時代は終わった」と発言したが、この警告も時代の変化を物語る。
米国はクリントン時代ローマ条約に署名したが、ブッシュ大統領に代替わりしてから身の危険を察して脱退しただけでなく、国際刑事裁判所を眼の仇にするようになった。
米政府はそれ以来、ぼんやりした国を見つけては、自国民をハーグ国際刑事裁判所に引き渡されないようにするために二国間条約を締結しようとやっきである。独立して間もない東チモールにも(昔日本に「不平等条約」を押し付けたのと同じ要領で)、このことに成功した。今まで20カ国あまりの国がこうして米国に一本釣りされた。米国がこのように金とエネルギーを費やしてツブシにかかることも、国際刑法裁判所に隠された罠に気がついたからである。刑法ルールのイレギュラーな展開国際刑事裁判所の意味が理解されにくいのは、暴力が国家に独占され、警察が犯罪容疑者をつかまえてから裁判がはじまる刑法のイメージが私たちの頭の中で強いからである。
周知のように、現在の国際社会は、国連による武力の独占的管理からはほど遠い。米国という自称「警察官」がいて、裁判官も検事も、時には陪審も兼任したがる奇妙な国が存在するだけである。
このように考えると少し悲観的になるが、でもこれは、国際社会で刑法が国内と同じように機能しなければいけないと私たちが思い込んでいるからではないのだろうか。21世紀の国際社会の刑法的ルールは、今後かなりイレギュラーに展開していくかもしれない。
今までは、シャロン首相が引退後ベルギーへ旅行できないだけで済んだ。もともとイスラエルが大好きなのであり、ご高齢のこの政治家にとって、こんな欧州の小国に立ち入れないことなど痛痒を感じないことかもしれない。
でもこれからは、ローマ条約加盟国は、現役時代よからぬことをして訴えられた政治家を条約上引き渡さなければいけない。こうして89カ国にのぼる加盟国に立ち入れなくなると、脛に傷持つ政治家に地球が狭くなることを意味する。
英国もローマ条約加盟国であるので、ブレア首相も下手すると欧州に顔を出せなくなるかもしれない。彼もテキサスのブッシュ家の牧場で余生を過ごし、バカンス先も東チモールということになれば、奥さんがヒステリーを起こすことだってありうるのである。
もちろんはじめは、脛に傷持つ自国政治家をかばおうとする国が出て来るかもしれない。でもそのための外交交渉は煩雑であり、政権も交替している以上、どこまで引退した老人のために力をつくしてくれるか、かなり疑問である。また裁判を背負うことは誰にとっても精神的負担になる。先進国の政治家の平均年齢は下がる傾向にある。高齢社会で暮らす彼らの余生は短くない。私たちはこの点を考えるべきである。
すでに触れたピノチェト引渡し問題もメディアが派手に扱った。このようなことが繰り返されると、気安く戦争を決断する政治家も、自分の老後を考えて少しは慎重になるのではないのだろうか。今後国際刑事裁判所を舞台に類似した事件が何度か発生すると、逮捕して監獄に入れて裁判ということにならなくても、戦争抑止効果が少しは生まれるかもしれない。江戸の仇はハーグで、、、、国家の不法行為に関して個人の法的責任が国際社会で本格的に追求されるようになったのは、第二次大戦後のニュールンベルクと東京で開廷された軍事法廷からである。当時日独両国で、弁護側に立って苦労し不公平に憤慨した法律家から見て、今回発足した国際刑事裁判所は夢のような話である。
それだけに、日本がローマ条約調印国に入っていないのは残念なことだ。国際刑事裁判所の話を聞いたとき、敗戦国民のヒガミ根性をもつ私は、「江戸の仇は(長崎でなくとも)ハーグで、、」とよろこんだ。そう思ったので、日本で「勝者の裁判」に文句をいう人々の無関心は理解に苦しむ。彼らは、自国民に威勢の良いことを語る「井の中の蛙」なのかもしれない。
日本で国際刑事裁判所に関心を寄せる人々は少なくない。小さな町の市議会がローマ条約の調印と批准を要求する決議をしている。ところが、私には主要メディアの取り上げ方が小さい気がする。これは、ニュース本位で動くためかもしれないが、本当にそれだけなのだろうか。それでは、なぜ日本では一般的関心が低いのだろうか。
昔、私はドイツ人の戦争体験者の回想録をまとめて読んだことがある。捕虜になって不当な扱いを受けた兵士が戦時国際法を楯に抗議する場面に度々出合い、少しあきれた。彼らも抗議が受け入れられないとあきらめるが、私は自分が捕虜になったら、何をされても文句をいえないと考えて、はじめから黙っているような気がした。これを裏返すと、敵兵を捕虜にしたら、自分が何をしても相手は文句をいうな、と考えていることであり、本当はどこか恐ろしいことでもある。
多数の日本人が私のように反応するとすれば、これは、私たちが無意識に自国と外国との関係を強いか弱いかだけの尺度で眺めていることにならないだろうか。国際関係をこのように「弱肉強食」的メガネで見れば、強い相手には黙り、弱い相手には沈黙を強制し、結局国際法など紙切れ同然になる。こう考えると、日本がローマ条約に大きな期待を抱かず署名もしなかったのも理解できる気がする。
このような国際観は、19世紀後半の帝国主義時代に開国した日本にインプットされ、残念なことに「刷り込み」現象のように私たちの意識に残っているのではないのだろうか。私はそのように想像している。
当時の日本国家は「富国強兵」をめざした。ある国が軍事的に、また経済的に強いか弱いかということは、もちろん国際社会で重要な要因である。でもこれだけが国際関係を見るメガネになってしまうと、国際社会での重要な変化を見落とすことがあるかもしれない。同時にこれは、国際社会での行動や態度の選択肢として、結局尊大になるか卑屈になるかの二つのパターンしか残されていないことになってしまう。この結果は外交的選択肢が狭くなることで、この状態が必ずしもいつも日本の得にならないことは多言を要しないと思われる。
美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de